百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

赤いランプの下で

 毎日、コーヒーを飲んでいる。夏はアイスコーヒー、冬はカフェオレボウルに、砂糖をたっぷり入れたカフェオレを作って飲む。家で飲むこともあれば、外で買って飲むこともある。高校三年生くらいのときから、毎日一杯は必ず飲んでいる。僕は昔から胃腸が弱く、その上カフェインへの耐性もないので、コーヒーとの相性はよくない。それでも飲み続けているのは、もちろんそれ自体が好き、というのもあるが、コーヒーへのあこがれも少しある。
 僕の中で、コーヒーというのはアメリカのイメージと強く結びついている。幼い頃、家で『トムとジェリー』や『ルーニー・トゥーンズ』のような、アメリカの児童向けアニメを、妹と二人でよく見ていた。そこで描かれる、古き良きアメリカの生活の風景、それにとてもあこがれた。ジェリーが大好きな穴の空いたエメンタール・チーズや、ご馳走としてよく出てくる、七面鳥のロースト。『トムとジェリー』の「Posse Cat」という回では、グレービーソースをかけたおいしそうな、マッシュポテトが出てきて、その”アメリカっぽさ”にとても惹きつけられたのを、いまだに覚えている。
 そんな、アメリカのアニメや、映画にコーヒーは度々登場し、それを目にする度に、コーヒーというのは大人っぽくて、かっこいい飲み物なんだな、という認識があった(アメリカのアニメでは大体、コーヒーというのは飲んでる最中にイタズラを仕掛けられて、全身に被るというシーンで使われる)。そんな、あこがれは今でもあって、妹と共にアメリカあこがれの強い人間に育ってしまった。僕ら兄弟に強く影響しているのは、幼い頃に見させられたアメリカのアニメーションだったのだ。
 そして、僕のアメリカあこがれと、コーヒーへのあこがれが交差したのが、スターバックスだった。スターバックスとは、スタバの愛称で親しまれている、アメリカ生まれの、あのコーヒー・ショップのことだ。当時、高校生だった僕は、外でコーヒーを買って飲む、という行為ができたのはドトールだけだった。そのドトールにも、初めて入店するのには、しばらくの時間を要した。ドトールは日本生まれのコーヒー・ショップで、サイズの表記も馴染みのある「S・M・L」で、メニューも「アイスコーヒー」や「カフェ・ラテ」と単純明快で、親切だった。しばらくは、僕もドトールで満足できていたのだが、段々とスターバックスへのあこがれが募ってきた。「サイズ表記がS・M・Lじゃないらしい」「フラペチーノなるものが人気らしい」「ドリンクを自分好みにできるらしい」そんな噂の一つ一つを聞く度に、ドキドキした。
 初めてスターバックスを訪れたのは、高校二年生のときだった。スターバックスの持つ「アメリカのコーヒー・ショップ感」そして、その「アメリカのコーヒーを手に持っている自分」というイメージにあこがれ、スターバックスの持っている、あの敷居の高さと、そのあこがれとの葛藤の中で、数年の時間を要してようやく足を運ぶことができた。僕の地元にあるスターバックスは、近くのイオンモールの中にあって、いつも、その店舗を横目にしながら「あれがスタバか......」と想いを募らせていた。スタバのコーヒーは、母親がたまに買って帰ったときしか、口にしたことがなかった。
 意を決して、スタバの店内に足を踏み入れると、香ばしいコーヒーの香りと、清潔な店内に圧倒された。僕のような、田舎の芋っぽい高校生が来てはいけない場所のような気がした。洒落たソファーでいかついフラペチーノを飲みながら、談笑する若者。コーヒー片手に、静かに読書を楽しむ初老の女性。初めて見るような、お洒落な西洋の菓子が並べられたショーケース。暗めで落ち着いた内装。壁に飾られた、抽象的な絵画。そのすべてが新鮮に見えた。カウンターに掲げられたメニューを見ていると、まるで異国の言葉を眺めているような、違和感があった。

