百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

ぼくら箱根コナキンズ

 久しぶりに本を買った。読むペースがまったく追いついていないのに、馬鹿みたいに本を買ってしまうため、未読の本が数十冊にも上り、それに制限をかけるために自らに禁止令を出していたのだった。やっぱり、本を買うというのは独特な気持ちよさというか、快感がある。もはや、買った時点でピークを迎えているというか、満足してしまっている気すらある。

 まだ、そこまでならよくあることかもしれないが、僕はその上、自分が期待している本、面白いだろうな、と思っている本ほど後回しにして読みたいタイプなので、現在ある本の束から、期待度で順位をつけ、下から読んでいかないと気が済まない。十冊あれば、期待している本、面白そうな本を十冊目に読みたいのだが、そこからどんどん本を買い足すことで、十冊が二十冊になり、三十冊になり、それによって期待値ランキングも変動し、読みたいと思えば思うほど、その本はどんどん遠ざかっていく。しかも、どれだけつまらなくても最後までちゃんと読まないと気が済まないから、段々苦行じみてくることもある。そうして、ようやく雑多な本を読み終え、期待していた本に辿り着く頃には、買ったときの新鮮さや興奮が冷めきっていて、「まあ、こんなもんか」と思うことも多い。

 こういった、自分に課した謎ルールに苦しめられることが多い。このせいで、全て初版で買っている乃木坂46の写真集は一冊も読めていないし、「恋は雨上がりのように」は6、7、8巻がビニールも破られずに本棚に眠っている。「三月のライオン」12巻もそうだし、「ダンジョン飯」4巻もそうだ。だから、そんな中で「本を買った」というのは、自分の中で禁忌を破ったような、それくらいの重大さがある。なぜそんな罪を背負いながら本を買ったかというと、それはオードリー若林さんの新著だったからだ。

 ちょうど僕が大学へ入学して一ヶ月ほど経ったとき、「社会人大学人見知り学部 卒業見込」という本が出版された。誰もが知っているであろう、オードリーの若林さんのエッセイ集なのだが、ちょうど大学へ進学したタイミングで、いろんな思いや不安の中でこれを読んだのもあって、読み切ったときにボロボロ泣いてしまったのを覚えている。というか、いまだに内容を思い出すだけで比喩でもなんでもなく、体の反応として涙が出る。何度も何度も読み返したし、その後に出た完全版も買った。

 思えば、オードリーを深く知るきっかけになったのは、彼らがやっているオールナイトニッポンというラジオを聞き始めてからだ。ちょうどラジオが始まったくらいの時、ネットで知り合った友達に「オードリーのラジオ、面白いよ」と勧められて、そこから聞き出したのだと思う。それからは、いまだに毎週リアルタイムで聞いているし、昔の回も頻繁に聞き返す。そこから派生してバナナマンおぎやはぎ、三四郎やハライチのラジオも聞くようになったが、いまだに一番好きなのはオードリーのオールナイトだ。よく言われているような、”深夜ラジオ”というものの楽しさや、気持ちよさみたいなものを知ったのが、まさにオードリーのラジオだったのだ。

 やはり、僕のような人間は若林さんのような人に惹き付けられるものがある。だけど、一方でどちらに”あこがれる”かというと、それは春日さんになる。自分はどちらかというと、若林さんに近い人間だから、真逆とも言える春日さんにあこがれる部分がある。簡単な言い方をしてしまうと、オードリーというのは、そこがとても魅力的だし、その二人には絶対に近づけない距離があるというか、強いつながりを感じることがある。

 若林さんの新著「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」は、若林さんがキューバへ訪れたときのことを綴ったエッセイだという。一昨日発売されてから、僕はすぐに買って、本棚の上に積まれた数十冊の本を無視してページを開いた。ゆっくり、ゆっくり読んでいるから、まだ全然読めていない。

 以前、若林さんがラジオでキューバ旅行のことを少し話していて、その時にあることを思い出した。僕が大学二年生か三年生のとき、有名なエッセイストの授業をとったことがあった。そのエッセイストはテレビにもよく出ているような有名な女性の方で、まるで南米や熱帯地域から来たような、情熱的で明るい人だった。その授業はゼミのような形式をとっていたのだが、なぜか僕以外女の子しかとっていなくて、その上授業中に頻繁に発言しなければならず、一回目の授業で後悔した。だけど、なにかの転機になるかもしれないと思って、最後までとることを決めた。

 ある日、授業が終わったあとに「ご飯食べにいくけど誰か一緒に行く?」と聞かれたので、反動で手を挙げ、ご一緒させてもらったことがあった。ドキドキしながら、ご飯を食べていると「君みたいなおとなしい子が、私の授業取るなんてめずらしいね」と言われた。このご飯も、なにかのきっかけになればいいと思っていた。世界各国を飛び回るという、その先生のスケール大きさにあこがれているところもあった。勇気を出して「旅どころか、自意識過剰すぎて、なか卯にも行けないんです」というようなことを話したら、ゲラゲラ笑いながら「君はキューバに行くといいよ」と言われた。

 その先生も実際にキューバを訪れ、一冊の本にしたためたくらい、衝撃を受けたらしい。確かに、話を聞いているだけでも、おもしろかった。そのエッセイ本を読んでいると、よりそう思えた。結局、その授業をとって、先生の話を聞いても、いまだになか卯に一人で入れないし、なにかが劇的に変わった、ということはなかった。むしろ、「旅に出て変わるくらいなら、大した悩みじゃないだろ」と斜にかまえて見ている部分もあった。だけど、キューバという異国の地へのあこがれ、そして、根拠のない旅情のようなものが、いまだにふわふわと浮いている。

 少し前に、オードリーのラジオを教えてくれた友達が東京に来るというので、一緒に遊んだことがあった。その友達とは、小学生時代からずっとネットでやり取りをしていたが、一度もあったことはなかった。彼はバンドをやっていて、レコーディングのために東京へ来るとのことだった。その時、ちょうどビトたけしという、ビートたけしのモノマネ芸人で、オードリーファンからしたら馴染みのある人が喫茶店をやっていて、そこに行こうという話になり、彼のバンドと、僕のバンドの人たちで喫茶店に向かった。

 生憎、その喫茶店はしまっていて、電話をしても応答がなかった。「あーあ、残念だね」なんて言いながら、近くにあった適当な喫茶店に入った。ご飯を食べながら、しばらくして、何気なく喫茶店のホームページを確認すると、「今から開店しま~す!」という言葉とともに、ビトさんのひょうきんな写真がアップされていた。ちょうどすれ違ったくらいのタイミングで、お店がオープンしていたのだ。彼らのスケジュールもあって、結局そのお店に行くことはなかった。「死んでもやめんじゃねーぞ」という台詞でお馴染みのビトさんだが、それからすぐに喫茶店を畳んでいた。喫茶店に行けなかったのは残念だけど、すべてすれ違ってる感じがよりビトさんらしくて、良い思い出になった。

 その友達はWBSBFKというかっこいいバンドをやっていて、僕もバンドをやっている。一度、一緒にライブに出たこともある。その時レコーディングされたというアルバムは、ビトたけしの件のすぐ後に録られたとは思えないくらいかっこよかった。僕らもいま曲を作っていて、春日さんへのあこがれから、うつくしい曲が一曲できた。春日さんに聞かれたら「生意気だなあ」と言われてしまうかもしれないが。

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