百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

クリーム・ソーダ

 「クリームソーダって、氷とアイスの間についてるシャリシャリが一番おいしいね」

 「わかる、あれだけ食べられたらいいのにね」

 「ソフトクリームじゃなくて、丸くてかたいアイスじゃないとできないんだよね」

 「でも、コメダ珈琲のソフトクリームがのったクリームソーダも好きだなあ」

 「靴型のグラスに入ってて、かわいいよね」

 「私がシンデレラだったら、あの靴のほうがいいな」

 「誰も履けなさそうだよね」

 「でも、やっぱり丸いアイスにさくらんぼが乗ってるのが最高だな」

 「あのさくらんぼ、食べたあとにタネをどこに置こうか、迷うよね」

 「アイスがどろどろに溶けて、ソーダが黄緑色になってから飲むと、おいしいよね」

 「おいしいね」

 「でも、最初から混ざった状態で売ってる、ペットボトルのクリームソーダはあんまりおいしくないよね」

 「そうだね、不思議だね」

 「少しずつ、混ざり合っていくから良いんだね」

 「そういうことだね」

 「不思議だね」

 「そうだね」

 「でも、私はやっぱり混ざる前の、氷についたシャリシャリだけ食べれたら満足だな」

 「どうして」

 「ずっと飲んでいると、甘ったるくなってくるから」

 「僕と一緒にいれば、クリームソーダのシャリシャリのところだけ、全部君にあげるよ」

 「え~いらない」

www.youtube.com

ペパロニ・ピザ

 月に一度くらいの頻度で、コストコというスーパーに行く。コストコというのは、アメリカ生まれの大型スーパーのことで、売られているものも、店内の雰囲気も、そのままアメリカにいるかのような、特徴的なお店だ。うちの家庭、特に僕と妹はアメリカに対するあこがれがあまりにも強いので、毎回そこで、缶のコカ・コーラを一ケースと、大味なアメリカっぽいペパロニ・ピザを一ホール買う。それを、純和風な一軒家である我が家で口にしては、”アメリカ”のことを思うのである。僕のここ数年の急激な体重増加の一番大きな要因はここにある。僕の肥満はアメリカに対するあこがれがもたらしたものなのだ。僕のあこがれは、そのまま僕の血肉となり、贅肉となった。

 コストコのペパロニ・ピザを食べるとき、僕は毎回、アメリカの郊外に住む一人の少年のことを思う。彼の名前はジェイデン。やや小太りの体型に、年中半袖にハーフパンツで、ピザとコーラが大好き。僕はピザを口に運びながら、そっと目をつぶる。俺はジェイデン。アメリカの太った子供。ピザが大好き。そう自分に思い込ませる。徐々に、脳裏にアメリカの郊外の寂しい風景が浮かんでくる。それはまるで、ハーモニー・コリンや、ヴィンセント・ギャロの映画のような、あの感じ。音楽で言えばリアル・エステートのような、あの風景。崩壊しかけたサバービア。僕は遠い異国の地に思いを馳せ、空想上の子供と一体となる。

 口いっぱいに、チープなトマトソースの強い酸味と、チーズの香りが広がる。俺はいま”アメリカ”を食っている。”アメリカ”を喰らっているんだ。完全にジェイデンとなりきった僕は、ソーダ・ファウンテンから注いだペプシコーラと、マウンテン・デューを両手に持ち、交互に飲む。時には、両方のストローを口に入れて、豪快に吸い上げては「こうやって飲むとうま~い」とつぶやく。ママに「ソーダは一つまでって言ったでしょ!」と怒られる。僕は「ごめんなさ~い......」とつぶやき、またピザを口に運ぶ。うまい。最高、いやファッキン・オーサムである。

 コストコのペパロ二・ピザを口にすると、毎回、僕はジェイデンとなり、彼の生活風景が脳裏に立ち上がる。学校へ通っている僕は、太っていることをいつも仲間から馬鹿にされる。しかし、ジェイデンはそのことをまっく気に留めない。なにより食べることが大好きで、ピザとコーラこそが本当の友達だったのだ。

 ある日、いつものように友達と一緒に学校から下校していると、街に凶暴なモンスターが現れ、襲いかかってくる。逃げ惑う子供たち。ジェイデンは両手にいつものようにペプシ・コーラとマウンテン・デューを持ちながら「待ってよ~!」と友達を追いかける。ジェイデンは足が遅い上に、ドジだった。段差に躓き、転ぶジェイデン。フタが外れ、コンクリートに流れ出すペプシ・コーラとマウンテン・デュー。「ああ!僕のソーダが!」ジェイデンが叫ぶ。瞬間、ジェイデンはモンスターに捕まってしまう。「ああ!ジェイデンが!」仲間の一人がそう叫ぶ。「ジェイデンなんてかまってる暇ないわ!早く逃げましょう!」もう一人がそう叫ぶ。ジェイデンはモンスターに飲み込まれる。外の騒ぎを聞いて、様子を見にドアを開けたママがその光景を目撃する。「ああ!私のジェイデンが!」泣き崩れるママ。猟銃を持って飛び出すパパ。しかし、そこにはもうモンスターの姿はなかった。

