百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

夜とドーナツ

 大学時代、ずっとドーナツ・ショップで働いていた。「ドーナツ・ショップ」って表記すれば村上春樹的な、あるいはアメリカの青春映画に出てきそうな、冴えないけどクールな主人公みたいなイメージがつくかなと思ってそうしてみたが、ただの”日本で一番有名な某ドーナツ屋さん”のことである。高校のときはずっと回転寿司屋で働いていて、受験を機にやめてから、新しく始めたのがそこだった。特にドーナツが好きなわけでもなく、母親がたまに買ってくるのをもらっていたくらいで、店にも行ったことはなかったが、当時の友達が別の店舗で働いていたのと、なんとなく「ドーナツ・ショップ」で働いている、と思ったらかっこいいかな、という邪な気持ちで決めた。

 僕の想像していた「ドーナツ・ショップ」というのは、派手な内装の店内に、ピンクや青、赤みたいなケミカルな色に着色されたチョコレート・ドーナツがたくさん陳列されていて、昼休みの時間には太った黒人の警官が、それをでかいコーラと一緒にバクバク食べている、みたいな感じなのだが、東京の外れのショッピングモールにあるうちの店舗は、そういった光景とは無縁で、コーヒーやカフェオレを手に昼下がりのお喋りを楽しむマダム達であふれた、なんとも長閑で平和なお店だった。

 一緒に働いているスタッフの中に、Kさんという人がいた。Kさんは三十を少し過ぎたくらいの、恰幅のいい、黒縁メガネの似合う人で、かれこれ七年近く働いている、バイトの中でも一番歴の長い人だった。Kさんは仕事上のミスをよくする上に、毎回言い訳をする困った人だったが、どこか憎めないキャラクターで、僕を含め、スタッフのみんなからマスコット的に親しまれてきた人だった。スタッフみんなに「早く痩せろ」「痩せないと面接も通らない」と言われ、ダイエットを決意したその日の夜に、事務所で特盛りの牛丼を食べていたし、仕事でミスをしたときも「いやあ、ちょっと風邪引いてて......」と小学生のような嘘をついていた。そんなところも含めて、Kさんの独特な魅力になっていた。

 僕がバイトを始めて少し経ち、Kさんとも段々と打ち解けてきた頃、唐突に「そろそろ就職するから、○○ともお別れだな」と言われた。僕は「残念だけど、大きな一歩だし頑張ってほしいなあ」と純粋に思っていたのだが、結局、僕が大学卒業を機にバイトをやめるまで、ずっとお店にいた。他のスタッフの人に聞くと、あれはKさんの口癖らしく、僕もやめるまで五回くらいはあの言葉を聞いた。Kさんはそんな、ことあるごとに良い恰好をしたがる人だった。例えばこんなこともあった。

 ある日、Kさんが、いつも彼を冗談混じりにいじっていた高校生のTくんを相手に、一対一のバスケ対決を申し込んだ。負けたら、試合を見に来たスタッフを含め回転寿司を奢るという、高校生相手には酷すぎる条件の下、わざわざ市民体育館を借りてその試合は行われた。まるでギャグ漫画のような話だが、Kさんは少し前からバスケを始めていたらしく、余程の自信があるようで、試合前から意気揚々と「○○、俺絶対勝つから見に来なよ」と何度も誘われ、「当日は用事があって行けないんですけど、応援してます!」とKさんを応援することにした。なぜなら僕以外のスタッフがみんなTくんに賭けていたからだ。普通に考えて、体重100キロに近い三十路の男が、高校三年生の身体能力に勝てるわけがない。馬鹿げた試合のようで、Kさんの目は本気だった。Tくんの日頃のKさんに対する「痩せないと絶対彼女できないっすよ」「絶対童貞ですよね」といういじりに、よほど堪えかねていたのかもしれない。とは言っても、二人はトムとジェリーのように、喧嘩しつつも仲が良かった。

