百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

江國香織と『薄荷糖の降るところ』

 幼い頃、がらくたを集めるのが好きだった。がらくたというのは、”生きていく上で必要のないもの”だ。それはいったいどういったものかというと、例えば宝石の原石であったり、動植物の化石、遠い異国の砂漠の砂、ラムネの中に入っていたビー玉、小さな隕石のかけらなどだ。要は子供が無意識にほしがるような、キラキラしていて透明な石や、ロマンを感じさせるようなものが好きで、よく川原に、父親と妹と一緒に水晶の原石を拾いにいったり(これがまたたくさん落ちてるんです)、植物園や博物館に行っては、化石や隕石の小さなかけらを買ってもらえるよう、ねだっていた。自分の想像の範疇を超えたような、長い時間の流れや、遠い異国の地を思わせるようなものが好きだった。
 僕の大好きな、寺山修司の『寺山修司少女詩集』という詩集の中には、こんな詩がある。

財産目録

子供の頃 私は自分が海賊だと思っていた
海賊であるからには 略奪品がなければならない
そこで 私は空想の海へ船出しては
ビー玉 錆びたナイフ
表紙のとれたマーク・トゥエンの本
かじりかけのリンゴ 曲がった釘などを
略奪してきて 私の「財産目録」を作った
恋している女の子の「財産目録」とは一体どんなものだろうか?
それは たとえば 日曜日のクリニアンクールののみの市のように
売り買いしたり
交換できたりしたらいいのに

 

 「ビー玉」や「曲がった釘」など、寺山を印象つけるような言葉が並べられているが、一つ一つのアイテムの並べ方に、詩情を感じる。また、それらで作られた「財産目録」と、恋している女の子の「財産目録」を、「日曜日のクリニアンクールののみの市」のように売り買いしたり、交換できたらいいのに、というところに、寺山らしい、どこかキュートで、瑞々しい感性を思わせる。ビー玉や、化石、遠いどこかの砂漠の砂などは、人間が生きていく上で必要のないものだし、役に立たないものだ。しかし、その役に立たないものが、いまだに僕は好きだ。
 江國香織の小説には、そんな”がらくた”がたくさん登場する。特にそれを象徴しているのが『とるにたらないものもの』というエッセイ集だ。このエッセイ集は、日常の中で、特に注目して目を向けることのないもの、無駄なもの、あってもなくても支障はないものたちに一つ一つ目を向け、そのこだわりや愛情を記したものだ。それは「緑いろの信号」から始まって、レモンしぼり器や輪ゴム、石鹸や、干しブドウの味、など様々なものがある。

「信号の緑は青みがかった緑だが、たまに青くない緑の信号がある。歩行者用の信号ではなく、三色の、車用の信号のなかにある。そういう信号の信号機はたいてい古ぼけているので、たぶん、型の古いものなのだろう。すこし舐めて小さくなった飴玉のような、浅い感じの緑だ。私はその緑の信号が好きで、ときどきとても見たくなる。」(緑いろの信号)

 

「石けんを水やお湯で濡らし、両手で包んでするすると転がす。そのときの、手の中で石けんのすべる感触には、ほとんど官能的なまでの愛らしさがあると思う。それがみるみる泡立って、泡が空気を包み、手から溢れ、いい匂いを放ちつつこぼれていくさまは。そうしながら汚れを落としてくれるなんて、善すぎる。」(石けん)

 「緑いろの信号」を、「すこし舐めて小さくなった飴玉」と表現していたり、「石けん」に対して、「ほとんど官能的なまでの愛らしさ」があるという。どちらも生活の中に当たり前のように存在しているものたちだが、江國香織の目線を通すことで、なんとも言えない詩情があふれている。また、”色”を”いろ”と書いたり、石鹸を”石けん”と書くところまで、江國らしい言葉の選球眼を見ることができる。

 また、『安っぽい飴の色』というエッセイには、こんな言葉がある。

安っぽい色のものはみんな寛大だ。こんぺいとう、かき氷のシロップ、おもちゃの指輪。昔二十円で売っていた、にごったゼリーのような消しゴム。安っぽい色は、春に似ている。

 初めてこれを読んだとき、自分の無意識の中にひっそりと眠っていた感情のようなものに、名前をあたえられた気がしてびっくりした。そして、それは江國香織の魅力でもある。作家の川上弘美は、江國香織には、こんな「ひみつ」があるという。

