百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

Swing at somewhere

 「不良にも優等生にもなれない僕たち」というのは、誰もが耳にしたことがある、一つの文化的、社会的なイメージ像であると思う。特に、サブカルチャーポップカルチャーの中で、それらは育まれてきたが、僕はどうしてもそのイメージをうまく享受することができなかった。それは、僕の中学時代のことが強く影響していると思うし、生まれ育った街のことも関係していると思う。

 僕が通っていた小学校は、どこにでもあるような普通の学校で、特に学級崩壊が起きるわけでも、特別な事件があったわけでもなく、平和な学校だった。そんな丁度いい温度の湯につかりながら、アホ面のまま、中学校へ進学した。僕の行った中学校は、近くの三校くらいの小学校が一度に集まるところで、割と規模の大きい学校だった。

 いろんな人が経験していることなのか、僕の個人的な感覚なのかはわからないが、価値観がなんとなく育まれ、固まってくる小学生時代を経て、中学校でもたらされるあの新しい価値観への恐怖はなんなんだろう。歌舞伎町から通ってます、とでもいうくらい髪を立てていたり、その年代からしたら想像もできないような下ネタを話す他小学校の同級生を見て、なんだか怖かったし、自分が子供っぽく感じた。それは勉強のできる優等生たちを見ても思ったし、そのどちらでもない人たちを見ても思った。紆余と曲折があり、学校へは行かなくなった。

 僕は「不良にも優等生にもなれない僕たち」にすらいれてもらえることができないんだ、と思った。学校へ行くのをやめたことで、その意識はより強くなった。漫画や映画の世界でも、「不良にも優等生にもなれない僕」は、そのどちらもが持っていない角度をもって、自分なりの表現を行ったり、行動を起こして、立場を確立していく。僕にはそれができない、と思った。

 僕は東京の郊外で生まれて、すぐに引っ越し、関東を点々として、今は東京の外れに住んでいる。だから、東京生まれの感覚もなければ、地方育ちの感覚もない。よく、地方から東京に出てきた若者が、最初から東京の都心に住んでる人たちより、ファッションでも生活様式でも、”いわゆるな”東京に染まってゆくのを見ることがあるが、それは、”バネ”があるからだと思う。お笑い芸人に根暗が多いのも、イジリー岡田が本当は下ネタが嫌いなのも、その”バネ”があるから逆側に振り切れる。僕にはその”バネ”がない。「不良にも優等生にもなれない僕たち」にもなれず、東京生まれにも、地方生まれにもなれないといったような、所在のなさが、昔からずっとある。

 

 最近、ヒップホップを聴くようになった。ヒップホップこそ、”不良のもの”というイメージが強く、最初は受け付けなかったが、King Kruleを中心とした最近のサウスロンドンの音楽や、A Tribe Called QuestJ Dillaのようなトラックがかっこいい人たちを聞いて、少しずつ聞けるようになった。だけど、ヒップホップはそれまで聞いてきた音楽と同じように、近い距離で聴くことはできず、ある種のあこがれを持って聞いている部分があった。DOTAMAや、R-指定、じょうのような、ルサンチマンであったり、元いじめられっ子みたいなところから、カウンターの角度を持ってラップをやっている人たちも、”バネ”があると思ったし、近いようで自分とはまったく別次元の人間のように思えた。そんな感覚を抱いたまま、こんな曲に出会った。

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 去年出たC.O.S.A.とKID FRESINOのコラボアルバム「Somewhere」に収録されている曲で、ニューヨーク在住のKID FRESINOの都会的で軽妙なフロウと、jjjのスムースでラグジュアリーなトラックと、客演のコトリンゴの歌が映えた一曲だが、僕の中で、C.O.S.A.のラインが、とても衝撃的だった。

俺はライクシナトラしかしフランクではない

仲間以外にまわす愛は持ち合わせない

でも一つ越えたストリートにも今日くらいは

ざっと幸せが雨の様に降ると良いな

勤勉で出来る限り善良で

気遣いのある人たちは踊ってくれ

傷を負い罪を背負ったその体で

いつも孤独を引きずる人も加わってくれ

 KID FRESINOが、インタビューでC.O.S.A.について、「なんか、なんでも言うなこの人って思ったんすよ。全部言ってるな、この人みたいな。それが僕にはできなかったし考えもつかなかったことだったんで、こういうスタイルでもかっけえ人は介在するんだなって」と言ってたが、まさにその通りだと思った。C.O.S.A.は、「勤勉で出来る限り善良で気遣いのある人たち」も、「傷を負い罪を背負ったその体でいつも孤独を引きずる人」も、同じ視線で見つめている。しかもそれが、きれいごとじゃなく、「仲間以外にまわす愛は持ち合わせない」としながら、「でも一つ越えたストリート」にも、「幸せが雨の様に降ると良いな」と言ってて、そこが信じられると思ったし、本当のことを言ってるような気がした。不良にも、優等生にも、そのどちらにもなれない人たちにも、その人たちにすら混ざれない人たちにも、C.O.S.A.は平等に目を向けている。ヒップホップにこんな表現をしている人がいるんだ、と感動した。

 この曲を聴いてから、自分の中でヒップホップとの距離がぐっと近くなった。僕は生活に根ざしている表現や、音楽が好きだ。C.O.S.A.のラップは、LOSTAGEや、空気公団や、星野源と同じような感覚で沁み込んでくる。がたいも良く、強面で、とても仲良くなれそうにはないが、彼が自分のファーストアルバムの紹介文の最初に、「誰かが自分を誉め称えているかのように見えるレビューにしたく無かったので、この紹介文をC.O.S.A.自身が書いている事を明記します」と書いていて、その自意識の感覚や、誠実さにとても共感したし、一番の惹かれる要素だと思った。

 ヒップホップは優しくて強い音楽だ。もし、この文章を読んだあと、僕がオーバーサイズの服を着て金のネックレスを付け出したのを目撃しても、あたたかい気持ちで見守ってほしい。

笑えるくらい陽気な人生は程遠いが

ナイスな夜だけは忘れたくねえんだ