百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

改札と白線

 銀座で働いてます、みたいな女性が駅の改札を通るときに、パスケースをバンッ!って叩きつけている姿を見ると、どきっとする。いや、丸の内で働いていようが、八王子で働いていようが、そもそもOLじゃなくてもどきっとするのだが、人がパスケースを叩きつけている姿を見ると、「あ、パスケース叩きつけた」と頭のなかで思う。
 改札のあのICカードのセンサーは、センサーとカードが数センチ離れていてもちゃんと反応するにも関わらず、それを知ってか知らずか、思い切り叩きつけてちゃんと反応させようとする姿には、どこか子どもっぽい幼さがある。それを、スーツをビシッとキめたキャリアウーマンという、かけ離れたイメージの人がやっているからこそ、その人の奥にある子どもっぽさを見たような気がして、どきっとしてしまうのかもしれない。あるいは、その人が勤めている会社に嫌な上司がいて、一つのストレス発散方として「改札のセンサーにパスケースを思い切り叩きつける」という行為をルーティーンにしているだけかもしれない。理由はどうであれ、それを目撃した側はどきっとするし、その人の本質的ななにかを思わず目にしてしまったような、そんな感覚にさせられる。
 以前、横断歩道を渡っているときに、少し前を歩いていた女性が、白線以外に足をつけないように横断歩道を渡っていて、その姿にどきっとした。別にその光景というのは、誰が見ても何気のない、人が横断歩道を渡っているだけのありふれた映像だったのだが、他の大勢が白線など気にせず堂々と歩いているのに対して、一人だけ白線を注意して歩いていて、その姿が僕には浮いて見えた。
 誰しもが子ども時代、横断歩道を渡るときに、「白線以外踏んだら死ぬ」だとか、「白線以外は海になっていて、踏み外すとサメに襲われる」みたいな、不条理な遊びをやったことがあると思う。その女性は、一人でその遊びをしていたのかもしれないし、無意識に白線だけを注意して渡っていたのかもしれない。これも、理由はどうであれ、白線だけを見つめてぼーっと歩いているという、その無防備な姿にどきっとした。
 パスケースを叩きつける行為も、白線だけを踏んで横断歩道を渡るという行為も、意識的にそれを行うと、どうしてもあざとさのようなものが生まれてしまう。どちらも、ほとんど無意識に近い状態でやっているからこそ、それを目撃した側はどきっとする。女性の、ある種の無垢性のようなものに惹かれる、というわけではなく、社会のなかで、ちゃんと自立した一人の個人として日常を送り、その生活のなかで、ふとした瞬間に出てしまう子どもっぽさのようなものに、惹かれる。それは、捨てようと思っても、捨てきれないような、その人の核のようなところにあるものだと思うからだ。
 そういった、相手が表に出さないような部分を垣間見たときの、相手のことを知れた、理解できたのかもしれないという錯覚が、人を好きになるということなんじゃないかと思う。高校一年生のとき、好きだった先輩がまさに、パスケースを改札に叩きつける人だった。というか、その先輩の姿を見てどきっとしてから、意識するようになってしまったのかもしれない。大人っぽくて、常に少し怒っているような表情の人だったので、パスケースを叩きつけているのを見たときに、「こういうところもあるんだ」と思ってとても衝撃だった。
 ある日、先輩が相変わらずパスケースを改札に叩きつけていていたので、親しみを込めて「パスケース叩きつけるの、子どもみたいですね」と言ったら「は?」と怒り気味に返され、その後しばらく口をきいてもらえなかった。怒ったということは、それを自分でも気づかないまま、無意識にやっていたんだろう。そういうところが好きなんだけどな、と思いながら、足早に先を行く先輩を追いかけた。今思えば、その一言が大きな原因だったのかもしれないが、その先輩にはすぐフラれた。それがあってかどうかはわからないが、いまだに僕は駅でパスケースを叩きつける人がいると、目で少し追ってしまう。

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