百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

夢で逢えたら

 昔、一緒にバンドをやっていた、軽音楽部の後輩Dくんと久々に会った。「アコギを買いたいけど、わからないからついてきてほしい」とのことだった。吉祥寺駅サーティーワン前で待っていると、全身黒にネクタイ、ハンチング帽に青っぽいサングラスという、出で立ちで現れた。「アジア映画に出てくるマフィアの下っ端かよ」と言うと、「俺、人からなめられやすいんで、こういう恰好してないと、変な奴に絡まれるんです」と言っていた。相変わらず変なやつだと思った。

 話を聞くと、大学に進学したが「行っても意味ない」と途中で思い中退し、続けていたバンドもやめて、塾講師として働いていたけど「俺はやっぱり音楽をやっていたほうがいいんじゃないか」と思い立ったらしく、一人でできるアコギを買おうと思ったらしい。「キラキラってよりも、中音域が豊かなやつがほしいんですよね」と、こだわりがあるらしく「あれ、ギター弾けたっけ?」と聞くと「いや、まったく弾けないっす」と言った。ヤマハとモーリスのアコギを僕が試奏して、結局モーリスを買っていた。

 Dくんは二個下の後輩で、僕が高校三年生のときに、とある学生のバンドコンテストに出るために、一緒にバンドを組んでいた。そのコンテストには、同級生と組んでいたバンドで、一年生のときから毎年出場していたのだが、友達を多く呼ばないと決勝へ進めないようなシステムの大会で、友達が少なかった僕らはいつも本戦で敗退していた。その思いもあって「どうせ最後だしな」と思ってやけくそに近い感情で始めたのが、そのバンドだった。メンバーが全員アホだったので、このメンバーしかできないことをやろうと思って「青春ポストパンリバイバル」と銘打って、アークティックモンキーズやブロックパーティー、フランツフェルディナンドのパクリみたいな曲をやっていた。

 結局、なんとか予選を突破して、コンテストの本戦へ進むことができ、あと二票入っていれば決勝へ進むことができた、というギリギリのところで敗退した。嬉しかった反面、ちゃんと曲を作っていた同級生とのバンドは、毎年惜しいところにも来れなかったことが、悔しかった。「まあでも、コンテストなんてそんなもんだよな」とむりやり自分を納得させた。

 コンテストの会場が吉祥寺だったこともあり、Dくんと「懐かしいね」なんて言いながら二人で飲んでいると「俺、日々のゆくえめちゃめちゃ聞いてますよ」と言われた。とても嬉しかった。Dくんは銀杏ボーイズが大好きなやつだった。それなら銀杏やろうと最後の文化祭で一緒に『夢で逢えたら』をカバーした。当時、僕はまさに『夢で逢えたら』みたいな状況だったので、歌詞が人ごとには聞こえず、複雑な思いで歌った。

 「Dは知らなかったと思うけど、実は俺あの時、ゴリゴリに失恋したばかりで、夢で逢えたら歌ってる最中、ちょっと泣きそうになってたんだよね」と伝えると、ゲラゲラ笑いながら「いや、なんか練習の時より、妙にエモいと思ったんすよね」と言っていた。女の子にフラれて、文化祭で銀杏やるって、今思えば、この世のダサさの極みのような行為だし、良くも悪くもダサいバンドだったが、普段の自分にないテンションを出すことができた唯一のバンドだったので、とても楽しかった。

 Dも銀杏を愛していたような、モテない男だったが、高校を出てからは何人かの女の子とお付き合いしたらしく、恋愛経験の少ない僕に対して「先輩は考え過ぎなんすよ、付き合うってそんな難しいことじゃないっすよ」とアドバイスをかましてきた。風俗通いのやつに言われてもな、と思いながら、Dは僕と違って自分に自信があってマメな、魅力的なやつだったので、なるほどな、と妙に関心するところもあった。彼はその日、九割くらいは下ネタしか口にしていなかったが、そんな自然体なところも、彼の魅力なのだろう。

 銀杏ボーイズはもうほとんど聞かなくなったし、今は青春パンクとは、ほど遠いような音楽をやっている。だけど、こないだ自分達の企画をやったとき、ライブの後に友達から「青春パンクだと思った」と言われた。それがどこか嬉しくて、高校時代に銀杏をカバーしたことや、よく聞いていたことを思い出した。自分になかったあのテンションを出すことができたのも、思えばDくんがきっかけだった。バンドをやめたけど、諦めずにギターを手にしたDくんの歌を、いつか聞けることを楽しみにしている。

君に好きな人がいたら悲しいけど

君を想うことが

それだけが僕のすべてなのさ

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