百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

エピソード

 自分とは違う価値観、文化、生活の中にいるような人たちと話すと、その”違い”に驚かされることが多々ある。特に、僕のような狭い価値観、世界で生きているような人間からすると、その驚きはより強い。

 大学生の時、とある飲み会で、まともに話したことのなかった同じ学科のギャルと、対面にテーブルを挟んだことがあった。初対面な上に、ギャルであることに怯えていると、隣にいた友達が、そのギャルに「そういえば、こないだのアレ、大丈夫だったの?」と問いかけた。話を聞くと、そのギャルは少し前に「地元の仲間と飲んでて、酔ってその場にいた男の子全員にキスしたら、後でボス猿的な存在のギャルにしばかれた」らしい。ギャルらしい豪快なエピソードである。たった数行のそのエピソード一つで、ギャルのノリと、その縦社会の厳しさ、ボス猿的なそのギャルの表情まで見えてきそうな良い話だ。その子は、ギャルはギャルでも、世間のパブリックイメージとはちょっと違う、おとなしめのギャルだったので、そのギャップに驚いたし、なにより面白かった。

 その話を聞いて、高校時代に働いていた回転寿司屋の先輩のことを思い出した。その先輩は、以前にもブログで書いた、今ではアダルトビデオの企画、監督などをやっている先輩で、チャラ男のような見た目と、軽妙な口上が特徴的な、誰にでも分け隔てなく優しい、面白い人だった。その人は、一緒に働いている時から車が大好きで、よくバイト終わりに「ちょっとこれから峠、攻めてくるわ」と言っていた。ある日、その先輩が片腕に包帯を巻いて出勤してきたので、驚いて「どうしたんですか?」と聞くと「いや、車で山走ってたら谷に落ちちゃってさ、マジでビビったわ、ハハハ」と言いながら、ボロボロになった車の写真を見せてきた。あまりにも豪快な話である。そして、そんなむちゃくちゃな出来事を「ハハハ」と笑い飛ばせる先輩が、とてもかっこよく見えた。

 彼らのようなエピソードが一つはほしい、と思う。別段、彼らのような派手なエピソードでなくても良い。例えば、ピース又吉さんはとある夏の日に、原宿の神社で青い実が一つ、木から落ちるのを目撃し、ふと視線を落とすと、行き交う人々の中で、自分と同じように落ちた青い実を見つめている、一人の女性がいて「あの人なら僕のことを解ってくれるんじゃないか」と話しかけたことで、その人とお付き合いすることになったらしい。

「明日遊べる?」変なことを言ってしまった。女性は恐怖で顔を歪め「どなたですか?」と言った。可哀想だと思った。「明日遊べる?」また変なことを言ってしまった。女性は怪訝そうな表情を浮かべ「どなたですか?何故明日なんですか?」と言った。「今日は暑いので明朝涼しいうちに遊べたらと思いまして」また変なことを言ってしまった。「怖いです。それに知らない人とは遊べません」と言われた。その後、僕は立て続けに変なことを言った。「暑いので...申し訳無いので...冷たい飲み物を奢らせてください...でも先程古着を買ったので...お金が無いので...奢れないので...諦めます...すみませんでした...」と言って帰ろうとしたら、女性は少し笑い「何言ってるんですか?大丈夫ですか?喉が渇いているんですか?お金を貸して欲しいという話ですか?」と言った。解らなかったので「解らないです」と言ったらアイスコーヒーを奢ってもらえることになった。

 出会いのきっかけも、そこからの二人の会話も、まるでそのまま小説のワンシーンのような、うつくしい出来事である。このエピソードは、二作目の『劇場』のワンシーンとして、別の形で描かれることとなる。又吉さんは、このようなエピソードを引き寄せる人だ。もちろん、エッセイとして文章で綴られることで、その全てがノンフィクションであるとは言えないが、井の頭公園でぼーっと座っているだけで、外国人の宣教師から「あなたを、救いたい......」と言われたり、近所の神社で思いにふけっていたら「もうちょっとしたら、出ていってもらっても良いですか?」と神主に追い出されたり、面白い出来事、不思議な出来事を呼び起こしている。

 僕には、こういったことがまったくない。誰もが一度は経験があるような、ヤンキーに絡まれる、電車で酔っぱらいに絡まれるなどということも、一度もない。特に顔立ちが整っているわけでもなければ、スタイルが良いわけでもないし、普通の大学を真面目に通い、普通に卒業した。お酒は飲むが、煙草は吸わない。恋人もいない。そこら辺を見渡せば、絶対に一人はいるくらいのありきたりな人間である。

 僕も、後世に語り継がれるような、かっこいいエピソードが一つはほしい。例えば、僕が後に文豪、大音楽家になり、死後に「いや、あの人はいたって普通の人でしたよ」と言われたくない。尾崎豊のように、”不良”の代表みたいなパブリックイメージを持ちながら「実は真面目で、人のバイクなんか盗まないような良い人でした」と言われるのは、かっこいい。安岡章太郎のように「自分は落ちこぼれだった」と自称しながら、実は成績優秀だった、みたいなのもかっこいい。僕は、そもそもが「普通の人」なのに「あの人はいたって普通の人でした」と言われたところで、何も起こらない。かといって、急に日サロにいって全身を真っ黒に焼き、金髪にするわけにもいかないし、パンタロンを履いて長髪にするわけにもいかない。先に挙げた彼らのように、それが自然ではないからだ。

 もし、僕が大作家、大音楽家になったら、死後、過去に好きな人に送っていたメール、行きつけのコンビニのレシート、そしてこのブログまでもがすべて、世の中に公開されるのだろうか。僕は昔、好きな女の子とのメールにどれくらいのスパンで返したらいいのかわからなくて、自分が送ってから、返信が返ってきた時間をいちいち計り、それとまったく同じ時間で返信していた。気持ちの悪いやつである。ゴミ箱からは「担当者 ハヤシ」の文字が印字されたコンビニのレシートが大量に発見される。ブログは一語一句分析され「○○はギャルをとても好んでいたらしい」「確かに、彼の文体には、2000年代初頭のギャル的な、ブロークンな日本語のリズムを感じることができる」とか「彼の作る音楽には、ギャルが好んで聞くユーロビートからの影響を感じることができる」「きっとギャルから好かれるために必死だったのだろう」とか議論されるのだろう。やがて研究が進み、結局僕は「普通の人っぽい感じだけど、ギャルが好きで、好きな女の子とのメールにわざわざ時間を計ったり、同じ店員のレジで何度も買い物をしたり、偏執的なヤバい奴だった」ということが世の中に知れ渡る。

 そうならないように、今からサーフィンでも始めようかな、などということを思っている。

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