 試合は即座に行われ、僕も結果を楽しみにしていたのだが、試合後にバイト先でKさんと一緒になっても、試合の話が飛び出してこない。試合が行われるまでは、「○○、一緒にただで寿司、食っちゃおうぜ」とか「太ってるって言われるけど、これ全部筋肉だから」と、あんだけ意気込んでいたのに、その話がパタリとなくなってしまったのだ。「ああ、負けちゃったのかな」と思っていたら、案の定そうで、ほぼコールドゲーム並みに大差をつけられ、負けてしまったらしい。考えてみたら、どう考えたって身長180cm越えの高校三年生に勝てるわけがない。それは本人にとっても明白だったはずだ。きっと、ひねりすぎた愛情表現で、後輩のTくんにご飯の一つでも奢ってあげたいけど、いつもいじられている身として、そのまま奢るのはどこか癪に触る。だから、バスケの対決という名目で、ちょっと運動しながら遊んで、わざと自分が負けて、その後に寿司でも奢ってやるか、という話だったのだろう、というオチを自分の中でつけて、無理矢理納得した。Kさんはそんな後輩想いで男気のある人でもあったからだ。

 ある日、Kさんから、僕がバイトをやめる前に二人で飲みに行こうと言われ、駅前に新しくできた鳥貴族に二人で行った。思えば、僕にとって人生初の”サシ飲み”だった。Kさんはそれまで、飲みに行ってもカシスオレンジ一杯で顔を赤くしてたのだが「今日は俺、いっちゃおうかな」と、生まれて初めて飲むらしい、焼酎を何杯もあおっていた。そんな、いつも通りのKさんの”イキり”を見ながらも、「もうこんな光景を見るのも最後かあ」となんだかしみじみ思っていた。バイト先の男性で、彼女がいないのが僕とKさんだけだったので、変な仲間意識が生まれていたようで、しきりに「今年こそは頑張ろうな」というような話を延々と聞かされていた。僕としても「いやKさんは痩せたら絶対彼女できますよ」と適当な相づちを打っていた。半分本心でもあった。Kさんは「○○だけだ、わかってくれるのは」と言っていた。まるで『ヒメアノ~ル』や『ヒミズ』みたいな、古谷実漫画に出てきそうなダサい二人だった。慣れない焼酎が回り、顔を真っ赤にしているKさんを見て、ふとあの時のことを訊ねた。

「そういえば、ちょっと前にTくんとやったバスケの試合、どうだったんですか」

 Kさんは、神妙な面持ちになり、「ああ、あれね......」と深く焼酎を煽ると「実は負けちゃったんだよね」と言った。その表情があまりにも真剣だったので、ああ、やっぱりKさんはTくんに寿司を奢るために、わざと試合に負けたんだな、と思いながら「なるほど......残念でしたね」と声をかけると、「いやあ、前日から風邪引いてて......本調子なら絶対勝てたんだけどね」と言った。KさんはやはりKさんだった。そんな彼の一言に半分呆れながら、どこかで親しみを感じていた。

 僕は知っていた。Kさんが趣味で小説を書いていることを。Kさんはライトノベルが好きで、ちょくちょく本の話をしては、執筆活動をしていることを聞かされていた。もしかしたら、その執筆活動での成功という夢を持っていたのかもしれない。初めて働いた会社がいわゆるブラック企業だったらしく、その挫折もあったのだろう。そう思うと、周りのスタッフのように、「早く痩せて就職して彼女作れ」とは言えなかった。周りの人の言うことの正しさを思いながらも、「そんなこと言っても、難しいよな」とどこかでKさんに自分の姿を重ねているところがあった。

 二人で飲みに行った帰り、Kさんのガタついた自転車を引きずりながら、「バイトで会えなくなると思うとちょっと寂しいですね」と言うと、「○○、バンドさ、ずっと続けなよ。頑張ってよ、応援してるからさ」と言われた。心の底からかっこいいと思った。三十路のおじさんと二人で飲んだ夜は、とても青春だった。「じゃあな」と言って漕ぎ出した自転車は、タイヤがパンクしていて、ギーッ、ギーッ!というなんとも間抜けな音を残して、Kさんは西多摩の夜に消えていった。

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あるのかないのかわからないものに

いちいち傷つけられなくていいよ

枠を除いたら

消えてなくなるようなものばかりだから

―—きのこ帝国『Donut』