 「本日のコーヒー ホット エチオピア・コロンビア
          アイス コモドドラゴンブレンド」

 本日のコーヒーがあるのなら、先日のコーヒーも一昨日のコーヒーもあったのか、明日のコーヒーも明後日のコーヒーもあるのか。きっと百年後もスターバックスは「本日のコーヒー」を提供しているのだろう。その途方もなさに、クラクラした。その上、エチオピア、コロンビア、更には「コモドドラゴンブレンド」なる摩訶不思議なものまである。はたまた、「抹茶ティーラテ」「チャイティーラテ」「イングリッシュブレックファスト」なるものまである。ここは日本か?インドか?イギリスにいるのか?アイスティーなんて「ブラック」と「パッション」の二種類もある。すごい、すごい、これがスターバックスか、すごい。そして、それらがすべて、東京の田舎の小さいコーヒー・ショップで展開されていることにびっくりした。時空間の感覚を揺さぶられ、自分がいまどこにいるのかわからなくなった。めまいがした。熱に浮かされたまま、列に並んでいると、自分の番が来た。
 「こんにちは!ご注文はお決まりでしょうか?」
 こんにちは、こんにちは。こんにちはが頭でリフレインした。いらっしゃいませではなく、こんにちは。すごい、スタバはいらっしゃいませ、なんていう、日本じみた言葉は使わない。こんにちはというのだ。すごい、アメリカにいるみたいだ。
 「あ、はい......あ、あのホワイトチョコレートモカを......」
 「はい!ホワイトチョコレートモカですね!サイズはいかがいたしますか?」
 サイズ表を見ると、ショート、トール、グランデ、ヴェンティの文字があった。すごい、すごい、これがスタバだ。噂には聞いていた。しかし、僕はそこで戸惑わなかった。事前にネットで調べていたのだ。震える唇を必死に抑えながら、僕は言った。
 「ヴェ......ヴェ、ヴェンティで、ホットでお願いします......」
 「はい、かしこまりました!できましたらお渡ししますので、あちらの赤いランプの下でお待ちください!」
 赤いランプ、赤いランプ、あ、あそこだ。赤いランプ。ぼやけた視線の隅に、赤いランプがぼーっと灯っていた。すごい、赤いランプ。スタバはカウンターで商品を渡さない。赤いランプの下で渡すのか、すごい。僕はふらふらと赤いランプの下へ向かった。僕と同じように、コーヒーを待っている人が数人立っていた。頭上にはしっかりと、赤いランプが灯っていた。赤いランプ。間違いない、ここだ。ぼーっと赤いランプを見つめていると、クラクラしてきた。僕はいま、ホワイトチョコレートモカのヴェンティサイズを待っている。ホワイトチョコレートのモカ。一番おっきいサイズ。赤いランプ、ホワイトチョコレートモカコモドドラゴンブレンド、若者たちの笑い声。ホワイトチョコレートモカ、赤いランプ、赤いランプの下ーー。

 

 気づいたら、百年の時が経っていた。一緒にコーヒーを待っていた周りの人々は、誰もいなくなってしまった。「本日のコーヒー」は相も変わらず提供されていた。

 「本日のコーヒー ホット 彗星の尾の先・月の裏側
          アイス ヤマタノオロチブレンド」

 すごい、相変わらずすごい。これがスタバだ、すごい。僕は月の裏側にあるコーヒー豆農場のことを思った。すごい、無重力で栽培されたコーヒーはどんな味がするんだろう。きっと味わったことのない味なのだろう、すごい。すごい。あ、そうだ。僕はコーヒーを待っていたんだ。ふとそのことを思い出した。ホワイトチョコレートモカのヴェンティサイズ。ホワイトチョコレートのモカで一番おっきいサイズ。そうだ、あぶないあぶない。まだかな、ホワイトチョコレートモカ。いつ渡されるんだろう、まだかな。
 相変わらず名前は呼ばれない。赤いランプをぼーっと見つめたまま、僕はいまでもランプの下で、名前が呼ばれるのを待ち続けている。

頼りない言い訳持って向かうから赤いランプの下で待ってて

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