 「優しくて、親思いな、ピザとソーダが大好きな子でした......」執り行われる形だけの葬式、黒服に身を包んだママのスピーチ。そこに突然、憎きあのモンスターが現れるーー。阿鼻叫喚の人々、逃げ惑う子供たち。ママが言う。「ジェイデン......?」ママの見つめる先はモンスターの首筋、そこにはジェイデンにつけさせていたお守り代わりの金属製のタグがぶら下がっていた......。「ジェイデン!ジェイデンよ!あの子に違いないわ!」駆け寄るママ。「ジェイデン!生きていたのね、あなた!」モンスターとなり元の姿と変わり果てたジェイデンは、ママを見つめる。「マ...マ......?」「そうよ!ママよ!ジェイデン、ジェイデンね!」その瞬間、モンスターはママを飲み込む。

 あまりにもペパロニ・ピザを食べ過ぎた僕は、ジェイデンに対する空想が膨らみすぎて、B級パニック映画のような展開になってしまった。今日も僕は、ジェイデンのことを思いながらまた一枚、ペパロニ・ピザを口に運ぶ。やがて空想上のジェイデンは大人となり、大学を卒業する。二十二歳になったジェイデンは、故郷を離れ、ニューヨークに住んでいた。ジェイデンは大人となった今、昔の面影が見えないくらいスリムでハンサムになっていた。幼い頃、よく口にしていたペパロニ・ピザも今はもうあまり口にしていない。それよりは、ニューヨークで流行っている寿司、日本食を口にするのが好きだった。今日もジェイデンは仕事終わりに和食レストランへ通い、寿司を注文する。ジェイデンはツナ・ロールを口にしながら、ふと遠い異国の地、日本を思う。彼の名はコウヘイ。東京の郊外に住む二十二歳の青年。寿司とグリーン・ティーが大好き。ジェイデンは空想上の日本人、コウヘイになって寿司を食べる。そうすると、ジェイデンの脳裏には日本の郊外の寂しい風景が浮かび、まるで自分が日本人かのように、寿司を楽しむことができたのだ。やがてその空想はどんどんと膨らんでいき、空想上のコウヘイはジェイデンという人物を空想しながらピザを食べ始めるーー。ニューヨークに住む青年、ジェイデンと西多摩に住む青年コウヘイの空想が交差し始める。ジェイデンとコウヘイ。何が起きているんだと、戸惑う二人。君の名は......?

 ふと目を開けると、そこはアメリカの郊外ではなく、東京の西多摩だった。僕は、少し安心したような顔で、ペプシ・コーラとマウンテン・デュー、二つのソーダを同時にストローから吸い上げて、こうつぶやくのだった。

 「こうやって飲むとうま~い」

www.youtube.com

カート・コバーンのポスター

 壁に貼られた、カート・コバーンのポスターが剥がれかけている。窓から吹き抜ける風に煽られ、隅に刺していた針が落ちたのだ。「あー、直さなきゃ」と思いながら、すでに数ヶ月が経った。直すのが面倒だったわけではない。毎日、毎日「あー、直さなきゃ」と思いながら、定位置のクッションに座り、パソコンの電源をつけ、テレビをつける。そうすると、もうポスターのことは意識の外に放り出されてしまう。直そうと思えば、立ち上がって針を刺し直すだけなのだから、数秒で終わってしまうような簡単な動作なのだが、僕はそれがなかなかできない。むしろ、長いこと剥がれかけているポスターを目にしていると、その光景のほうが自然というか日常的になってきてしまい、それを直すという行為は、日常性に亀裂をいれるようなものなんじゃないか、直したら逆によくないことが起こるんじゃないか、と思い始める。結局、直そうと思い立っても「このままにしておいたほうがいいな」とむりやり自分に言い訳をし、そのままにしてしまう。「逆にカート・コバーンのポスターは剥がれてた方がかっこいいかも」などとも思い始める。救いようがない馬鹿である。

 当たり前のように生活の風景の一部として存在している、カート・コバーンのポスターであるが、今の僕は彼の音楽をほとんど聞かなくなってしまったし、そのポスターを眺めていても、特に感慨はない。ほとんど、部屋の壁紙の模様と同じレベルまで、カート・コバーンが僕の生活に溶け込んでしまっているのだ。

 思えば、このポスターを買ったのは高校生の時だった。当時、彼のやっていた伝説的なバンド、ニルヴァーナが大好きだった僕は、カート・コバーンに影響されまくり、彼が使っているギターを買い、エフェクターを買い、あげくの果てには彼のトレードマークであった、モスグリーンのカーディガンを着て学校へ通っていた。それだけならただのイタいやつだが、高校に進学したばかりの僕は引きこもり生活から脱したばかりで、小太りに長髪、猫背という最悪なルックスだったので、誰がどう見てもヤバいやつだった。ほぼ、信仰に近い状態で、カート・コバーンのことが好きだった。そのあこがれが募り、近所のヴィレッジヴァンガードで、彼のポスターを二枚買い、部屋に飾った。

 思い返してみると、このポスターはもう7年近く貼られているわけだ。急に時の流れを感じてきた。楽しい日も、つらい日も、常に貼られていた、カート・コバーンのポスター。僕が三年間の片想いに破れ、家でギャン泣きしていた日も、カートはやさしく僕のことを見守っていてくれたのか、そう思うと急に愛着が沸いてきた。ありがとう、カート。

 「よし、決めた。今日こそは直そう」そう決意し、椅子の上に立ち、ポスターに手をかけた。ポスターは経年劣化で傷み、ボロボロになっていた。剥がれかけたポスターの裏には、日焼けを免れた綺麗な状態の壁紙が覗いていた。

