百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

エキゾチズムと『入曽』

 僕が通っていた高校は、西東京に近い埼玉の田舎にあって、静かな住宅街と、果てしなく広い茶畑に囲まれた、とても小さな学校だった。僕はそこまで、最寄り駅から電車で三十分、そこからスクールバスに乗って二十分、ドアツードアで毎日一時間以上かけて通っていた。その高校のある街は、静岡茶宇治茶と並んで『日本三大茶』と呼ばれている、狭山茶というお茶が名産品で、遠くまで広がる茶畑と茶畑の間をスクールバスで走って、毎日学校まで通った。等間隔に並んで、上から風をかき回す扇風機と、綺麗に整えられた緑色の茶畑がどこか淋しげで、いろんな思い出と共に、毎日見ていたその風景が、今でも鮮明に記憶に残っている。思えば、宅録を始めた高校一年生のとき、前にも書いた美術の先生に渡そうと思って初めて作った自作のCD-Rのジャケットも、茶畑越しに遠く見える鉄塔を写真に収めたものだった。クラスの窓からは茶畑の緑色が見えたし、三年間、ほとんど一日中あの緑を目にしていた。意識的にも無意識でも、どこか不思議で、心惹き付けられるものとして、あの緑色の風景が頭に残っている。

 ceroというバンドに、『入曽』という曲がある。これは彼らのファーストアルバム、『WORLD RECORD』に収録されているもので、曲名に現れている通り、埼玉県の狭山市にある、入曽という街のことを歌った曲だ。ceroのボーカルである高城さんは、昔、日芸に通っており、所沢にあるキャンパスに通うために入曽に住んでいたことがあるらしい。

 僕が通っていた高校は、二つの駅からスクールバスが出ていて、僕が使っていた駅からのバスとは別に、入曽駅からもバスが出ていた。だから、ceroのこの『入曽』という曲を初めて聞いたとき、そこに描かれている風景や世界がすんなりと自分に入ってきた。

眠れない夜なんかには

あの町のこと おもいだす

誰も渡らない 信号機が

赤になって

青になって

また赤になる 

 ここに描かれているのは、そのまま入曽のある狭山市や、僕の通っていた高校のあった入間市辺りの風景だ。茶畑と工業施設、人間よりも多く目に入る茶畑というどこか淋しい街で、「誰も渡らない」ことで本来の役割を失っている「信号機」がただ無意味に点灯を繰り返している。しかし、そんな淋しげな歌詞が、どこかエキゾチックで陽気なメロディに乗せて歌われていることで、”入曽”という街がどこか異国の地のように、不思議な雰囲気をもって頭の中に立ち上がってくる。

そう、ここは衛生都市 茶畑とモーテル

greentea boulevard 蜃気楼の地

 ここに現れている”視線”というのは、最初の「眠れない夜なんかにはあの町のことおもいだす」という一節にも象徴されているように、東京で生まれ、青春時代のある一時期を埼玉のあの土地で過ごした人によるまなざしであって、東京まで電車ですぐ出れる距離にあるのに、東京から見たらまるで異国のような不思議な雰囲気をもったその土地を、愛着とあたたかな視線をもって歌っている。

 

 今では俳優としても活躍し、国民的な人気となった星野源をはじめとし、ハマケンこと浜野謙太や伊藤大地等がやっていたSAKEROCKというバンドも、ceroの高城さんと同じように埼玉の飯能という、西東京に近い埼玉にある、自由の森学園という、その名のとおり自由で、一風変わった校風が有名な高校の出身者で結成されたバンドであった。あのハナレグミこと永積タカシも、自由の森学園の出身だ。サケロックインストバンドであり、ドラムとギターとトロンボーンマンドリンなどが印象的なバンドだ。バンド名であるサケロックも、マーティン・デニーの曲名から取っているように、彼や細野晴臣的なエキゾチカに影響を受けていることを窺うことができる。

 

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 このライブが行われている会場も、先に説明した狭山市というところにある公園で、豊かな緑に囲まれた印象的なステージだ。ceroの高城さんは、『WORLD RECORD』を発表した際に、「ラウンジ的なエキゾ音楽のそれ以上に、寂しい地方にエキゾチズムを感じる」と発言しており、それは『入曽』のような楽曲に強く現れているが、サケロックの表現していたエキゾチズムのようなものも、高城さんのいうような、西東京寄りの埼玉のあの独特な”寂しさ”を感じることができると思う。高城さんは大学時代、サケロックの彼らは高校時代と、青春時代に埼玉のあの地域で過ごしたものしか表現できない”エキゾチズム”のようなものがあるとすれば、彼らの次にそれをやれるのは高校時代を入間市で過ごした僕だったりするのかしら、なんていう空虚な妄想を思ったりしている。

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 先日、ceroが『ロープウェー』という新曲のミュージックビデオを発表した。まず音楽がとても良くて、どこかノーベンバーズを思うこともできる、ドリーミーで耽美なギターフレーズと、北欧のような幽玄なホーンとフルートの音、そして最近流行っているトラップを思わせながら、マッチョでサグい感じがまったくない印象的なドラムパターンと、僕が好きな要素が全部つまっている。この曲のミュージックビデオで映っているのは、都会や都市というイメージからは離れた、どこか寂しげな街の映像だ。映像の中盤には、茶畑と、風をかき回す扇風塔の映像が流れていて、高校時代のあの風景が一瞬で立ち返った。また、映像が切り替わって、たった一秒足らずで映された、等間隔で並ぶ鉄塔と、淋しげに広がる茶畑のような風景を背に立って、それを振り返って見る高城さんの姿を見て、どこか胸にこみ上げるものがあった。僕が当時、毎日目にしていたあの、鮮やかな緑はモノクロームの世界となって、この曲で美しく描かれていた。大学を卒業し、二十二歳になり、歌詞にあるように「人生が次のコーナーに差し掛かって」いる、今の僕が、あの時見つめていた、あの淋しい緑色の風景を振り返ったとき、高城さんと同じように、それはすべてモノクロームに映っているのかもしれないが、きっと僕はこう思うんだろう。

色のないこんな世界が

それはそれで美しいだなんて