百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

『サブマリン』について

 自分の理想を具現化したかのような、完璧な作品に出会うことが、たまにある。音楽や小説、映画といったようなものは、たくさんの作品に触れていくうちに、個人の好みというものが段々と固まっていくが、僕はその好みの幅というものが、他の人に比べて狭い。しかし、そんな狭い隙間にぴったりフィットするような、作品がたまに現れることがある。

 『サブマリン』という映画が、その内の一つだ。これは二○一○年に製作されたイギリス映画で、風変わりでクラスから浮いている、十五歳の少年、オリバーの恋愛、家族、妄想など、思春期故の悩みや、成長を描いた作品だ。この作品を知ったのは高校生の時で、大好きなArctic Monkeysのボーカル、アレックス・ターナーが劇伴を担当している映画があることを知り、探している内に、この動画に出会った。

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 『サブマリン』のトレイラー映像に、劇中のラストに流れる「Stuck On The Puzzle」という曲が乗っているものなのだが、初めて見たとき、この3分ちょっとの映像と音楽に、一気に心を持っていかれた。僕は「I Bet You~」や「Brianstorm」のような、Arctic Monkeysらしいポストパンリバイバルな曲も好きだが、それ以上に「Only Ones Who Know」や「Riot Van」のような、アレックス・ターナーのメロウでロマンチックな一面が好きだ。

 この「Stuck On The Puzzle」は、アレックス・ターナーのそういう一面が強い曲で、トイピアノのような揺れるピアノのリードフレーズに、おもちゃの楽隊が叩いてるかのような、シンプルなドラム、子供が背伸びしてロマンチストを気取っているような、無垢だけど少しせつないメロディが印象的で、一度聞いただけで、神さまみたいな完璧な曲だと思った。どうしても、この『サブマリン』が見たかったのだが、当時はミニシアターでたまに流れてたくらいで、日本語訳でDVDなどが流通しておらず、初めて本編を観れたのは、大学生になってからだった。

 まず、主人公オリバーを演じる、クレイグ・ロバーツの目がとても好きだ。アレックス・ターナーの若い頃を思わせるようなポーカーフェイスで、物憂げでぼんやりしてるけど、どこか真っ直ぐな目付きにとても惹かれる。彼が演じるオリバーは、空想ぎみで、授業中に、もし自分が死んだら、立派な葬式が挙げられ、クラスメイトはテレビの取材で自分のことを嘆き悲しむ、なんて妄想を繰り広げる、クラスでも浮いている男の子で、恋人を家に招待するときにわざわざ家を飾り付けて、スーツで出迎えるような、どこかユニークで、自意識過剰な一面もある。

 そんな彼は、クラスメイトで、同じくクラスから浮いている、ジョーダナに恋をする。このジョーダナを演じているヤスミン・ペイジも素晴らしい。目鼻立ちのしっかりした、海外の女優らしい顔つきではなく、そばかすの多い丸顔で、いつもふくれっ面なのだが、どこか惹かれる、『ゴーストワールド』のイーニドに似たかわいさがある。ジョーダナは小悪魔とでもいうような女の子で、オリバーはそんな彼女に振り回される。

 物語としては、遊び半分に彼を振り回すジョーダナと、そんな彼女と”恋人”になったと舞い上がり、期待を膨らませるオリバーの、短い恋というのが大筋なのだが、それがArctic MonkeysやVampire Weekendなど、様々なバンドのミュージックビデオを手がけたリチャード・アヨエイドらしい、瑞々しくてユニークな映像と演出をもって繰り広げられる。日本ではミニシアターのみの公開だったし、特別高い評価を受けた作品ではないが、僕にとっては特別な一本となった。なぜなら、クレイグ・ロバーツ演じるオリバーの姿に、自分をとても重ねてしまったからだ。

 コインを投げたり、フランスの音楽を聴いたり、帽子に凝ったり、人があまり感心を持たないような変なことにハマっては、すぐに飽きたり、自意識過剰で変な方向に考えが行ってしまったり、ジョーダナのような女の子に振り回されたり、オリバーの行動や考えの一つ一つがとても自分に重なった。僕も江國香織に影響されて、カフェオレボウルで紅茶を淹れて飲んでみたり、谷川俊太郎に憧れて瓶詰めの金平糖をデスクに置いてみたり、アメリカの映画に影響されて、赤い大きなプラスチックカップでジュースを飲んでみたり、人がどうでもいいと思うようなことにハマっては、すぐに飽きる。高校一年生の時に生まれて初めてできた彼女も、ジョーダナとそっくりのショートカットでそばかすだらけの女の子だったりして、自らを映画の主人公に重ねるのはちょっとイタいな、と自分でも思うが、いろんなことが重なってすごく作品に入り込んだ。初めてできた彼女は、ジョーダナと同じように、彼氏と別れたばかりの時期に僕と付き合って、数ヶ月もしない内に、新しい人を見つけて去っていった。あまりにも悲しかったので、一週間くらいは家から出られなかった。