 「このポスターを剥がさないと、僕は高校生の時をいつまでも引きずったまま、ずっと変わることができないんじゃないか」

 ふと、そう思った。カート・コバーンのポスターは僕の学生時代の象徴であり、常に僕の生活に存在していた、変わりのない日常性であった。僕は、自らの手でその日常性に亀裂を入れ、自分自身を変えるべきなんじゃないか。僕はもう過去には囚われない。そのためにはカート・コバーンのポスターを剥がさなきゃいけない。ありがとう、カート。そして、さよなら、カート。

 僕はポスターの針を一つずつ、慎重に抜いていった。体の力を失ったように、グタリと僕の体へもたれかかるポスター。おつかれ、カート。そう言葉をかけ、ポスターを壁から外す。ボロボロになったポスターを優しく丸め、棚の奥へしまう。ふと壁を見上げると、ぽかりと空いた白い壁が、ある種の違和感を持って僕の目に飛び込んできた。いつもそこにいたはずの、”彼”の姿はもうなかった。そのことが、急に怖くなってきた。

 そうだ、新しいポスターを貼ろう。これからの僕を象徴するポスター。僕にとっての、新しいカート・コバーン。それは誰だろうと、深く考える。二十二歳の僕にとってのカート・コバーン。ふと、頭の中に一人のシルエットが思い浮かぶ。そうだ、あの人しかいない。僕はすぐさま、新しいポスターを取り出し、椅子に立ち上がった。そして、それまでカート・コバーンがいたはずの壁に、そのポスターを丁寧に貼ってゆく。

 満足げに、壁を見上げると、乃木坂46生駒里奈さんが、やさしくこちらへ微笑みかけていた。

www.youtube.com

夜とドーナツ

 大学時代、ずっとドーナツ・ショップで働いていた。「ドーナツ・ショップ」って表記すれば村上春樹的な、あるいはアメリカの青春映画に出てきそうな、冴えないけどクールな主人公みたいなイメージがつくかなと思ってそうしてみたが、ただの”日本で一番有名な某ドーナツ屋さん”のことである。高校のときはずっと回転寿司屋で働いていて、受験を機にやめてから、新しく始めたのがそこだった。特にドーナツが好きなわけでもなく、母親がたまに買ってくるのをもらっていたくらいで、店にも行ったことはなかったが、当時の友達が別の店舗で働いていたのと、なんとなく「ドーナツ・ショップ」で働いている、と思ったらかっこいいかな、という邪な気持ちで決めた。

 僕の想像していた「ドーナツ・ショップ」というのは、派手な内装の店内に、ピンクや青、赤みたいなケミカルな色に着色されたチョコレート・ドーナツがたくさん陳列されていて、昼休みの時間には太った黒人の警官が、それをでかいコーラと一緒にバクバク食べている、みたいな感じなのだが、東京の外れのショッピングモールにあるうちの店舗は、そういった光景とは無縁で、コーヒーやカフェオレを手に昼下がりのお喋りを楽しむマダム達であふれた、なんとも長閑で平和なお店だった。

 一緒に働いているスタッフの中に、Kさんという人がいた。Kさんは三十を少し過ぎたくらいの、恰幅のいい、黒縁メガネの似合う人で、かれこれ七年近く働いている、バイトの中でも一番歴の長い人だった。Kさんは仕事上のミスをよくする上に、毎回言い訳をする困った人だったが、どこか憎めないキャラクターで、僕を含め、スタッフのみんなからマスコット的に親しまれてきた人だった。スタッフみんなに「早く痩せろ」「痩せないと面接も通らない」と言われ、ダイエットを決意したその日の夜に、事務所で特盛りの牛丼を食べていたし、仕事でミスをしたときも「いやあ、ちょっと風邪引いてて......」と小学生のような嘘をついていた。そんなところも含めて、Kさんの独特な魅力になっていた。

 僕がバイトを始めて少し経ち、Kさんとも段々と打ち解けてきた頃、唐突に「そろそろ就職するから、○○ともお別れだな」と言われた。僕は「残念だけど、大きな一歩だし頑張ってほしいなあ」と純粋に思っていたのだが、結局、僕が大学卒業を機にバイトをやめるまで、ずっとお店にいた。他のスタッフの人に聞くと、あれはKさんの口癖らしく、僕もやめるまで五回くらいはあの言葉を聞いた。Kさんはそんな、ことあるごとに良い恰好をしたがる人だった。例えばこんなこともあった。

 ある日、Kさんが、いつも彼を冗談混じりにいじっていた高校生のTくんを相手に、一対一のバスケ対決を申し込んだ。負けたら、試合を見に来たスタッフを含め回転寿司を奢るという、高校生相手には酷すぎる条件の下、わざわざ市民体育館を借りてその試合は行われた。まるでギャグ漫画のような話だが、Kさんは少し前からバスケを始めていたらしく、余程の自信があるようで、試合前から意気揚々と「○○、俺絶対勝つから見に来なよ」と何度も誘われ、「当日は用事があって行けないんですけど、応援してます!」とKさんを応援することにした。なぜなら僕以外のスタッフがみんなTくんに賭けていたからだ。普通に考えて、体重100キロに近い三十路の男が、高校三年生の身体能力に勝てるわけがない。馬鹿げた試合のようで、Kさんの目は本気だった。Tくんの日頃のKさんに対する「痩せないと絶対彼女できないっすよ」「絶対童貞ですよね」といういじりに、よほど堪えかねていたのかもしれない。とは言っても、二人はトムとジェリーのように、喧嘩しつつも仲が良かった。

