百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

トーチソングと『日々のゆくえ』

 自分の好きなものが、どうして好きなのか、考えることがある。しかし、それらを言葉で説明しようとすると、往往にして、うまく説明できないことが多い。好きであればあるほどだ。例えば、コード進行が巧みであるとか、情景描写がうまい、とか、技術であったり理論的な話であれば説明がつくが、それらになぜ惹かれて、なぜ好きなんだろう?と考えると、難しい。しかし、その自分の好みであったり、趣味を突き詰めて考えていくと、”自分”というものが段々と輪郭を帯びるように、見えてくることがある。
 高校生の時、三年間の片思いが破れ、ひどく落ち込んだことがあった。それは一生懸命アプローチして、頑張った結果ダメだった、というショックではなく、奥手すぎてあまりにも何もできなくて、その自分の不甲斐なさに落ち込んだ。それから一週間くらいは、自室でただ何も考えず、ボーッとするだけの日々を送った。ちょうど卒業前の時期だったので、「こんなんで大学生活はうまくいくんだろうか」と不安になった。そんな時に、ある一曲に出会った。その曲を聴いた瞬間、目が覚めるような思いがした。

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 ボン・イヴェールは、ジャスティン・バーノンを中心としたアメリカのフォークバンドで、この『Holocene』という曲は、グラミーの最優秀新人賞を獲得した、2ndアルバムに収録されている曲だ。初めてこの曲を耳にした時、心がすーっと軽くなっていくような、不思議な感慨があった。アイスランドで撮影されたというPVも相まって、ジャスティン・バーノンの歌声が遠いようでとても近い、不思議な距離で聞こえた。あまりにも響いてしまって、一日に何度も何度も繰り返し再生した。ジャスティンの個人的なイメージと、追憶がごちゃ混ぜになった歌詞が、不思議なリズムの、美しいギターのアルペジオに乗っていて、こんなにうつくしい曲があるんだ、とびっくりした。
 大学に入ってからしばらくして、『Holocene』と同じような響きを持った曲に出会った。それがTobias Jesso Jr.の『True Love』という曲だ。

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 Tobias Jesso Jr.はカナダ、バンクーヴァー出身のシンガーソングライターで、アデルや元ガールズのチェット”JR”ホワイトに才能を認められて、デビューしたアーティストだ。この『True Love』という曲は、ピアノ一つと歌だけのシンプルなものだが、古びたテープに通したような、チープなピアノの音と、ささやくような歌声が、ボン・イヴェールと同じように、不思議な距離感を持って響いた。
 ジャスティン・バーノンやTobias Jesso Jr.の良さを語るのであれば、うつくしいメロディや、時代に囚われない音楽性、詩的な歌詞など、いくらでも言うことはできるが、それよりも彼らの曲が自分の耳に、同じような感慨を持って聴こえたのが不思議だった。調べていくと、二人の経歴にこんな共通点があった。
 ボン・イヴェールこと、ジャスティン・バーノンは、ノース・カロライナでやっていたバンドがダメになり、恋人と別れ、病気に罹り、その心と身体の傷を癒すようにして、故郷であるウィスコンシン州に戻り、森の奥の雪に閉ざされた小屋で、曲を作るようになったらしい。まるで映画のような話だが、それは幽玄で幻想的な、彼の曲の魅力を裏付けている。一方、Tobias Jesso Jr.も、母の病気や、大きな失恋を経て、ロサンゼルスから故郷バンクーヴァーへと戻り、運送会社で働きながら、妹の残したピアノをきっかけに曲作りを始めていった。
 二人とも、失恋や病気などの挫折を経て、故郷に戻り、”自分”のために曲作りを始めた、というソングライターであった。この事実を知ったとき、びっくりしたのと同時に、彼らの音楽を通して、”自分”というものの輪郭が少し掴めたような気がした。
 高校時代、三年生最後に大きな失恋を経て、あとは大学入学を待つだけの時期に、急に曲がたくさん書けるようになったことがある。それまでも、宅録は続けていたのだが、自分の中で、とても”しっくり”くる曲ができたのは、その時が初めてであった。失恋によるショックに耐え切れず、フラストレーションを吐き出すように曲を作った。その曲達は、やがて『日々のゆくえ』という一つのアルバムになった。僕自身、ジャスティン・バーノンや、Tobias Jesso Jr.のように、挫折を経て、東京の外れ、裏は大きな山になっている実家の小さな自室で曲を作るようになった。
 作家の村上春樹は、自らの”小説を書く”という行為を、次のように語っている。