「このお話、わかる。たぶん、こんなにこれがわかるのは、私だけじゃないのかな。僕だけじゃないのかな。何がわかるって、そうだな。簡単に表現できちゃうようなものじゃないよ。だって、それなら、『自分だけはわかる』なんて言ってもしょうがないものね。とにかく、わかるんだ。いい匂いのするもの。少しだけしめったもの。でもさらさらとした手ざわりのもの。深く、しみこんでくるんだ。それが。私だけにね。僕だけにね。」

「けれど、江國さんのひみつ、を読んだ後に自分の話をしてみても、なんだかつまらないのだ。江國さんのひみつは、あんなに緊密なのに。色もきれいなのに。かたちもやさしいのに。自分のひみつはつまらない。ほんとうは、自分のひみつは自分にとって一番おもしろいはずなのに。大切なはずなのに」

 江國香織の小説を読んだ人は、誰だってこんなことを思う。僕はカフェオレボウルを買って帰ったとき、母に「ま〜たオシャレぶって変なもの買ってきて」と言われたし、谷川俊太郎に憧れて瓶詰めの金平糖を机に置いて眺めたりしてても、「まーたそんなことしてんの」といろんな人に言われる。それはある種とても正しいことだし、僕としてもわかってくれ、なんてことは思わないのだが、江國香織のようにはいかない。彼女の文体を通して語られることで、その「とるにたらないもの」がうつくしいものとして、輝きだすのである。

 僕は高校のときから江國香織の小説が大好きで、ずっと読み続けている。江國の小説の良さってなんですか、と聞かれたとき、それは直木賞をとっているような、物語の強度の強いものでありながら、純文学ともいえる作品性であったり、独特なうつくしい世界観、など、様々なことが言えると思うが、僕が彼女の小説に惹かれる一番の理由は、その「とるにたらないもの」に向ける視線のようなものだ。
 江國香織の小説には、物語の大筋とはまったく関係のないシーンが多く出てくる。例えば、『ホリー・ガーデン』の果歩がカフェオレボウルでミルクたっぷりの紅茶を淹れて飲むシーン(僕はこれに影響されてカフェオレボウルで飲み物を飲むようにしている)。『薔薇の木枇杷の木檸檬の木』で、草子がほうじ茶と共にカルミンを食べるシーン(残念ながらカルミンは二年前に製造終了してしまった)。これらは物語とは関係のないシーンかもしれないが、これらのシーンが、江國香織の作り出す世界を色付けている。本を閉じた後に残るのは、いつだってミルクたっぷりの紅茶の匂いだったり、カルミンのような少し甘くて爽やかな味だ。
 江國香織は、日常の中で忘れられていくようなもの、必要のないものに対して、あたたかなまなざしを向けている。江國の小説は、まるで氷砂糖を口にふくんでゆっくりなめているような、独特な”甘さ”がある。僕は江國香織のそういった”目線”にとても影響された。「アドバルーン」であったり、「幻燈機」であったり、「ココアシガレット」であったり、僕の中で”詩情”を感じるような、「とるにたらない」ものをよく歌詞や曲名に登場させたりする。それらは曲の核になっている部分とはなんの関係もないように見えるが、春の強い風に飛ばされそうになるような、心もとない気持ちや、大人になりたくてもなれない気持ちを表現するには、アドバルーンやココアシガレットのような、「とるにたらないもの」こそが、僕の中では適切なのだ。
 先月、『薄荷糖の降るところ』という弾き語りのアルバムを作った。タイトルは江國香織の『金平糖の降るところ』のオマージュで、薄荷糖はカルミンのことだし、中には『ぬるい眠り』なんて曲もある。江國香織愛が全面に出た作品だ。
 僕は先月、大学を卒業して、いよいよ「生産性の低いもの」に目を向けているような場合ではなくなってしまった。だからこそ、子供のときにビー玉を透かしてみたり、サハラ砂漠だったか、ゴビ砂漠だったかの砂をつめた瓶を振りながら、遠い異国に想いを馳せたような感覚で聞いてもらえるような曲が作りたくて、『薄荷糖の降るところ』を作った。急ぎ足で作ったし、音も曲もまるで”がらくた”のようにへんてこだが、小さいころになめた外国の飴のようにぺらぺらしていて、カルミンを口にふくんだように、少し甘くてすーっとするような曲たちなので、ぜひ聞いてみてほしい。

