百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

髪を切ってくれる友達

 たまに聞く「髪を切ってくれる友達」という存在にあこがれる。どこで目にしたのかは覚えていないが、たまに聞いたり見かけたりする「友達に髪を切ってもらう」という行為はずるい、と思う。「友達に髪を切ってもらう」ということが、まず「お洒落にそこまで気をつかってない」という感じがして、かっこいい。「わざわざ美容院に行くまででもない」みたいな感じで、力が入ってない気がする。その上、大体そういった人の髪型はお洒落で、かっこいい。仮に失敗したとしても「まあでも、友達に切ってもらったから」と気にしていない感じが出せる。うまく切れたら切れたで「いつでもお洒落に髪を切ってくれる友達」がいる、ということになってかっこいい。どの方向から攻めてもかっこいいのである。

 僕がどれだけ良い美容院へ行き、ハサミからシャンプーの所作に至るまで、どれだけ細かく注文したとしても「髪を切ってくれる友達」に切ってもらった髪型には勝てない。それがたとえ、少しボサッとしていても、それすらセクシーに見えてくる。そもそも「髪を切ってくれる友達」がいて、その人に髪を切ってもらうという生活を送っている時点で、それは洒脱でセクシーで、どこか凡人とは違う雰囲気を持っているような人なわけで、どうしたって勝てないのである。

 少し前に、日本に住む外国人を密着する、みたいなテレビ番組がやっていて、その中で日本のムード歌謡が大好きなイギリス人男性を追っていた。その男性はまさに英国紳士といったような風貌で、常に落ち着いたスーツを身に纏い、髪型もカチカチに固められ、彼が住んでいるという東京の下町の雰囲気からは浮いていた。その番組の中で、彼の家にお邪魔する、という流れになり、彼の住んでいるというどこにでもあるような、日本のいわゆるなマンションの一室が映し出された。その一室は、特に内装が綺麗なわけでもなく、作られたのが新しいわけでもない。どこにでもあるような和室の部屋だったが、シンプルに揃えられた家具と、綺麗に整頓された大量のレコードが、まるでなにかのセットのように不思議な雰囲気を作り出していた。

 聞けば、日本の古いムード歌謡を聞いているうちに、昭和の雰囲気にあこがれ、あえてそうしているらしい。その上、美容室、というよりはバーバーという言葉が似合うような、イギリス英国紳士ライクなその髪型も、近所の1000円の床屋で切っている、とのことだった。あまりのかっこよさにくらくらした。見た目や生活の洒脱さにもそうだが、その自然体な感じに、とてもあこがれた。

 つまりは、そもそもの人間としての素敵さ、素敵レベルがそれらを意味づけているのだと思う。仮に僕が「髪を切ってくれる友達」に髪を切ってもらったって、彼らのようにかっこよくはなれない。「髪を切ってくれる友達」に髪を切ってもらっている人間は、「髪を切ってくれる友達に髪を切ってもらっている」とは思わないからだ。彼らはその生活の中で、友達とでかけたり、ご飯を食べたりするのと同じ位相で、髪を切ってもらっているのだ。僕のなかには、そもそもその価値観がない。なぜなら、素敵レベルが低いからだ。一緒にご飯を食べたりなどする友達のことを「一緒にご飯を食べてくれる友達」だと思わないように、彼らは髪を切ってくれる友達のことを「髪を切ってくれる友達」とは思っていないのである。

 高校生のとき、好きだった人に「髪型をこれにしてきて」と言われて、ボウディーズというバンドのロイという人の写真を見せられた。「えっ、これですか」と戸惑ったが、嫌われたくなかったので従った。いつもの美容院へ行き、それまでの人生の最大の勇気を振り絞り「あ、あの......これ......」とiPhoneでロイの写真を見せた。「これにできますかね?」とおそるおそる聞いたら、2周り小さくしたリーゼント、みたいな髪型をした美容師さんは「いけるいける!まかせて」と言った。

 小一時間後、鏡に映った僕の姿は、とてもロイには見えなかった。そこに映っていたのは、秋葉原にいる爆買い中国人の息子だった。サラサラすぎる僕の髪質では、彼のようなふわっとした感じは出せなかったし、そもそも気の抜けた顔をしている僕があの髪型にしたところで、彼に近づけるわけがなかった。寄せにいったことで、むしろ離れていったような感じさえあった。「どう?」と笑顔でミラーを向けてくる美容師さんに文句は言えない。悪いのは僕なのだ。「ありがとうございます!最高です!」と精一杯の礼を残し、美容院を去った。

 ボウディーズのロイは、美容師さんに「ジョンレノンみたいにしてください」と伝えたら、あの髪型になったらしい。なるほど、と思った僕は美容師に「ジョンレノンみたいにしてください」と伝えた。ジョンレノンにもロイにもならなかった。好きだった女の子にもフラれた。

 ずるい。思えば「ジョンレノンみたいにしてください」と言ってあの髪型になるわけがない。それは「ジョンレノンみたいにしてください」と伝えて、その情報から、ジョンレノンの雰囲気を汲み取りつつ、現代的なお洒落な髪型に変換して、なおかつそれを確実に形にし、その上でその髪型がぴったりフィットするロイの顔立ちや頭の形や雰囲気を持ってしてこそ成り立つ、ほとんど奇跡に近いことだった。

 時は経ち、今の僕はシルエットだけみると少しロイのような髪型をしている。重ための前髪にすっきりとしたサイドと襟足。しかし、そのことを意識していたわけではない。今、文章を書いている中で初めてそのことを思った。僕はきっと、ロイの幻影を追い続けているのだろう。あの頃、なれなかったロイに、僕はまだなろうとしている。それは叶わないことなのかもしれない。なぜなら、僕はロイではないから。ようやく、僕がロイになったとき、僕はロイから解放される。その時、僕はラーメンマンのように細長い三つ編みを後ろに垂らした髪型になるかもしれないし、髪を七色に染め、ツインテールにしているかもしれない。

 僕はそのときを、楽しみにしている。

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