 試合は即座に行われ、僕も結果を楽しみにしていたのだが、試合後にバイト先でKさんと一緒になっても、試合の話が飛び出してこない。試合が行われるまでは、「○○、一緒にただで寿司、食っちゃおうぜ」とか「太ってるって言われるけど、これ全部筋肉だから」と、あんだけ意気込んでいたのに、その話がパタリとなくなってしまったのだ。「ああ、負けちゃったのかな」と思っていたら、案の定そうで、ほぼコールドゲーム並みに大差をつけられ、負けてしまったらしい。考えてみたら、どう考えたって身長180cm越えの高校三年生に勝てるわけがない。それは本人にとっても明白だったはずだ。きっと、ひねりすぎた愛情表現で、後輩のTくんにご飯の一つでも奢ってあげたいけど、いつもいじられている身として、そのまま奢るのはどこか癪に触る。だから、バスケの対決という名目で、ちょっと運動しながら遊んで、わざと自分が負けて、その後に寿司でも奢ってやるか、という話だったのだろう、というオチを自分の中でつけて、無理矢理納得した。Kさんはそんな後輩想いで男気のある人でもあったからだ。

 ある日、Kさんから、僕がバイトをやめる前に二人で飲みに行こうと言われ、駅前に新しくできた鳥貴族に二人で行った。思えば、僕にとって人生初の”サシ飲み”だった。Kさんはそれまで、飲みに行ってもカシスオレンジ一杯で顔を赤くしてたのだが「今日は俺、いっちゃおうかな」と、生まれて初めて飲むらしい、焼酎を何杯もあおっていた。そんな、いつも通りのKさんの”イキり”を見ながらも、「もうこんな光景を見るのも最後かあ」となんだかしみじみ思っていた。バイト先の男性で、彼女がいないのが僕とKさんだけだったので、変な仲間意識が生まれていたようで、しきりに「今年こそは頑張ろうな」というような話を延々と聞かされていた。僕としても「いやKさんは痩せたら絶対彼女できますよ」と適当な相づちを打っていた。半分本心でもあった。Kさんは「○○だけだ、わかってくれるのは」と言っていた。まるで『ヒメアノ~ル』や『ヒミズ』みたいな、古谷実漫画に出てきそうなダサい二人だった。慣れない焼酎が回り、顔を真っ赤にしているKさんを見て、ふとあの時のことを訊ねた。

「そういえば、ちょっと前にTくんとやったバスケの試合、どうだったんですか」

 Kさんは、神妙な面持ちになり、「ああ、あれね......」と深く焼酎を煽ると「実は負けちゃったんだよね」と言った。その表情があまりにも真剣だったので、ああ、やっぱりKさんはTくんに寿司を奢るために、わざと試合に負けたんだな、と思いながら「なるほど......残念でしたね」と声をかけると、「いやあ、前日から風邪引いてて......本調子なら絶対勝てたんだけどね」と言った。KさんはやはりKさんだった。そんな彼の一言に半分呆れながら、どこかで親しみを感じていた。

 僕は知っていた。Kさんが趣味で小説を書いていることを。Kさんはライトノベルが好きで、ちょくちょく本の話をしては、執筆活動をしていることを聞かされていた。もしかしたら、その執筆活動での成功という夢を持っていたのかもしれない。初めて働いた会社がいわゆるブラック企業だったらしく、その挫折もあったのだろう。そう思うと、周りのスタッフのように、「早く痩せて就職して彼女作れ」とは言えなかった。周りの人の言うことの正しさを思いながらも、「そんなこと言っても、難しいよな」とどこかでKさんに自分の姿を重ねているところがあった。

 二人で飲みに行った帰り、Kさんのガタついた自転車を引きずりながら、「バイトで会えなくなると思うとちょっと寂しいですね」と言うと、「○○、バンドさ、ずっと続けなよ。頑張ってよ、応援してるからさ」と言われた。心の底からかっこいいと思った。三十路のおじさんと二人で飲んだ夜は、とても青春だった。「じゃあな」と言って漕ぎ出した自転車は、タイヤがパンクしていて、ギーッ、ギーッ!というなんとも間抜けな音を残して、Kさんは西多摩の夜に消えていった。

www.youtube.com

あるのかないのかわからないものに

いちいち傷つけられなくていいよ

枠を除いたら

消えてなくなるようなものばかりだから

―—きのこ帝国『Donut』  

かなしみのレシート

 レシートというものに、必要性を感じたことが、一度もない。例えば、経費の関係で領収書を切ったり、品物とお釣りなどのミスがないように、その証明書として発行されているのはわかるが、仮に十円、百円くらいのお釣りの貰い忘れがあっても、性格上、店員に言いつけることができない(さすがに百円の買い物に一万円出して、「お釣り二円です」なんて言われたら言うけども)。だから、僕にとってレシートは、あってもなくても大差ないものなのだが、気づいたら僕の財布には、そのいらないレシートがパンパンに詰め込まれている。