soundcloud.com

Committed To The Cause

 自分の好きなもの、惹かれるものは、ほとんど、寒い場所で生まれている。例えば、シガーロスビョークパスカルピノンを生んだのは、アイスランドレイキャヴィクという街だ。ビクトル・エリセの『エル・スール』は、情熱的なイメージのあるスペインの中でも、雨が多く、寒さの厳しい北部が舞台だし、エリセ自身も雪の多い街で育った。アキ・カウリスマキフィンランド出身だし、太宰治寺山修司は青森、生駒里奈さんと鈴木綺音さんは秋田県の出身だ。不思議なもので、意図的に選んでいるわけではなく、自然と心惹かれるものが、すべて寒い地域で生まれたものなのだ。
 表現には人間の土着性のようなものが、どうしても現れてしまうものだと思う。もしヨンシーが東南アジアの国に生まれていたら、シガーロスのような表現はやっていなかったと思うし、逆に北欧の国に、ラテンのような陽気なリズムはそぐわない。僕が生まれ育ったのは、東京の外れの街で、夏は暑く、冬は寒い、中途半端なところだ。そんな場所で育ちながら、僕が惹かれていったのは、北欧や北国で生まれた表現だったのだ。
 その中でも、僕が特に心惹かれたのが、The Radio Dept.というスウェーデンバンドだ。昨日のブログでも書いたが、高校の時に美術の先生から「Clinging to a Scheme」というアルバムを貸してもらい、そこから好きになった。高校生の時、誰もが経験するように、シューゲイザーにどっぷりハマっていて、特にMy Bloody Valentineが好きだった。二年生の時にライブにも行った。そんな話を先生にしていて、シューゲイザー好きなら、ということで持ってきてもらったのが、この一枚だった。
 初めて聞いたときは、世界的に有名なバンドとは思えないくらい、音が悪くてびっくりした。ローファイと言われるようなバンドも聞いたことはあったが、ブチブチにつぶしたディストーションギターと、必要以上に歪んだドラムマシンは、初めて耳にした音で、衝撃的だった。なにより、その内省的で、完全に社会と断絶されたような響きにとても惹かれた。
 他のシューゲイザー、インディーロックバンドと違って、レディオデプトは音の重ね方だったり、コード感だったり、音作りそのものから、すごく異質だ。彼らの曲は、一聴しただけで心惹かれるような、ポップで甘いメロディーが特徴的だが、実際に真似してみようと思っても、なかなか再現できない。その”異質”な響きには、彼らの”宅録”感のようなものが影響していると思う。
 彼らは、自分たちのことを、「D.I.Y.主義のポップバンド」であるとしている。それは彼らのスタンスに強く表れており、商業主義とは無縁の、字義通りの”インディー”を成し遂げているバンドだ。僕はそういった、D.I.Y.の精神をもった表現が好きだ。そして、そういう精神をもった表現は、大体の場合、とても”いびつ”なものが多い。僕の大好きなアウトサイダーアートの作家、ヘンリー・ダーガーは、八十一歳でその生涯を終えるまで、ほとんど人とコミュニケーションをとることなく、一人でずっと小説と絵画を描き続け、膨大な作品を残して亡くなった。彼の作品は少女が主なモチーフになっているのだが、その少女達に男性器がついていたり、そこで繰り広げられている物語も、かなりいびつなものだ。レディオデプトには、そんなヘンリー・ダーガーに似た、”いびつ”さがある。
 この、”いびつ”さの正体は”デタッチメント”であると僕は思う。社会との”関わりのなさ”というか、完全にデタッチメントな、自分の中だけの世界を突き詰めて表現していくと、その”いびつ”さが現れる。それは先に挙げたように、独特なアレンジや曲調にも現れているが、僕の中で衝撃だったのは「This Past Week」という曲の一節だった。

I want to be a good friend
I want to find my best friend

 僕はミツメもくるりも大好きだが、パーティーの後のうつろな気分は、僕にはわからなかったし、岸田繁が歌うような”別れ”も、高校生のときはうまく実感として理解できなかった。そんな中で、遠く離れた異国の地で、「I want to find my best friend」と歌ってくれる人間がいたことに、驚いたし、その音楽性も相まって、日本語で歌われるよりも自分の中でしっくりきた。この歌詞を見てもわかるように、レディオデプトはずっと閉鎖的、内省、デタッチといったような言葉が当てはまるような表現をし続けてきた。それは彼らの確固たるスタンスだったが、近年、レディオデプトはその様相をがらっと変える。

