百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

壁と卵とカントリーマアム

 小学生のころ、友達の家へ遊びに行ったり、自分の家のおやつの時間に、カントリーマアムが出ると、嬉しかった。カントリーマアムとは、誰もが一度は口にしたことがあるだろう、あの中にチョコレート状の餡が入ったクッキーのようなお菓子である。僕は今でもカントリーマアムが家にあると、一人でばくばく食べてしまう。しかし、自分で買ったことはほとんどない。好きなものこそ適切な距離をとるのが大事なのだ。カントリーマアムは基本的にバニラとココアという二つの味があり、世間的には、バニラが圧倒的な人気を誇り、ココアがいつも余ってしまう、という通説がある。ココアはただでさえチョコレート風味のクッキーに、チョコチップとチョコレートの餡で、チョコレート感が強く、おいしいことはおいしいのだが、バニラ風味のクッキーにチョコチップがアクセントになっているバニラ味と比べると、どうしてもその差が出てしまう。無論、僕もバニラ味の方が好きだ。

 幼い頃、友達とゲームをしながら遊んでいると、カントリーマアムが出た。食い意地がはっている僕は、いつもならすぐに飛びつくのだが、その時はゲームで何度も負けていたせいか、意地になりコントローラーにかじりついていた。あーあ、疲れた、なんて思いながらふとカントリーマアムの大袋に目をやると、そこにはココア味のあの茶色い袋だけが残っていた。「うわ!僕の好きなバニラ味がない!」と思ったのと同時に、隣の友達に目をやると、その手元に無惨に開けられたあの白い袋が大量にあった。腹が立つ、というよりもショックだった。バニラ味を遠慮一つなくすべて平らげる人間の存在が、幼い僕にとって脅威に感じられた。それと共に、自分ももしかしたら気づかないだけで、同じようなことをしているかもしれない、と思った。

 その事件があってから僕は、積極的にココア味を食べるようになった。村上春樹は、エルサレム賞の受賞スピーチで、「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」という発言をしているが、これはカントリーマアムのことだと思った。たけのこの里きのこの山のように、常に拮抗する二つの存在とは違い、バニラ味というのは、「高くて硬い壁」であり、圧倒的なマジョリティなのだ。自分は音楽、表現を行う者として(大したことはやってない)、卵、つまりカウンターの姿勢に立たなくてはいけないと思った。それに気づかされたのは、カントリーマアムの存在があったからだ。

 「カントリーマアム、どっちの味が好き?」みたいな話になったときも、「う~ん、絶対ココア味だね」と自信をもって答えるようになった。そう答えると、「え~絶対バニラでしょ」とか、「ココア味なんていっつも残るじゃん」みたいな反応が返ってきた。びっくりするくらい、みんなバニラ味派だった。本当はバニラ味の方が好きだった。ココア味二枚食べたらバニラ味一枚食べていい、という自分ルールを課しているくらい、無理して食べているところもあった。もうこうなってくると、「人とは違う方を選んじゃうオレ」みたいな、個性派アピールでココア味派を名乗ってる感じになってきた。ギターがジャキジャキしているだけで「あ、これはナンバガの影響受けてますわ」と一々無粋な指摘をする奴のような、きな臭さが生まれてきてしまった。バニラ味をばくばく食べる母や妹を見て、「ふん、私のような存在がいるから貴様らがアホ面でバニラ味をかじることができるのだ、感謝したまえ」と思っていた。僕は完全に過激派のココア主義者になっていた。

 ある日、大学で仲良くなった女の子に「ねえ、カントリーマアムどっちの味が好き?」と聞いた。「オレは断然ココア味だね」と言いたいがためだ。当たり前のように「バニラ味」と答えるかと思ったら、その子は「私はココア味かなあ」と答えた。耳を疑った。「え!なんで?」と慌てて聞くと、その子は「だってココア味の方がおいしいもん」と答えた。身体中に衝撃が走った。そう話すその子の目が、あまりにも純粋だったからだ。本物のココア味派だ、と思った。自分の偽物くささが急に恥ずかしくなった。この子にはすべてを打ち明けられると思い、僕のカントリーマアムをめぐる顛末をすべて話すと、その子はゲラゲラ笑いながら、「○○(名字)らしい話だね」と言った。

 その日から、もう恰好つけるのはやめた。質問にも、「バニラ味が好きだけど、なんかもったいなくてココア味ばっかり食べちゃうかなあ」と答えるようになった。思えば、壁と卵は独立した存在ではない。壁があるからこそ卵があるし、卵があるからこそ壁が存在しているのだ。壁は「冷たく、効率的に、システマティックに、意志を持ち、私たちを殺し始め」るものでもあるが、「私たちを守ってくれるもの」でもある。”システム”が私たちを創ったのではない。だが、”システム”を生み出したのはまぎれもない、”私たち”なのだ。

 というようなことを、僕は今、カントリーマアムバニラ味を食べながら、考えている。

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