 店員との、レシートいるいらないの、あのやり取りが恥ずかしい。例えば、百八円のパンを買ったとして、財布にちょうど百八円があったので、それを出す。そうすると「百八円ちょうどお預かりいたします」と言って、レシートを発行するのだが、僕はあのレシートを発行している時間が、もう恥ずかしい。あの数秒の間に「こいつ、絶対後で確認もしないくせに、レシートほしがってんじゃねえぞコラ」と思われているんじゃないか、と考えてしまうからだ。結局、発行されたレシートは財布の中へしまわれ、一度も読まれることなく捨てられてゆく。たまに「レシートご利用でしょうか?」と聞いてくれる店員さんがいるが、「あ、大丈夫です」と言ったところで今度は「あ、こいつレシートを確認しないような適当なやつなんだな」と思われているんじゃないか、と考えてしまう。

 会計の額とちょうどの値段で会計をすると、上のような”レシート待ちタイム”が訪れるから、僕は財布の中にぴったりのお金があっても、あえてお釣りが来るように出してしまう。そうすれば、「お釣りを出したから、仕方なくレシートをもらっている人」になれるからだ。もう、お店側も僕の方も得がない、無意味な行為だ。結果として僕の財布は、大量の小銭とレシートでパンパンになり、「○○っていっつも財布パンパンだよね、部屋汚そう」とからかわれるはめになる。部屋が汚いのは関係ないだろ、と思いながら、部屋が汚いのも、また確かであった。

 一時期は、ぴったりのお金を出して、すぐに商品の入った袋を手に取り、レシートが発行される数秒の間にすばやく「ありがとうございます」と言い、立ち去る、ということをしていたのだが、そのまま「ありがとうございました~!」と言ってくれればいいのに、「お客様、レシートはご利用でしょうか~?」と大きな声で呼び止められ、慌てて振り向きながら「ア!大丈夫っス!すみません」と返すはめになることが、何度もあり、やめた。店員さんとしても、お釣りのミスで責任をぶつけられたらたまったもんじゃないし、その証明としてレシートを手渡したいのは、当たり前の理屈だ。お店側にもそういうマニュアルがあるのだろう。その店員さんの気持ちを無視してまで、レシートを受け取らずに立ち去る勇気は、僕には無かった。

 相変わらず僕の財布には小銭とレシートがパンパンにつまっている。いや、違う。財布につまっているのは、僕の”かなしみ”だ。僕は、定期的にたまった”かなしみ”をゴミ箱に捨て、”かなしみ”を払うことによって新たな”かなしみ”を生む。そんな”かなしみ製造マシーン”となったこの俺を、慰める奴はもういない。

www.youtube.com

江國香織と『薄荷糖の降るところ』

 幼い頃、がらくたを集めるのが好きだった。がらくたというのは、”生きていく上で必要のないもの”だ。それはいったいどういったものかというと、例えば宝石の原石であったり、動植物の化石、遠い異国の砂漠の砂、ラムネの中に入っていたビー玉、小さな隕石のかけらなどだ。要は子供が無意識にほしがるような、キラキラしていて透明な石や、ロマンを感じさせるようなものが好きで、よく川原に、父親と妹と一緒に水晶の原石を拾いにいったり(これがまたたくさん落ちてるんです)、植物園や博物館に行っては、化石や隕石の小さなかけらを買ってもらえるよう、ねだっていた。自分の想像の範疇を超えたような、長い時間の流れや、遠い異国の地を思わせるようなものが好きだった。
 僕の大好きな、寺山修司の『寺山修司少女詩集』という詩集の中には、こんな詩がある。

財産目録

子供の頃 私は自分が海賊だと思っていた
海賊であるからには 略奪品がなければならない
そこで 私は空想の海へ船出しては
ビー玉 錆びたナイフ
表紙のとれたマーク・トゥエンの本
かじりかけのリンゴ 曲がった釘などを
略奪してきて 私の「財産目録」を作った
恋している女の子の「財産目録」とは一体どんなものだろうか?
それは たとえば 日曜日のクリニアンクールののみの市のように
売り買いしたり
交換できたりしたらいいのに

 

 「ビー玉」や「曲がった釘」など、寺山を印象つけるような言葉が並べられているが、一つ一つのアイテムの並べ方に、詩情を感じる。また、それらで作られた「財産目録」と、恋している女の子の「財産目録」を、「日曜日のクリニアンクールののみの市」のように売り買いしたり、交換できたらいいのに、というところに、寺山らしい、どこかキュートで、瑞々しい感性を思わせる。ビー玉や、化石、遠いどこかの砂漠の砂などは、人間が生きていく上で必要のないものだし、役に立たないものだ。しかし、その役に立たないものが、いまだに僕は好きだ。
 江國香織の小説には、そんな”がらくた”がたくさん登場する。特にそれを象徴しているのが『とるにたらないものもの』というエッセイ集だ。このエッセイ集は、日常の中で、特に注目して目を向けることのないもの、無駄なもの、あってもなくても支障はないものたちに一つ一つ目を向け、そのこだわりや愛情を記したものだ。それは「緑いろの信号」から始まって、レモンしぼり器や輪ゴム、石鹸や、干しブドウの味、など様々なものがある。

「信号の緑は青みがかった緑だが、たまに青くない緑の信号がある。歩行者用の信号ではなく、三色の、車用の信号のなかにある。そういう信号の信号機はたいてい古ぼけているので、たぶん、型の古いものなのだろう。すこし舐めて小さくなった飴玉のような、浅い感じの緑だ。私はその緑の信号が好きで、ときどきとても見たくなる。」(緑いろの信号)

 