 二○一○年に発表した「Clinging to a Scheme」から四年の時を経て、長い沈黙を破ってリリースされたのが「Death to Facism」という楽曲だ。タイトルだけ見てわかるように、今までの彼らからは考えられないくらい、”社会的”なメッセージが込められている。この曲は、スウェーデンがその時国政、地方選挙を控えていたため、政治的なメッセージとして発表されたもので、突然の新曲発表にファンは喜びながらも、今までとはまったく違う、社会にとても”コミット”した歌詞、曲調に、とまどいを覚えた。
 彼らは、「Clinging to a Scheme」を発表した年に、日本のメディアに受けたインタビューで、次のように述べている。

「僕達もポリティカルな部分はあるし、しっかりとした意思を持っているけれど、そういうメッセージに固執してしまうと、ロックな音楽というか、攻撃的なものになってしまう。僕達はどちらかというとそういう類のロックに反抗すると言うか、アンチ・ロックというスタンスでスタートしたバンドでもあるんだよね。そういうロック・バンドが陥るようなものとは反対にいたい。だからこそ、D.I.Y.であることが重要なんだ。」

 「Clinging to a Scheme」までのレディオデプトは、啓蒙的なメッセージ性を持ちながら、そこに固執せず、あくまでパーソナルな視点をもって表現を行ってきた。それは「Heaven's On Fire」の冒頭にサンプリングされたサーストン・ムーアのメッセージなどにも現れていた。このスタンスは、僕の中でとてもしっくりくるものだったし、元ゆらゆら帝国坂本慎太郎がソロで表現したのも、それとそれと同じ表現であった。

「政治的な発言もしないですし、社会的なメッセージみたいなものも、もちろん普通に生きているんで、ありますけど、それを音楽で表現しようとは思わない。」

 坂本慎太郎も、レディオデプトと同じように、個人が持つポリティカルな側面を、そのまま音楽として表現することを嫌った。僕個人としての立場も彼らのように、政治的、社会的なメッセージをそのまま音楽や文章で表現しようとは思わない。それは、七十年安保闘争に揺れる世の中で、社会的メッセージのない小説は無意味だとされていた中、社会と断絶した、内的世界を描いた「杳子」や「静物」を発表した古井由吉や、庄野潤三のとっていたスタンスに影響されたものでもあるし、僕が惹かれるのはやっぱりそういう表現だった。
 しかし、去年発表されたレディオデプトのアルバム「Running Out Of Love」は、「スムルト・ファシズム、スロボダ・ナロドゥ!(ファシズムには死を、人民に自由を!)」というユーゴスラビア人民解放戦争のスローガンを引用した、痛烈なメッセージ性を持った楽曲から始まっている。今までとっていたスタンスをすべて否定するかのような、この社会的なメッセージは、「社会全体のレベルが後退し、間違った方向に動いているすべてのことについて」のものらしく、歌詞やアートワークだけでなく、曲調にいたっても、エレクトロ色の強いダンサブルなトラックで、音質もハイファイになり、かつて彼らが持っていたような”いびつ”さは、あまり感じられなくなっていた。
 そのあまりの変わりように、一聴したときはとまどった。なぜ、ここまで社会的な表現になったのか、ボーカルのヨハンは、「歌詞の大部分は皮肉で、ある意味スウェーデンの軍隊業界の偽のコマーシャルのような内容なんだ」と述べている。これを読んだとき、先に引用した坂本慎太郎のインタビューを思い出した。先の発言は、次のように続いている。

「歌詞を深読みできないくらいストレートに言っちゃったほうが、単純に面白い、というのと、あと以外と生々しくないっていうのを発見して。僕個人の叫びに聞こえないっていうか。歌詞を単純化することによって、CMのコピーとか標語みたいな感じになる気がしたんですよね。それは強烈だし、なんか面白いなと。今まで自分がとってきたスタンスと矛盾するとは思わなかったし」

