百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

『お別れの音』とハヤシくん

 よく通っているコンビニエンスストアに、ハヤシくんという店員がいる。僕の家からは、歩いていける距離に二つ、コンビニがあって、右と左にそれぞれ一つずつ、セブンイレブンがある。右側にあるセブンは、少し小さめの、家族で経営しているような、アットホームな空気感が流れるところで、左側にあるセブンは対照的に店員さんの愛想は悪いが、品揃えが豊富な店舗だ。距離としては左側のセブンの方が近いのだが、僕は右側のアットホームな雰囲気が好きで、よくそっちに通っている。
 ハヤシくんは、僕と同い年か、少し上くらいの人で、赤ちゃんのようなもっちりとした肌に、「いらっしゃいませ〜!」と、少し甲高いエンジェルボイスが特徴的な店員さんだ。このハヤシくんが、とてもおっちょこちょいな人で、お釣りを間違えたり、備品の入れ忘れがあったり、なにかとミスが多い。だけど、その雰囲気から伝わる誠実さが好きで、積極的にハヤシくんのレジに並んでしまう。ハヤシくんの「ありがとうございました〜!」を聞くと、こっちまでどこか清くなれたような気がする。
 ハヤシくんは、そんな不思議な魅力を持った店員さんなのだが、一つ疑問に思っていることがある。それは、彼のレジでお酒を買おうとすると、毎回のように年齢確認をされる、ということだ。セブンイレブンは、ご存知の通り、お酒やタバコなどを購入しようとすると、レジのタッチパネルに十八歳以上か否かの確認ボタンが現れ、外見から明らかに大人な人でも、それを押さないと買えない、という仕組みになっている。
 問題はそこからで、僕は何度もハヤシくんのレジでお酒を購入したことがあるのに、なぜか毎回、申し訳なさそうに「すみません......年齢を確認できるものをご提示お願いします」と言われる。最初の二、三回は、「ここの店舗はそういう決まりになっているのかな?」とか「ハヤシくんに顔を覚えられてないのかな」と思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。僕としても、「あれ、ここって毎回提示しないといけない決まりだったりしますか?」と聞けば解決する話なのかもしれないが、僕の性格上、そういうことは聞けないし、単純にそのやりとりがどこか面白くて、何も言わずに爆弾魔みたいな目つきの証明写真がついた免許証を提示した。しかし、何十回もそういうやりとりを繰り返していると、僕が免許証を手渡した瞬間に、「ご協力ありがとうございま〜す!」と、速攻で返される。もうほとんど免許証に目を通していないし、年齢確認、というやり取りが完全に形骸化している。
 だけど、このまったく意味のないやり取りが、僕は好きだ。客と店員という関係で、業務以外のことで一言も話したことはないが、お互いに「わかりきっているのに、年齢確認をする」という行為で、不思議なつながりが生まれている。マニュアル化されすぎた接客を、突き詰めたことで、マニュアルからはみ出した行為になっているのだ。


 青山七恵という作家に、『お別れの音』という作品がある。青山七恵は二○○七年に『ひとり日和』で芥川賞を取った、若手の女性作家で、僕は処女作『窓の灯』を読んでファンになり、そこから彼女の作品を読み続けている。『お別れの音』は六つの作品が収録された短編集で、タイトル通り、「別れ」をテーマにした作品が収められている。
 青山七恵は、極めてミクロな視点で物事を見つめる作家だ。彼女の書く小説には、大きな展開やどんでん返しのようなものはなく、物語と言えるのかも曖昧なくらい、淡々と話が進行していく。処女作『窓の女』は、向かいの部屋の窓を覗くことを日課とする女性の話で、芥川賞をとった『ひとり日和』は、突然始まった、七十一歳の吟子さんとの同居生活を通して、成長していく女性の話だ。彼女の作品は、あるカップルの話を書くわけでもなく、不倫関係にある男女を描くわけでもなく、強い絆で結ばれた友情を描くわけでもない。窓越しに生活を覗き見る、見られるという関係や、五十も離れた同性との同居など、極めて現代的な、ある種希薄とも言える関係性を、丁寧に見つめ、文章を織りなしていく。その複雑に編み込まれた関係性を、上から見ると、一つの模様になっている、とでもいうような独特な”視線”が、青山七恵の一番の特徴であると思う。『お別れの音』に収録されている作品も、そんな彼女の”視線”があらわれている話だ。
 『お別れの音』は、先に述べた通り、「別れ」が主題にある作品が収められているが、その「別れ」というのが、あるカップルや、男女の別れではなく、店員と客であったり、会社のよく話したことのない上司、などほとんど他人とでもいうべきような存在との「別れ」で、ここに青山七恵らしさが強くあらわれている。例えば、最初の『新しいビルディング』は、入社したばかりの主人公マミコが、大して話したこともない先輩上司、フジクラの妊娠、そしてそれによる退社の報告を受け、やがてその退社日を迎える、というだけの話だ。なんの起伏もない、ただの日常を切り取っただけのような話だが、タイトルの『お別れの音』という言葉通り、物語には”音”が効果的な仕掛けとして登場している。