 僕はオリバーみたいな素敵な男の子ではないし、『サブマリン』のようなうつくしい経験をしたわけでもないが、僕の思い出したくないような記憶や風景さえも、うつくしかったのかもしれないと、リチャード・アヨエイドは思わせてくれた。きっと彼は全世界の僕のような、自意識過剰で女々しい人間のためにこの映画を作ってくれたんじゃないか、と思う。そして、僕が作中でも、特に好きだったのは、オリバーがジョーダナへ送ったラブレターだった。

親愛なるジョーダナへ

君の体に触れさせてくれてありがとう

小さな潜水艦に乗って僕の中身を見てほしい

君はすばらしい人だ

オリバーより

 

 「小さな潜水艦に乗って僕の中身を見てほしい」という言葉が、あまりにも詩的で、なおかつ巧みだ。『サブマリン』というタイトル通り、この映画の一番の主題は、この一行にある。作中では、水溜りやプール、お風呂など、様々な「水」のイメージがところどころに登場しており、父親海洋学者の設定だったりして、「水」のイメージは明らかに物語の”仕掛け”として描かれている。またその対比とでもいうように、「火」のイメージも多く登場し、二人で過ごした部屋のロウソクの火や、マッチの灯、花火を持って駆け回るシーンや、ゴミ箱から出火するシーン、初めてキスした時のカメラのフラッシュなど、ジョーダナと共に過ごした場面では印象的に「火」のイメージが使われている。

 物語終盤、家庭の問題と、ジョーダナとの問題に板挟みになり、失意の底に落ちたオリバーは、妄想の中で海に飲み込まれる。その後、カメラがすぐに切り替わって、大きなプールに制服のまま飛び込み、お風呂で自ら水中に身を沈める姿が映る。そして、その身を押さえつけているのは、オリバー本人だった。

 ラストシーンで、オリバーはジョーダナのいる海へと走る。オリバーはジョーダナに、目の前に広がる「海の深さ」を自分に尋ねるように言う。ジョーダナは訝しげな表情を見せながらも、オリバーに海の深さを訊ねる。オリバーは「6マイル」と答え、ジョーダナは「そう」と頷くと、二人は海の方へ向き直し、少し笑顔を見せて物語は幕を閉じる。

 そもそも、オリバーは、自分の中に広がる「海」の深さを知らなかった。そして、知ろうともしていなかった。いつも水面下にいて、まるで潜水艦の覗き穴からこちらを覗くようにしか、物事を見つめていなかった。”自分”という存在は、いつだって一番近くて一番遠い、”他人”だ。その自己の輪郭をはっきりさせるのは、また別の”他者”という存在を通してこそだ。オリバーは、ジョーダナと出会うことで、その”自分”というものが段々と輪郭を帯び始める。家庭の問題、そしてジョーダナとの問題に挟まれ、大きな挫折を経て、オリバーは自らの意志で海に沈み、プールへ飛び込み、そして浴槽の中に自分を自分を押し込めたのだ。それは、”自分”という”海”の深さを知るために、必要な行為だった。だから最後、オリバーは自らの”海”の深さをジョーダナに伝えなければならなかった。そのオリバーの成長を、この映画では、”水”のイメージという巧みな暗喩で、見事に描いているのだ。

 最後、オリバーの心象風景がそのまま現れたかのような、うつくしい夕暮れの海で、二人は微笑む。空白を残したまま、物語は終わっていくが、僕にはこのラストシーンが、ハッピーエンドに思えてならないのだ。

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追記

 つい先日、アレックス・ターナーがプロデュースした、Alexandra Saviorというシンガーのアルバムが発表された。このアルバムに「Girlie」という曲がある。ラストシャドウパペッツや客演などが目立っていた最近のアレックス・ターナーだったが、『サブマリン』みたいな曲はもう出さないのかな、と思っていたら、この「Girlie」という曲が、とても『サブマリン』のようなアレンジや音作りになっていた。「Stuck On The Puzzle」は先にも書いたように、どこか空想がちで子供と大人の中間にいるオリバーをそのままあらわしたかのような曲だったが、「Girlie」は小悪魔的でミステリアスだけど、どこかかわいげがあって、少女らしさがある曲調とアレンジになっていて、特に意識はしていないのかもしれないが、僕はこれを聞いた時、「Stuck On The Puzzle」と対になっているような気がして、グッときてしまった。

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