 レディオデプトは坂本慎太郎よりも、より直接的なメッセージ性があるが、両者がとっている立場にはとても近いものがある。「Runnning Out Of Love」も、一聴してわかるくらい大きな変化がありながらも、本来持っていたレディオデプトの原形質的なところは変わっていない。特にそれを感じたのは、アルバムの終盤に収録された、「Committed To The Cause」という曲だった。

www.youtube.com

 曲名を見てわかる通り、彼らは”デタッチメント”から”コミットメント”へ移行した。ではその”コーズ”とはなにか。それは曲中の一節に見ることができる。

「Cause when our pain's over/It's someone else's turn(なぜなら僕らの痛みがなくなったときに/今度は誰かの番になるからだ)」

 レディオデプトは”デタッチメント”から”コミットメント”へ移行したが、同じようにその作風を大きく変えたのが、村上春樹だ。彼は河合隼雄との対談の中で、次のように述べている。

「コミットメントということについて最近よく考えるんです。たとえば、小説を書くときでも、コミットメントということがぼくにとってはものすごく大事になってきた。以前はデタッチメントというのがぼくにとっては大事なことだったんですが」

 この言葉の通り、村上春樹は初期三部作と言われる”デタッチメント”な世界観の作品から、オウム真理教の事件などがきっかけとなって、”コミットメント”へと移行していく。レディオデプトの大きな変化も、この村上春樹の発言から読み解くことができるのではないか。村上春樹は、また次のようにも述べている。

「ぼくらの世代が六十年代の末に闘った大義、英語でいうと『コーズ』は、いったいなんだったのか、それは結局のところは内なる偽善性を追求するだけのことではなかったのか、というふうに、どんどんとさかのぼって、自分の存在意義そのものが問われてくるんですね。すると、自分そのものを、何十年もさかのぼって洗い直していかざるをえないということになります。」

 二○十一年には大きな震災があり、安全保障関連法や憲法改正などで、自分と同い年くらいの人たちがデモを起こしたり、社会的に大きなうねりの中にいる近年、僕たちの”コーズ”は一体どこにあるんだろう、ということを、レディオデプトの新譜を聴いてから、ずっと考えている。

トーチソング

 高校生の時、休み時間になるとよく美術室へ通っていた。教室にあまり居場所がなかったのと、美術の先生のことがとても好きだったからだ。その先生は、優しくて、親しみやすく、どこか遠い北欧の国から来たような、不思議な雰囲気と空気感をもった人だった。あまりにも好きすぎて、二人で話す時は、いつも緊張した。その先生に会うためだけに、美術のゼミにも入った。僕の描く下手くそな絵を、先生はいつも褒めてくれた。他のクラスの仲の良かった友達と一緒に、放課後は常に三人で美術室にいた。

 僕が今好きなものは、ほとんど先生に教えてもらったものだ。ビクトル・エリセも、The Radio Dept.も、ビョークも、全部先生に教えてもらった。僕が人生で一番好きな映画、バンドを挙げろと言われたら、先の二つを挙げると思う。それくらい、その先生には影響を受けた。同時期に僕は宅録を始めていて、作曲もミックスも、今聞くと顔が真っ赤になりそうなくらい粗雑なものだったが、ただただ楽しくて、何曲も作った。曲ができては、CD-Rに焼いて、自分で適当に作ったジャケットを作って、真っ先に先生に渡していた。今ではバンドを組んで、いろんな人に自分の作ったものを聞いてもらえる環境があるが、高校生の時は、ただただ先生に褒められたくて曲を作っていた。

 高校三年生の冬、先生が個人的にやっている作家活動のグループ展があると聞いて、目白にある小さな本屋に行った。その展覧会では、一つのテーマを元に、様々な作家さんの作品が並んでいて、先生は、イラストをガラスに閉じ込めた、ブローチのような作品を並べていた。先生の学校以外での姿を見ることができたのが、嬉しかったし、その作品の一つ一つがとても素敵で、ずっと見惚れていた。その中の一つに、マッシュルームカットの少年が、少しだけ頭を出して、こちらを覗いている作品があった。その物憂げな目つきと、イラストの世界観に惹かれ、一瞬で気に入ってこれを買おうと手に取ると、先生がいいからいいから、と言ってその作品をプレゼントしてくれた。申し訳なく思いながらも、先生のご厚意に甘えることにした。

