百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

『春と盆暗』について

(ネタバレあり)

 今年の初めくらいに読んだ、『春と盆暗』という漫画がとても良かった。たまたま近所の本屋さんで面出しされていて、月面で、女の子が道路標識を持ちながら立っている、という不思議な装丁に一目惚れして、内容を調べずに、すぐレジへ持っていった。

 『春と盆暗』は四つの話が収録された短編集で、すべてがボーイ・ミーツ・ガールを描いたものだ。しかし、それらはありふれたものではなく、作中に出てくる女の子が、みんなどこか”変わって”いる。帯に書かれた「どうして君みたいなエイリアンを好きになってしまったんだろう」というコピー通り、まるで他の惑星から来たかのような、不思議な女の子に、主人公達が恋をしていくのである。

 一話目の「月面と眼窩」は、バイト先で出会った、とある女の子に恋をする話で、サヤマさんというその女の子は、モヤモヤしたときに、手のひらをグーパーしながら、頭の中の月面に道路標識をぶん投げてしまうという”癖”を持っている。主人公のゴトウくんはさえない男の子で、そんな彼女の不思議な”癖”に惹かれながらも、「うつるといけない」からという理由で、サヤマさんから距離をとられてしまう。

 ある日、サヤマさんが棚の上にあった重たいダンボールを、誤って落としそうになったところをゴトウが助けるが、そこでゴトウは、「落ちてくる箱は受けとめられるけど、頭の中にしかないものはどうやって掴む?」と思う。彼女の頭の中では、どんどんと道路標識が降り注いでいて、ゴトウは、段々と、そのサヤマさんのイメージの世界へ「うつって」いくのだ。そんな彼は、サヤマさんの癖を見かねて、接客中のサヤマさんにクリームパンを握らせたり、どうにかそのイメージを共有できないかと、試みるが、サヤマさんを怒らせてしまっただけで、やがてサヤマさんはバイト先から姿を消してしまう。そんな彼は、「カルシウムをとること」によって、同じ”月面”に立つことができた。

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 クリームパンの代わりに自らの手を差し出し、「カルシウムをとります」と宣言したことで、それまでいたはずの現実世界の風景は一変し、月面に二人が立っている。描写からしたら突飛な展開だが、その突飛な表現によって、わざわざ語らずとも、二人が同じイメージの世界を共有できた、ということを物語っている。他の三篇も同じように、現実世界と虚構、イメージの世界を織り交ぜながら話が進んでいくのだが、その突飛さに違和を感じない。森見登美彦的な、マジックリアリズムを感じさせる手法だが、小説であれば、絶対に言葉で説明しないと描写できないし、映画なら急なCGに違和を感じてしまう。この漫画は、”漫画”でしか成立しない表現を行っているのだ。

 その後、二人はキューブリックの「2001年宇宙の旅」(多分)を見に行く、というシーンで終わるのだが、最後に映画館の座席でサヤマさんが、「コレどうぞ」と、いちご牛乳を手渡す。ゴトウが「コレ」と言って、クリームパンの代わりに差し出したのは自分の手だった。この二人のやり取りが、暗に恋に落ちた、ということを物語っている。それを直接語らず、イメージの世界に飛躍させているところに、この漫画のすごさがある。

 僕が一番好きだったのは、二話目の「水中都市と中央線」という話だった。これは、中央線沿線の駅名を名乗って、デートだけの援助交際をしに男性とカラオケへ来る女の子と、そのカラオケ屋の店員の話だ。毎回違う名前で、違う男性と来店する彼女に、主人公のフダくんは興味を惹かれる。しかし、その子のことが気になるあまり、フダくんは中央線に乗っていても、楽しくない、と感じるようになる。フダくんは中央線が大好きな男の子だったのだ。そんな二人は、街が水中都市だったら、という空想を繰り広げたり、ぽつぽつと会話を交わすようになる。ある日、女の子はカラオケ店の階段の上から、フダくんを見下ろし、こんな台詞を言う。

「ここまで今水中になったら私だけ助かりますね」

「見殺しですか」

「アカの他人ですからねえ」

 

 フダくんはそこで彼女に、本名が実は「四ッ谷」なのではないかと聞く。毎回来店する度に中央線沿線の駅名を名乗っていた彼女だったが、「四ッ谷」だけは名乗っていなかったのだ。彼女はそこで、「生還!」と言いながら、フダくんの口へストローを挿す。彼女は、いつも水面ギリギリで生きているかのように、息苦しそうにしていた。偽物の名前で自分を名乗ることによって、自らを偽り、人と接するしかなかったからだ。しかし、それは誰かに助けてほしい、という彼女からのSOSでもあった。だから、”本当”の名前で彼女を呼んだことによって、フダくんは四ッ谷さんにとって、「アカの他人」ではなくなったのだ。

 この作品集は、『春と盆暗』というタイトル通り、狂人でも奇人でもなく、”ボンクラ”な人々が登場している。寺山修司は「自分たちにしか通じない言葉をもつのが恋人同士である」と言ったが、『春と盆暗』の人物達も、現実世界とは切り離された、イメージの世界であったり、”自分たちにしか通じない”言葉を支え合うことができた、というところですべて話が終わっていて、一読してすっかりファンになってしまった。普段、生活していて浮かんでは消える些細な空想やイメージを、この漫画は大切に描いている。僕の下手な言葉で説明しても伝わりにくい作品なのでぜひ読んでほしい。(ここから一話だけ読めます。http://afternoon.moae.jp/lineup/688)僕は毎晩寝るとき、目を瞑って、ベッドが段々と人型に沈んで、そのまま身体が下にスーッと落ちていって、深い海の底へ行って、魚になって泳ぐ空想をする。満員電車で、音楽を聴きながら目を閉じ、フェスに来ていると思って電車の揺れに合わせて身体を揺らしたりもする。これくらいはまだわかるかもしれないが、誰にも理解されないようなのもたくさんある。誰かこの僕の空想の世界に来てくれる、少し変わったキュートな女の子はいないものだろうか、と『春と盆暗」を読んでから常々思っている。