百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

アイスキャンデーの夏

 「夏だし、なんかそれっぽいことでもするか」と思って、コンビニでガリガリくんを買って食べた。日差しが強く、とても蒸している日だった。ユニクロ松本大洋シャツと短パンに身を包み、買ったばかりのハンドスピナー(300円)を回しながら、コンビニまで駆けていった。気分はすでに小学三年生に戻っていた。
 小三の頃の夏といえば、クーラーを効かせた涼しい部屋でラチェットアンドクランクをやったり、コロコロコミックを読んだり、わざわざ外でポケモンの対戦をしたり、デュエマをやったり、はたまたブランコに乗って、どちらが遠くまで靴を投げ飛ばせることができるか競い合ったり、延々とやっていたものだ。小学校のベンチでデュエマの対戦をした後、デッキをそこら辺に置いたまま、辺りを駆け回っていたら、デッキを丸々盗まれていたことも、鮮明に覚えている。あの時の絶望に比べたら、今の悩みなど大したことはない。
 二十二歳になった今、スライス・ピザだとか、アメリカ映画に出てくるようなパンチ・ジュースだとか、クリーム・ソーダとか、あざといものに惹かれ、あこがれ、それをつらつらと書き連ねたりしているが、このあこがれ症とでもいうような性格は昔から変わっておらず、小学生時代にもたくさんあこがれているものがあった。いや、昔の方がいろんなものにあこがれていた。歳を取るにつれ、そのあこがれが段々と生活に馴染んできたり、実現できたりするからだ。
 小学生時代、あこがれていたものの一つとして、「アイスキャンデー」があった。あくまで、アイスキャンディーではなく、アイスキャンデーである。キャンディーではなくキャンデーと表記するその感じに、大正、明治辺りの日本っぽい、気持ちよさとかっこよさがあって、幼心にとても惹かれたのを覚えている。調べてみると、アイスキャンディーの誕生は、1905年に、サンフランシスコの11歳の少年フランクくんが、とある寒い日に、ジュースに混ぜ棒を挿したまま外に放置していたら、キャンディーのように固まっていたことからできたらしい。なんともうさんくさい、眉唾な話だが、まるで短編小説のように素敵な話だ。
 それに、あのフォルムもいい。色とりどりに着色された綺麗なアイスが、雑な木の棒に突き刺さっている感じ。以前、江國香織が「安っぽい色のものはみんな寛大だ。こんぺいとう、かき氷のシロップ、おもちゃの指輪。昔二十円で売っていた、にごったゼリーのような消しゴム。安っぽい色は、春に似ている」と言っていたが、アイスキャンデーもまさに同じだと思う。もしかしたら、夏にアイスキャンデーを食べたくなるのは、過ぎ去った春への郷愁に近い思いもあるのかもしれない。
 今でこそ、フルーツや野菜を丸ごと閉じ込めたような、見た目も新しく、かわいらしいアイスキャンディーが流行ったり、アイスキャンディーの再評価の流れがあるが、それまでアイスキャンディーはしばらく、日の目を見ていなかったと思う。それに、僕が求めているのはあくまで、あの”チープ”な”アイスキャンデー”である。一度、吉祥寺にあったパレタスというお店で、まるでラッシュの石鹸のような、お洒落でかわいらしいアイスキャンディーを食べたことがあったが、人気が出るのもわかる、と思ったのと同時に、僕が求めているのはこれではないな、と思った。
 昔は、氷旗を立てた移動式のクーラボックスを載せ、鐘を鳴らしながら自転車でやってくる「アイスキャンデー売り」がどこでも見られたらしい。僕も一度、温泉地で見かけたことがあるが、今ではもう滅多に目にしなくなった光景だ。これも、古い日本の風景というか、松本隆の歌詞世界のような、美しさがある。小学生時代、アイスキャンデーがどうしても食べたかった僕は、よくシャトレーゼという洋菓子屋さんで買ってきてもらっていた。それはソーダ味の水色が映えるアイスキャンデーで、僕のアイスキャンデー欲を満たすには十分なものだった。シャトレーゼにはよく、俗におっぱいアイスと呼ばれるようなゴム状の容れ物に入ったアイスや、メロン型の容れ物に入ったシャーベット状のアイスなど、昭和時代を思わせるようなアイスが売られていて、僕のような人間がワクワクするようなアイスがたくさんあった。ガリガリくんには、その子ども時代に持っていたあこがれの名残というか、思いのようなものがある。今でこそ、知覚過敏気味だったり、お腹を壊しやすくなったこともあって、昔ほど頻繁にガリガリくんを食べることはなくなってしまった。
 そんなことを考えていたら、自然とガリガリくんを手に取っていた。ガリガリくんを自分で買って食べることは、久しくなかった。あの印象的なパッケージはほとんど変わっていなくて、なつかしい気持ちになった。封を開けて、アイスをかじりながら、昔アイスキャンデーにあこがれていたことを思い返していた。
 しかし、食べているなかで、とてもショックなことがあった。ガリガリくんがどんどんと溶けてゆき、アイスを持っていた手に垂れていったのだ。これが、僕にはとてもショックだった。幼い頃は、どんなに暑い日でも、一滴も垂らすことなくガリガリくんを完食することができていたからだ。ガリガリくんは溶けて手に垂れるようなものではない、という意識が強くあったから、ダラダラと溶けていくガリガリくんを見るのが心苦しかった。急に加齢を感じた。それまで小三の気持ちでガリガリくんをかじっていたのに、急に小三のコスプレをしている二十二歳になってしまった。知覚過敏と胃腸を気にするがあまり、僕は豪快にガリガリくんをかじることができなくなっていたのだ。もはやそれは”ガリガリ”くんではなかった。
 それに、コンビニでガリガリくんを買ったとき、無意識に「梨味」を選んでいたことに気付き、ハッとした。小学生のときの僕があこがれていたのは、あのチープな水色が特徴的な「ソーダ味」のアイスキャンデーだったはずだ。「ガリガリくんといえば」の「ソーダ味」を選ばず、大人にも評価される味とクオリティの「梨味」を選んだことに、とても恥ずかしい気分になった。小学生時代の僕に見られていたら、ブン殴られていただろう。
 「お前はソーダ味を選ばず、梨味なぞという邪なものを選びやがって、これがもしガリガリくんリッチ黒みつきなこ味だったらお前は完全に終わっていたぞ」
 「そ、そんなこと言ったってガリガリくんリッチシリーズは、ガリガリくん本来のあのチープさを残しながら大人も満足できるような高いクオリティと、上品な味わい、そして時にはコーンポタージュ味やナポリタン味などのユニークで挑戦的な商品を発表し、ガリガリくんの世界観である『元気で、楽しく、くだらない』に基づいた素晴らしい商品なんだから仕方ないじゃないか......」
 「フッ......よくぞそれを言えた。私は貴様を試していたのだ。ガリガリくんリッチを食べたときのあの感動は、きっと子ども時代に感じていたものと同じだっただろう?梨味を選んだからって大人になった証ではない。ガリガリくんを一口、口にすれば誰だって”あの頃”の気持ちを取り戻すことができるのだ」
 「そ、そうだったのか......」
 「昨年、25年ぶりの値上げで70円になったものの、役員と社員が総出でそれを謝罪するという、赤城乳業の努力と誠実な対応をいつまでも見習うのだぞ!さらばだ!」

 赤城乳業さん、これでCMどうですか?

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