「石けんを水やお湯で濡らし、両手で包んでするすると転がす。そのときの、手の中で石けんのすべる感触には、ほとんど官能的なまでの愛らしさがあると思う。それがみるみる泡立って、泡が空気を包み、手から溢れ、いい匂いを放ちつつこぼれていくさまは。そうしながら汚れを落としてくれるなんて、善すぎる。」(石けん)

 「緑いろの信号」を、「すこし舐めて小さくなった飴玉」と表現していたり、「石けん」に対して、「ほとんど官能的なまでの愛らしさ」があるという。どちらも生活の中に当たり前のように存在しているものたちだが、江國香織の目線を通すことで、なんとも言えない詩情があふれている。また、”色”を”いろ”と書いたり、石鹸を”石けん”と書くところまで、江國らしい言葉の選球眼を見ることができる。

 また、『安っぽい飴の色』というエッセイには、こんな言葉がある。

安っぽい色のものはみんな寛大だ。こんぺいとう、かき氷のシロップ、おもちゃの指輪。昔二十円で売っていた、にごったゼリーのような消しゴム。安っぽい色は、春に似ている。

 初めてこれを読んだとき、自分の無意識の中にひっそりと眠っていた感情のようなものに、名前をあたえられた気がしてびっくりした。そして、それは江國香織の魅力でもある。作家の川上弘美は、江國香織には、こんな「ひみつ」があるという。

「このお話、わかる。たぶん、こんなにこれがわかるのは、私だけじゃないのかな。僕だけじゃないのかな。何がわかるって、そうだな。簡単に表現できちゃうようなものじゃないよ。だって、それなら、『自分だけはわかる』なんて言ってもしょうがないものね。とにかく、わかるんだ。いい匂いのするもの。少しだけしめったもの。でもさらさらとした手ざわりのもの。深く、しみこんでくるんだ。それが。私だけにね。僕だけにね。」

「けれど、江國さんのひみつ、を読んだ後に自分の話をしてみても、なんだかつまらないのだ。江國さんのひみつは、あんなに緊密なのに。色もきれいなのに。かたちもやさしいのに。自分のひみつはつまらない。ほんとうは、自分のひみつは自分にとって一番おもしろいはずなのに。大切なはずなのに」

 江國香織の小説を読んだ人は、誰だってこんなことを思う。僕はカフェオレボウルを買って帰ったとき、母に「ま〜たオシャレぶって変なもの買ってきて」と言われたし、谷川俊太郎に憧れて瓶詰めの金平糖を机に置いて眺めたりしてても、「まーたそんなことしてんの」といろんな人に言われる。それはある種とても正しいことだし、僕としてもわかってくれ、なんてことは思わないのだが、江國香織のようにはいかない。彼女の文体を通して語られることで、その「とるにたらないもの」がうつくしいものとして、輝きだすのである。

 僕は高校のときから江國香織の小説が大好きで、ずっと読み続けている。江國の小説の良さってなんですか、と聞かれたとき、それは直木賞をとっているような、物語の強度の強いものでありながら、純文学ともいえる作品性であったり、独特なうつくしい世界観、など、様々なことが言えると思うが、僕が彼女の小説に惹かれる一番の理由は、その「とるにたらないもの」に向ける視線のようなものだ。
 江國香織の小説には、物語の大筋とはまったく関係のないシーンが多く出てくる。例えば、『ホリー・ガーデン』の果歩がカフェオレボウルでミルクたっぷりの紅茶を淹れて飲むシーン(僕はこれに影響されてカフェオレボウルで飲み物を飲むようにしている)。『薔薇の木枇杷の木檸檬の木』で、草子がほうじ茶と共にカルミンを食べるシーン(残念ながらカルミンは二年前に製造終了してしまった)。これらは物語とは関係のないシーンかもしれないが、これらのシーンが、江國香織の作り出す世界を色付けている。本を閉じた後に残るのは、いつだってミルクたっぷりの紅茶の匂いだったり、カルミンのような少し甘くて爽やかな味だ。
 江國香織は、日常の中で忘れられていくようなもの、必要のないものに対して、あたたかなまなざしを向けている。江國の小説は、まるで氷砂糖を口にふくんでゆっくりなめているような、独特な”甘さ”がある。僕は江國香織のそういった”目線”にとても影響された。「アドバルーン」であったり、「幻燈機」であったり、「ココアシガレット」であったり、僕の中で”詩情”を感じるような、「とるにたらない」ものをよく歌詞や曲名に登場させたりする。それらは曲の核になっている部分とはなんの関係もないように見えるが、春の強い風に飛ばされそうになるような、心もとない気持ちや、大人になりたくてもなれない気持ちを表現するには、アドバルーンやココアシガレットのような、「とるにたらないもの」こそが、僕の中では適切なのだ。
 先月、『薄荷糖の降るところ』という弾き語りのアルバムを作った。タイトルは江國香織の『金平糖の降るところ』のオマージュで、薄荷糖はカルミンのことだし、中には『ぬるい眠り』なんて曲もある。江國香織愛が全面に出た作品だ。
 僕は先月、大学を卒業して、いよいよ「生産性の低いもの」に目を向けているような場合ではなくなってしまった。だからこそ、子供のときにビー玉を透かしてみたり、サハラ砂漠だったか、ゴビ砂漠だったかの砂をつめた瓶を振りながら、遠い異国に想いを馳せたような感覚で聞いてもらえるような曲が作りたくて、『薄荷糖の降るところ』を作った。急ぎ足で作ったし、音も曲もまるで”がらくた”のようにへんてこだが、小さいころになめた外国の飴のようにぺらぺらしていて、カルミンを口にふくんだように、少し甘くてすーっとするような曲たちなので、ぜひ聞いてみてほしい。

