百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

i'm lovin' it

 マクドナルドが好きだ。マクドナルドとは、あのマクドナルドである。僕は今でも月に十回は食べるし、僕の学生生活は、マクドナルドに支えられていたと言っても過言ではない。

 大学に入学したばかりの頃、元来の人見知りから、友達が一人もできず、昼食の時間にとても困ったことがあった。僕の通っていたキャンパスは、とてもこぢんまりとしたところで、あまり昼食をとれるようなスペースがなく、大体コンビニや売店でお弁当を買って教室で食べるか、学食で食べるか、という選択肢だったが、人見知りな上に自意識過剰だったため、一人でご飯を食べていることを悟られたくなく、わざわざ学校から十分歩いて、駅前のマクドナルドに毎日通っていた。

 僕にとってマクドナルドは、一番都合が良い。自意識をこじらせ過ぎて、慣れてない店に一人でご飯を食べに行くことができないからだ。例えば、個人で経営しているような、美味しそうな定食屋さんも、「変な時間に来やがって」とか、「めんどくさいメニュー注文しやがって」と思われているんじゃないか、という自意識が働いてしまい、うまくご飯を口に運ぶことができない。ここまでなら、まだ理解される範疇かもしれないが、同じファストフードでも、バーガーキングや、サブウェイには入れない。かつやも、なか卯も、入れない。牛丼屋で入れるのはすき家だけだ。そもそも、初めての環境に立ち入る、という行為が、ファストフード店でご飯を食べる、という些細なことでもできないのだ。だから、友達や知り合いに連れていってもらってから、「ふーん、こんな感じなのね」という確信を得てからでないと、その店へ通うことができない。しかも、その際に友達に「うわ、こいつファストフード店ごときで、なんか緊張してるよ」と思われているんじゃないか、という自意識から、「まあ、普通に何度も来てますけど」みたいな顔をしてしまうから、救いようがない。自意識が連鎖反応を起こして、ぷよぷよだったらフィーバーを起こしている。

 だからこそ、マクドナルドは自由だ。僕がフィレオフィッシュを頼んでも、ビッグマックを頼んでも誰も文句は言わない(当たり前のことなんだけれど)。よく、マクドナルドはうるさいし、人が多いから疲れる、という話をよく聞くが、僕にとってそれは違う。うるさいし、人が多いからこそ、自由になることができるのだ。お客さんが僕一人の、美味しい老舗定食屋は、一見、自由で落ち着ける環境かもしれないが、僕にとってその自由こそが不自由で、マクドナルドのような不自由こそが自由だという、この世において、最も大切な二律背反の問題に気づかされた。マクドナルドは僕にとって、文学であり、哲学なのだ。

 マクドナルドは、まずい、汚い、高い、と良い噂は聞かなくなってしまった。少し前にあった事件や、経営状態からも、まあそうだよな、と思うことは多々あるが、僕にとっては、あのチープな味こそ愛おしい。ハンバーガーの包みを開けて、形が崩れていたり、レタスが申し訳程度しか入ってなかったりすると、むしろ「そうそうこれこれ~!」とテンションが上がる。しかし、こないだモスバーガーを久々に食べたときに、「うわ、めちゃうまいやん」と思ったのと同時に、その感情を「いやいや違う違う、マックのほうが良いから」と自己暗示でねじ伏せたこともあった。もうマクドナルドのなんらかの調味料に、脳をやられているんじゃないかとも思う。なんなら、あのオレンジと赤の”M”のロゴを背中に彫っても良いと思っている。ミドルネームをマクドナルドにしても良いと思ってる。まあ、それは嘘なんだけれども。

 マクドナルドよ、永遠なれ