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百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

かなしみのレシート

 レシートというものに、必要性を感じたことが、一度もない。例えば、経費の関係で領収書を切ったり、品物とお釣りなどのミスがないように、その証明書として発行されているのはわかるが、仮に十円、百円くらいのお釣りの貰い忘れがあっても、性格上、店員に言いつけることができない(さすがに百円の買い物に一万円出して、「お釣り二円です」なんて言われたら言うけども)。だから、僕にとってレシートは、あってもなくても大差ないものなのだが、気づいたら僕の財布には、そのいらないレシートがパンパンに詰め込まれている。

 店員との、レシートいるいらないの、あのやり取りが恥ずかしい。例えば、百八円のパンを買ったとして、財布にちょうど百八円があったので、それを出す。そうすると「百八円ちょうどお預かりいたします」と言って、レシートを発行するのだが、僕はあのレシートを発行している時間が、もう恥ずかしい。あの数秒の間に「こいつ、絶対後で確認もしないくせに、レシートほしがってんじゃねえぞコラ」と思われているんじゃないか、と考えてしまうからだ。結局、発行されたレシートは財布の中へしまわれ、一度も読まれることなく捨てられてゆく。たまに「レシートご利用でしょうか?」と聞いてくれる店員さんがいるが、「あ、大丈夫です」と言ったところで今度は「あ、こいつレシートを確認しないような適当なやつなんだな」と思われているんじゃないか、と考えてしまう。

 会計の額とちょうどの値段で会計をすると、上のような”レシート待ちタイム”が訪れるから、僕は財布の中にぴったりのお金があっても、あえてお釣りが来るように出してしまう。そうすれば、「お釣りを出したから、仕方なくレシートをもらっている人」になれるからだ。もう、お店側も僕の方も得がない、無意味な行為だ。結果として僕の財布は、大量の小銭とレシートでパンパンになり、「○○っていっつも財布パンパンだよね、部屋汚そう」とからかわれるはめになる。部屋が汚いのは関係ないだろ、と思いながら、部屋が汚いのも、また確かであった。

 一時期は、ぴったりのお金を出して、すぐに商品の入った袋を手に取り、レシートが発行される数秒の間にすばやく「ありがとうございます」と言い、立ち去る、ということをしていたのだが、そのまま「ありがとうございました~!」と言ってくれればいいのに、「お客様、レシートはご利用でしょうか~?」と大きな声で呼び止められ、慌てて振り向きながら「ア!大丈夫っス!すみません」と返すはめになることが、何度もあり、やめた。店員さんとしても、お釣りのミスで責任をぶつけられたらたまったもんじゃないし、その証明としてレシートを手渡したいのは、当たり前の理屈だ。お店側にもそういうマニュアルがあるのだろう。その店員さんの気持ちを無視してまで、レシートを受け取らずに立ち去る勇気は、僕には無かった。

 相変わらず僕の財布には小銭とレシートがパンパンにつまっている。いや、違う。財布につまっているのは、僕の”かなしみ”だ。僕は、定期的にたまった”かなしみ”をゴミ箱に捨て、”かなしみ”を払うことによって新たな”かなしみ”を生む。そんな”かなしみ製造マシーン”となったこの俺を、慰める奴はもういない。

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