soundcloud.com

Committed To The Cause

 自分の好きなもの、惹かれるものは、ほとんど、寒い場所で生まれている。例えば、シガーロスビョークパスカルピノンを生んだのは、アイスランドレイキャヴィクという街だ。ビクトル・エリセの『エル・スール』は、情熱的なイメージのあるスペインの中でも、雨が多く、寒さの厳しい北部が舞台だし、エリセ自身も雪の多い街で育った。アキ・カウリスマキフィンランド出身だし、太宰治寺山修司は青森、生駒里奈さんと鈴木綺音さんは秋田県の出身だ。不思議なもので、意図的に選んでいるわけではなく、自然と心惹かれるものが、すべて寒い地域で生まれたものなのだ。
 表現には人間の土着性のようなものが、どうしても現れてしまうものだと思う。もしヨンシーが東南アジアの国に生まれていたら、シガーロスのような表現はやっていなかったと思うし、逆に北欧の国に、ラテンのような陽気なリズムはそぐわない。僕が生まれ育ったのは、東京の外れの街で、夏は暑く、冬は寒い、中途半端なところだ。そんな場所で育ちながら、僕が惹かれていったのは、北欧や北国で生まれた表現だったのだ。
 その中でも、僕が特に心惹かれたのが、The Radio Dept.というスウェーデンバンドだ。昨日のブログでも書いたが、高校の時に美術の先生から「Clinging to a Scheme」というアルバムを貸してもらい、そこから好きになった。高校生の時、誰もが経験するように、シューゲイザーにどっぷりハマっていて、特にMy Bloody Valentineが好きだった。二年生の時にライブにも行った。そんな話を先生にしていて、シューゲイザー好きなら、ということで持ってきてもらったのが、この一枚だった。
 初めて聞いたときは、世界的に有名なバンドとは思えないくらい、音が悪くてびっくりした。ローファイと言われるようなバンドも聞いたことはあったが、ブチブチにつぶしたディストーションギターと、必要以上に歪んだドラムマシンは、初めて耳にした音で、衝撃的だった。なにより、その内省的で、完全に社会と断絶されたような響きにとても惹かれた。
 他のシューゲイザー、インディーロックバンドと違って、レディオデプトは音の重ね方だったり、コード感だったり、音作りそのものから、すごく異質だ。彼らの曲は、一聴しただけで心惹かれるような、ポップで甘いメロディーが特徴的だが、実際に真似してみようと思っても、なかなか再現できない。その”異質”な響きには、彼らの”宅録”感のようなものが影響していると思う。
 彼らは、自分たちのことを、「D.I.Y.主義のポップバンド」であるとしている。それは彼らのスタンスに強く表れており、商業主義とは無縁の、字義通りの”インディー”を成し遂げているバンドだ。僕はそういった、D.I.Y.の精神をもった表現が好きだ。そして、そういう精神をもった表現は、大体の場合、とても”いびつ”なものが多い。僕の大好きなアウトサイダーアートの作家、ヘンリー・ダーガーは、八十一歳でその生涯を終えるまで、ほとんど人とコミュニケーションをとることなく、一人でずっと小説と絵画を描き続け、膨大な作品を残して亡くなった。彼の作品は少女が主なモチーフになっているのだが、その少女達に男性器がついていたり、そこで繰り広げられている物語も、かなりいびつなものだ。レディオデプトには、そんなヘンリー・ダーガーに似た、”いびつ”さがある。
 この、”いびつ”さの正体は”デタッチメント”であると僕は思う。社会との”関わりのなさ”というか、完全にデタッチメントな、自分の中だけの世界を突き詰めて表現していくと、その”いびつ”さが現れる。それは先に挙げたように、独特なアレンジや曲調にも現れているが、僕の中で衝撃だったのは「This Past Week」という曲の一節だった。

I want to be a good friend
I want to find my best friend

 僕はミツメもくるりも大好きだが、パーティーの後のうつろな気分は、僕にはわからなかったし、岸田繁が歌うような”別れ”も、高校生のときはうまく実感として理解できなかった。そんな中で、遠く離れた異国の地で、「I want to find my best friend」と歌ってくれる人間がいたことに、驚いたし、その音楽性も相まって、日本語で歌われるよりも自分の中でしっくりきた。この歌詞を見てもわかるように、レディオデプトはずっと閉鎖的、内省、デタッチといったような言葉が当てはまるような表現をし続けてきた。それは彼らの確固たるスタンスだったが、近年、レディオデプトはその様相をがらっと変える。

 二○一○年に発表した「Clinging to a Scheme」から四年の時を経て、長い沈黙を破ってリリースされたのが「Death to Facism」という楽曲だ。タイトルだけ見てわかるように、今までの彼らからは考えられないくらい、”社会的”なメッセージが込められている。この曲は、スウェーデンがその時国政、地方選挙を控えていたため、政治的なメッセージとして発表されたもので、突然の新曲発表にファンは喜びながらも、今までとはまったく違う、社会にとても”コミット”した歌詞、曲調に、とまどいを覚えた。
 彼らは、「Clinging to a Scheme」を発表した年に、日本のメディアに受けたインタビューで、次のように述べている。

