百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

ぼくのステディ

 恋人のことをステディと呼ぶアレ、どこかまぬけというか気が抜けているような気がして、いいなと思う。彼女とか、恋人とかよりも、ステディは日本人的な感覚として、敷居が低いような気がする。なぜなら、僕のような人間は、彼女のことを彼女と呼ぶことができないから。「いやあ、こないだ彼女がさあ~」と僕が言ったところで、「こんなやつに”彼女”なんているのか?」という疑問符が生まれるというか、お付き合いしている異性のことを”彼女”と呼ぶのは、どこか敷居が高い気がしてしまう。それが”カノジョ”(語尾が上がる感じで)だったり、”元カノ”だったりすると、余計に思う。

 だからといって、「いやあ、恋人がさあ~」って言うと、「一般的な”彼女”という呼称ではなく、ちょっと角度をつけた恋人と呼ぶことによって、関係性の特別さを提示してこようと思ってんのか?」と思われているんじゃないか、と思う。”相方”って呼ぶのも、「彼氏彼女みたいな俗っぽい関係じゃなく、もうそこを飛び越えた特別な関係」を示そうとしている感じがしてしまって、言えない。”好きな人”とかだと、「ぶってる感」が出るというか、「いや、付き合っているのに”好きな人”ってなんやねん」と思ってしまう。ここまで言うと、そうやって呼んでいる人たちをディスっているような形になっているが、あくまで僕が発言した場合であって、僕の雰囲気や性格的に、これらを呼称するのは、どうも憚られるところがある。

 だからこそ、”ステディ”はなんか響きが間抜けでいい。80年代のトレンディドラマ感というか、景気のいい感じがする。それに、「いやあ、こないだステディがさあ~」って話を切り出せば、途端に呼び方のクセを突っ込まれて、付き合っている人の話をしようとする恥ずかしさが、中和される気がする。全部が冗談じみて聞こえるというか、そんな作用がある。”元カノ”じゃなくて、元ステディ、元ステなんていう呼び方をすれば、俗っぽさもないし、別れていることに対する侘しさのようなものも、薄れる。

 ただ、問題なのはステディ=恋人であるという言葉があまり認知されていないのと、なんの脈絡もなく「ステディがさあ~」と話し出したところで、まったく伝わらないというところだ。一人称は、僕、俺、私、ウチ、ワシ、小生など、性格やキャラクターに合わせて様々な呼び方が用意されているのにも関わらず、付き合っている女性のことは”彼女”か”恋人”くらいしかない、というのは誠に由々しき問題である。カノジョとか、恋人だとかって呼んでいいのは一部の許された人間だけだ。僕はその権利のようなものを持っていない。

 だが、ここまで書いてきて、一番重要なことに気づいた。それは仮にステディができたとしても、自分から人に付き合っている人のことを話すなんてことは、ほとんど無いに等しいということだ。他人にのろけても自慢になってしまうし、愚痴を言っても仕方がないと思ってしまうし、ステディができたとて、「いやあ、こないだステディがさあ~」なんて切り出すことは、僕にはなかったのだ。

 ちなみに、オードリーの春日さんは、数年に渡って、一緒に温泉旅行に行ったり、鎌倉にデートしに行ったりしている女性がいて、それを何度もラジオで語っているにも関わらず、ずっと「狙っている人」と呼んでいる。そして、それを「モテたいから『狙っている人』って呼ぶことで、まだ誰のものでもないってことをアピールしたいんだろ」って若林さんに突っ込まれていた。

 だけど、「狙っている人」という呼び方は、案外、正解かもしれない。結婚というのは社会的な制度だし、ちゃんとした契約のもとに成り立っている関係だが、”付き合っている人”というのは、あくまで口約束に過ぎない。そう考えると、彼女も恋人も「狙っている人」も全部同じなのかもしれない。それに、恋愛は「付き合うまでが一番たのしい」とよく言うが、「狙っている人」という名前で呼び合うことで、その楽しさをずっと持続できるのかもしれない。彼女や恋人になってしまえば、そこがどうしても”一つの”ピークになってしまうからだ。

 だから、これから好意を寄せている異性のことを、「狙っている人」と呼ぶことにした。これによって、僕の長年の悩みがようやく解決した。あとは、今のところそう呼べる人が、一人もいないということだけが、僕に残された問題である。

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