「なぜ小説を書きはじめたかというと、なぜだかぼくもよくわからないのですが、ある日突然書きたくなったのです。いま思えば、それはやはりある種の自己治療のステップだったのだと思うのです」

 僕にとっても、そして彼らにとっても、”曲作り”という表現を行うことが、そのまま「自己治療のステップ」であったのだろう、と思う。そして僕が惹かれる音楽、小説、絵画などは、総じて、そういった”自分のために”作られた表現であることに気づいた。この”気づき”は自分の中でとても大きいものだったし、一つの指標のようなものになった。
 去年、突如として現れ、一気に知名度を上げていった、Whitneyというバンドがいる。このバンドに『Golden Days」という曲がある。

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 この曲を初めて聴いたとき、一瞬で心を持っていかれた。楽器の音も、アレンジも、ジュリアンの特徴的なファルセットボイスも、完璧だと思った。それと同時に、やはり先に述べた二人のような、不思議な響きがした。Whitneyは以前Smith Westernsを組んでいたギターのマックスと、ドラムボーカルのジュリアンによって結成されたバンドだ。この二人は、お互いに恋人にフラれ、住む場所を失い、そのままマックスの実家があるウィスコンシン州の小屋で暇つぶしに曲を書くようになったらしい。失恋した上に、”ウィスコンシン州の小屋”で曲を書きはじめた、というところまで、ジャスティン・バーノンとまったく同じで、よくできすぎた話だが、二人の音楽は、まったく違うアプローチでありながら、やはり同じような響きを持って聞こえる。この間、彼らが日本に来日していて、ライブを見に行ったのだが、ジュリアンが酔いすぎたために40分ほどで帰ってしまった。観客からはブーイングが飛び、僕としても非常に残念だったが、去り際のジュリアンのナイーブそうな目つきを見つめていたら、「そうだ、そうなんだよな」と妙な納得と、しみじみとした感慨があった。
 自分の好きなもの、惹かれるものがなぜ好きなのか、という理由を辿っていくと、その手つきや足つきというものはしっかりと残っていて、それを考えていくことが、”自分”というものを考えていく作業なんじゃないかと思う。上の三人はできすぎた話のように、似通っているが、最近ではRadioheadの『Daydreaming』であったり、Dirty Projectorsの『Little Bubble』にも同じ響きを感じる。やはり、彼らも調べていくと、”挫折を経て自己治療のステップとして曲を書いた”りしていて、それらが同じ響きを持って届くのは、不思議だし、面白さでもある。
 高校時代好きだった女の子は、自分とびっくりするくらい趣味趣向が被っていて、それを知ったとき、勝手に運命じみたことを夢想していた。だからこそ、どうしてダメだったんだろう、とか女々しい追憶を繰り返していたが、以前、大学の友達にその話をしたら、「⚪︎⚪︎はそう思ってたし、自分と同じような趣味や考えの女の子がいたら俺でもそう思うと思うけど、趣味趣向とか関係なく、ただ単にゴリゴリにフラれてたんだろうなあ」と言われた。目が飛び出そうなくらい衝撃的だったし、その通りだ、と思った。僕は自分の好きなものや、趣味趣向だけに囚われていて、自分自身の魅力であったり、良さのようなものはほとんど見えていなかった。当時の僕は、前髪が異様に長くて、何考えてるかわからないような変なやつだったので、僕が女の子でもそんな、変なやつと付き合いたいと思わなかったであろう。そんな、至極当たり前のことに、気づかないまま数年間もやもやと考えていたのだが、その友達の一言で一気にそれらが晴れた。そんな友達の発言を聞いて、僕の残念な失恋や、過去を振り返ってみると、それらは、ボン・イヴェールの『Holocene』の最初の一節に集約されていたのではないか、と思う。

"Someway, baby, it's part of me, apart from me."


「なんとなくあれも自分の一部って気がする。もう手が届かないけどね」