「僕達もポリティカルな部分はあるし、しっかりとした意思を持っているけれど、そういうメッセージに固執してしまうと、ロックな音楽というか、攻撃的なものになってしまう。僕達はどちらかというとそういう類のロックに反抗すると言うか、アンチ・ロックというスタンスでスタートしたバンドでもあるんだよね。そういうロック・バンドが陥るようなものとは反対にいたい。だからこそ、D.I.Y.であることが重要なんだ。」

 「Clinging to a Scheme」までのレディオデプトは、啓蒙的なメッセージ性を持ちながら、そこに固執せず、あくまでパーソナルな視点をもって表現を行ってきた。それは「Heaven's On Fire」の冒頭にサンプリングされたサーストン・ムーアのメッセージなどにも現れていた。このスタンスは、僕の中でとてもしっくりくるものだったし、元ゆらゆら帝国坂本慎太郎がソロで表現したのも、それとそれと同じ表現であった。

「政治的な発言もしないですし、社会的なメッセージみたいなものも、もちろん普通に生きているんで、ありますけど、それを音楽で表現しようとは思わない。」

 坂本慎太郎も、レディオデプトと同じように、個人が持つポリティカルな側面を、そのまま音楽として表現することを嫌った。僕個人としての立場も彼らのように、政治的、社会的なメッセージをそのまま音楽や文章で表現しようとは思わない。それは、七十年安保闘争に揺れる世の中で、社会的メッセージのない小説は無意味だとされていた中、社会と断絶した、内的世界を描いた「杳子」や「静物」を発表した古井由吉や、庄野潤三のとっていたスタンスに影響されたものでもあるし、僕が惹かれるのはやっぱりそういう表現だった。
 しかし、去年発表されたレディオデプトのアルバム「Running Out Of Love」は、「スムルト・ファシズム、スロボダ・ナロドゥ!(ファシズムには死を、人民に自由を!)」というユーゴスラビア人民解放戦争のスローガンを引用した、痛烈なメッセージ性を持った楽曲から始まっている。今までとっていたスタンスをすべて否定するかのような、この社会的なメッセージは、「社会全体のレベルが後退し、間違った方向に動いているすべてのことについて」のものらしく、歌詞やアートワークだけでなく、曲調にいたっても、エレクトロ色の強いダンサブルなトラックで、音質もハイファイになり、かつて彼らが持っていたような”いびつ”さは、あまり感じられなくなっていた。
 そのあまりの変わりように、一聴したときはとまどった。なぜ、ここまで社会的な表現になったのか、ボーカルのヨハンは、「歌詞の大部分は皮肉で、ある意味スウェーデンの軍隊業界の偽のコマーシャルのような内容なんだ」と述べている。これを読んだとき、先に引用した坂本慎太郎のインタビューを思い出した。先の発言は、次のように続いている。

「歌詞を深読みできないくらいストレートに言っちゃったほうが、単純に面白い、というのと、あと以外と生々しくないっていうのを発見して。僕個人の叫びに聞こえないっていうか。歌詞を単純化することによって、CMのコピーとか標語みたいな感じになる気がしたんですよね。それは強烈だし、なんか面白いなと。今まで自分がとってきたスタンスと矛盾するとは思わなかったし」

 レディオデプトは坂本慎太郎よりも、より直接的なメッセージ性があるが、両者がとっている立場にはとても近いものがある。「Runnning Out Of Love」も、一聴してわかるくらい大きな変化がありながらも、本来持っていたレディオデプトの原形質的なところは変わっていない。特にそれを感じたのは、アルバムの終盤に収録された、「Committed To The Cause」という曲だった。

www.youtube.com

 曲名を見てわかる通り、彼らは”デタッチメント”から”コミットメント”へ移行した。ではその”コーズ”とはなにか。それは曲中の一節に見ることができる。

「Cause when our pain's over/It's someone else's turn(なぜなら僕らの痛みがなくなったときに/今度は誰かの番になるからだ)」

 レディオデプトは”デタッチメント”から”コミットメント”へ移行したが、同じようにその作風を大きく変えたのが、村上春樹だ。彼は河合隼雄との対談の中で、次のように述べている。

「コミットメントということについて最近よく考えるんです。たとえば、小説を書くときでも、コミットメントということがぼくにとってはものすごく大事になってきた。以前はデタッチメントというのがぼくにとっては大事なことだったんですが」

 この言葉の通り、村上春樹は初期三部作と言われる”デタッチメント”な世界観の作品から、オウム真理教の事件などがきっかけとなって、”コミットメント”へと移行していく。レディオデプトの大きな変化も、この村上春樹の発言から読み解くことができるのではないか。村上春樹は、また次のようにも述べている。

「ぼくらの世代が六十年代の末に闘った大義、英語でいうと『コーズ』は、いったいなんだったのか、それは結局のところは内なる偽善性を追求するだけのことではなかったのか、というふうに、どんどんとさかのぼって、自分の存在意義そのものが問われてくるんですね。すると、自分そのものを、何十年もさかのぼって洗い直していかざるをえないということになります。」

 二○十一年には大きな震災があり、安全保障関連法や憲法改正などで、自分と同い年くらいの人たちがデモを起こしたり、社会的に大きなうねりの中にいる近年、僕たちの”コーズ”は一体どこにあるんだろう、ということを、レディオデプトの新譜を聴いてから、ずっと考えている。