「キャビネットの脇に置いてある急須に茶葉を入れ、ポットのお湯を注いだ。いつもはビル建設の音にかき消されてしまうような音なのに、今日に限っては、どの金属音よりも耳の近くで聞こえるような気がした」

 フジクラが会社にいる最後の日、初めてマミコはフジクラと言葉を交わす。そのことによって、フジクラが「お茶を淹れる」という、ただそれだけの些細な生活音が、いつもと違った響きをもって、マミコに聞こえる。彼女にとってビルの建設音は、日常性を伴った音だったが、その日常性に”揺らぎ”が生じているのだ。

「向かいのビルの名前、知ってます?」
 食べながら、フジクラがマミコに問いかける。
「いえ、なんて言うんですか」
「さあ。ヒグチさんなら知っているかと思って。よく見てるから」

 二人が交わした、初めてのまともな会話。マミコは「向かいのビル」の名前を知っていたが、知らないふりをする。このフジクラの「ヒグチさんなら知っているかと思って。よく見てるから」という発言によって、”観察者”として、”見る”側にいたはずのマミコが、フジクラから”見られる”側として存在していたことを知る。それによって、マミコの日常性に、一つの揺らぎが生じる。物語の最後、マミコは”何か”を思い出そうとするが、外で鳴り響くビルの轟音、つまりは日常性によって、かき消されてしまう。これは、誰もが経験したことあるような、日常の中の些細な揺らぎや動揺であり、それは”かなしみ”でも”怒り”でもなく、名前のつけようのない感情である。青山は、そういった揺らぎを丁寧に描き出しているのだ。
 僕が『お別れの音』の中でも特に好きなのが、『うちの娘』という作品だ。これは、大学の食堂で働く、雪子という女性が、いつもわかめうどんを頼む女学生に対して、段々と娘のような感情を持つ、という話である。雪子のそういった感情は段々と強くなり、ストーカーまがいの行動をしだしたり、最後には、その女学生が付き合いだした男の子に対して、説教じみたことをぶつけるようになる。
 毎朝、電車で一緒の車両に乗っている”あの人”や、近くのスーパーのかわいい”店員”さんなど、無意識に、または意識的に特定の”他人”を捉えていたことはないだろうか。きっと、誰もがそういった経験をしながら、日常性の中に取り込まれ、意識のどこかに取り残したまま、忘れていく。青山七恵の”視線”というのは、対象は見つめていないが、たまたま視界の隅に入ったような映像だ。そんなふと目にしてはすぐ消えてしまうような、場面、偶然耳に飛び込んできた音のようなものを、一つ一つ丁寧にすくい上げて、描いているのだ。
 僕とセブンイレブンの店員、ハヤシくんのように、それまで”他人”であり、今も”他人”であるはずなのに、その関係性に”揺らぎ”が生じることがある。それが、僕にとっては、年齢確認という行為だった。しかし、最近そのハヤシくんからの年齢確認が無くなった。なぜだろう、と思って考えてみると、先月、大阪でライブをするために、そのコンビニからギターを送ろうと手続きをしていて、ダンボールのサイズ的に宅急便で運べるかわからない、ということになり、ハヤシくんが「もしかしたらサイズ的に持っていってくれないかもしれないんですけど、いつも来てくださいますし、聞かれても黙っておきますね」と気を使ってくれたことがあったのを思い出した。
 その時僕は、「ハヤシくんは僕の存在を、ちゃんと認識してたんだな」と初めて気づいた。何百回と通っているんだから当たり前といえば、当たり前な話なのだが、『新しいビルディング』のマミコと同じように、観察者であったはずだったのに、いつの間にか僕は”見られる”側の存在でもあった。多分、あの時のやり取りで、ハヤシくんの中でも、僕への認識が変わったのだろう。それから年齢確認をされたことは、一度もない。
 昔、好きだった女の子に似ていた、イオンモールの金券ショップのお姉さんや、ハヤシくんと同じコンビニで勤めていた大山のぶ代に声も見た目もそっくりなおばちゃんは、いつの間にかいなくなっていた。どちらも意識の片隅のほうで捉えていただけの存在だったが、いなくなったことに気づいた途端に、一気に表層化した。ハヤシくんも、彼女達と、そしてフジクラや女学生と同じように、いつの間にかいなくなってしまうのかもしれない。特別、深い興味があるわけでもなければ、なんとも思っていないわけでもない。だけど、彼がセブンイレブンを去る前に一度、他愛もない話ができたらいいな、なんてことを思っている。