百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

仁君ハバネロ

 幼い頃から、胃腸が弱い。昔から、ストレスや不安なことがあるとすぐにお腹が痛くなるし、精神的なところだけではなく、カフェインやカレーなどの刺激物をとっても、お腹にすぐ異変が現れる。いつも鞄には胃腸の動きをすぐに止められる薬が入っているのだが、それを飲むと、一時的には傷みはなくなるものの、動きを止めたことが悪影響となり、腸内環境がくずれる。踏んだり蹴ったりである。それでも、なんとか二十二年間、自分の内蔵と付き合い続けてきた。

 人間というのは不思議なもので、やめろと言われたらやりたくなるし、押すなと書かれたボタンがあったら押したくなってしまうものだ。胃腸が最弱であるにも関わらず、僕の好きなものはコーヒーやカレー、炭酸飲料など、刺激物ばかりである。辛い食べ物は特にダメで、口にすると絶対にお腹を壊すとわかりきっているのに、食べてしまう。お腹を壊すというところも含めて、どこか自傷的な気持ちよさがあるのかもしれない。辛いものには、そんな魅力がある。

 思い返してみると、僕が小学三年生の時に日本で起こった「第二次激辛ブーム」が、僕の辛い食べ物の原体験だったと思う。僕が生まれる一年前、1994年に「ハバネロ」という唐辛子が、”世界一辛い唐辛子”として、ギネス世界記録に申請された。それを受けて、2003年に日本の企業である東ハトという会社が発売したのが「暴君ハバネロ」というお菓子だ。この「暴君ハバネロ」が空前のブームを起こし、わずか一年間足らずの間に2000万袋を出荷したという。この時のことは、いまだに覚えている。「ハバネロ」という聞き慣れない名前と、”世界一辛い唐辛子”というキャッチに、とてもドキドキしたし、テレビでもやたらと騒がれていた。

 好奇心で「暴君ハバネロ」を買い、初めて口にした小学三年生の時は、あまりの辛さに衝撃を受けた。今まで口にした食べ物の、なによりも辛かった。辛いというより、もはや痛いというレベルで、氷で口を冷やしながら食べていたのを覚えている。そんな思い出もあり、「暴君ハバネロ」が起こした第二次激辛ブーム(第一次は1980年代に起きていたらしい)を直に受けた世代である僕は、”世界一辛い唐辛子”と言えば、ハバネロなのだ。しかし、唐辛子界隈というのは、2017年の現在、インフレを起こしまくっているらしく、かつては世界一辛かったはずのハバネロは、今ではもう大したことのないものらしい。

 辛さの数値のことを、スコヴィルという単位で表す。これはトウガラシ属の植物に含まれるカプサイシンの割合を示すもので、「辛みを感じなくなるまで砂糖水で薄めたとき希釈倍率」のことを言うそうだ。例えば、シシトウなら0スコヴィル、市販されている「タバスコ・ソース」ならば約4000スコヴィルほど。スコヴィルという威圧的な響きの単位と、4000という位の大きさに、想像よりも辛そうに思えてしまう。普通の唐辛子、鷹の爪は、50000スコヴィルで、おそらくこの辺りが人間がおいしく食べることのできる辛さの基準ラインであると思う。肝心のハバネロはいくつかというと、300000スコヴィル。鷹の爪の6倍ほどである。

 2007年に、ハバネロを超える辛さを持つブート・ジョロキアという唐辛子がギネスの世界記録に登録される。その値はなんと1000000スコヴィルハバネロの約三倍の辛さである。しかし、これを抜く唐辛子が現れた。それがトリニダードスコーピオン・ブッチ・テイラーである。スコヴィル値は1463700。トリニダードスコーピオン・ブッチ・テイラーという名前を耳にしても、とても食べ物の名前とは思えない。ヒールのプロレスラーか巨悪な武器の名前のようだ。トリニダードスコーピオン・ブッチ・テイラーは約三年間の間、世界一の座を守っていたが、それを越えたのが、2013年に登録されたキャロライナ・リーパーだ。そのスコヴィル値は、最も辛いもので、2200000。名前を和訳すると「キャロライナの死神」人間に食べさせようという気持ちが欠片もない、ネーミングである。実際に食べようとしても、防護服やゴーグルがないと調理できないほどで、調理しているだけで周辺にいる人間まで目が痛くなってくるという。海外では、これを食べて胃に穴が空いた、という人もいたり、唐辛子の辛さは、もう人間が食せないレベルにまで来ているのだ。

 こう見てゆくと、ハバネロの存在がかわいそうに思えてきた。僕が氷で口を冷やしながら、ヒーヒー言って食べていたハバネロは、2017年の現在、見向きもされていないのだ。クラスの中で自分が一番面白かったはずなのに、中学生に入るともっと面白いやつがいて、芸人を志して養成所に入ったら同期にダウンタウンや、オリエンタルラジオがいた、みたいな感じ。藤井聡太四段に負けた棋士達も、きっとこんな気持ちだったのだろう。「暴君ハバネロ」も、いつの間にか市場から姿を消し、あの黒と赤の印象的なパッケージをしばらく見ることはなかった。

 先日、コンビニへ入り、お菓子コーナーをうろついていると、見覚えのある”あの”キャラクターが目に入った。「暴君ハバネロ」が、復刻版の「帰ってきた暴君ハバネロ」として発売されていたのだ。懐かしい気持ちと、ハバネロに対する憐憫の思いもあり、僕はそれを手に取り、レジへ持っていった。家に帰り、袋を開けると、懐かしい唐辛子の刺激的な匂いがした。ドキドキしながらそれを口にすると、記憶よりも辛さが控えめに感じられた。おかしい、と思いながら食べ続けていても、10歳くらいの時に食べたような、氷で口を冷やさなければいけないほどの辛さが感じられない。むしろ、辛さよりも野菜や香辛料の旨味が強調されていて、とても食べやすい。

 調べてみると、食べやすいように香辛料の調合などを変えているものの、ハバネロの含有量は発売当初と同じらしい。茫然と食べ続けている内に、急に時の流れを感じた。初めて「暴君ハバネロ」を口にした小学三年生の時から、約10年の月日が経ち、僕は高校、大学を卒業し、二十二歳になった。その間に唐辛子はめまぐるしい進化を遂げ、ハバネロの7倍の辛さを持つキャロライナ・リーパーという唐辛子が現れた。僕の舌は加齢とともに衰えてゆき、10歳の時には敏感に感じていたはずの辛さを、なんとも思わなくなっていたのだった。そのことが、僕はとても悲しかった。かつて見えていた景色も、もう見えなくなってしまったし、かつて持っていた純粋な気持ちも、もう失われてしまったのだろう。10年にも及ぶ時が経っていた、ということを「帰ってきた暴君ハバネロ」を食べたことによって、ようやく気づかされたのだ。まるで僕はハバネロのように、成長を遂げることなく、しかし”変わって”しまったのである。

 空になった「暴君ハバネロ」の袋にふと視線を向けると、パッケージに書かれたあのキャラクターの表情が、僕にはどこか淋しげに見えた。

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