 展覧会の帰り、先生が駅まで送ってくれることになり、池袋までの道を二人で歩いた。先生は「○○くんがあの作品選んだの、びっくりした」と言ったので、どうしてですか?と聞くと、「あれは○○くんをイメージして作ったから」と言われた。僕はその時、前髪が重た目のマッシュルームカットみたいな髪型だったので、あの少年は僕のことだったのか、と思った。大好きな先生の表現の世界に、自分が存在できた気がして、それまでの人生の嬉しかったことが、すべて吹き飛ぶくらい嬉しかった。

 家に帰って、ブローチを眺めていると、裏面に「トーチソング・カレイドスコープ」という、作品名が書かれていた。カレイドスコープは、その時僕が作って先生に渡していた曲のタイトルだった。トーチソングってなんだろう、と思って辞書で調べると、「失恋、片思いを歌った曲」と出てきた。その当時、僕は好きだった女の子にフラれたばかりだった。フラれた、というよりも、あまりにも奥手で何もできず、気づいたら相手に彼氏ができていた。そのことは先生には一言も話していなかったのだが、その作品を見て、「ああ、先生は気づいていたんだな」と思った。もしかしたら、別の意図でつけたのかもしれないが、先生には全部見透かされているような気がしていて、そういうところも、先生のことが好きな理由の一つだった。

 先生にもらった作品は、僕の高校生活の景色や記憶や匂いを、すべて閉じ込めたような、とてもうつくしいものだった。その作品はとても大切なものだから、机の引き出しの奥にしまってあるが、今でも時々取り出しては、眺めている。

www.youtube.com

サンタクロースのゆくえ

 気づけば、サンタクロースの存在を信じなくなっていた。齢二十二にもなるんだから、当たり前のことなのかもしれない。いつ頃から信じなくなったのか、どうして信じなくなったのかは覚えていない。だけど、僕は幼いころ、サンタクロースの存在を本気で信じていた。なぜなら、うちの両親がそういう演出に、とても力を入れていたからだ。

 うちの家庭では、クリスマスが近づくと、ほしいものを手紙に書いて、サンタクロース宛に送るのが、恒例になっていた。僕は毎年、トイザらスから届くおもちゃのチラシを延々と眺めながら、ほしいものを丁寧に手紙にしたため、思いを込めながらポストに投函した。そうすると、必ずクリスマスの日に、プレゼントと一緒に、フィンランドからエアーメールで返事が届いた。今でも続いているのかはわからないが、そういうサービスがあるのだろう。その文面はちゃんと英文で書かれていて、その上に消印、切手など、しっかりとしたサンタクロースからの手紙になっていて、幼い頃の僕は、それを読みながら、まだ見ぬ異国の地に思いを馳せていた。

 僕がクリスマスのプレゼントとして頼んでいたのは、ゲームのソフトだったり、流行りのおもちゃだったり、平成初期生まれの子供らしいものばかりだった。そのため、このおもちゃは、どこの誰が、どういう経緯でうちに運んできたんだろう、と思っていた。いわゆるフィンランド的な、木彫りの人形だったり、おもちゃだったりすれば、サンタクロースがフィンランドから運んでくる、というイメージがつきやすいが、僕がほしがっていたのはもっと即物的なものばかりだ。フィンランドにはサンタクロースが持つ、魔法の工場があって、そこで全世界の子供がほしいものを大量に生産しているのかな、と思っていたが、フィンランドの深い森の奥にあるファンタジックな工場のレーンに、「ポケットモンスター」のソフトが流れているのは想像がしにくかった。随分と現実的に物事を考える嫌な子供だったが、クリスマスの持つあのムードによって、それはうやむやにされた。

 とある日に、家族でドライブをしていて、後部座席に座っていた僕は退屈から、トランクの収納部分を何気なく覗いた。すると、そこには「トイザらス」と大きく印字された巨大な袋があり、中を見ると僕がほしがっていたおもちゃが入っていた。僕は「お父さん!車の後ろにクリスマスのおもちゃがある!」と叫んだ。父は、少し間を置いてから、「サンタクロースがうちの車に隠しておいたんだろうなあ」と言った。サンタクロースってそういうもんなのか?と思いながら、サンタの存在を信じ切っていた僕は「ふ~ん......」と言いながら大人しく座りなおした。

 それから少しして、サンタクロースの存在は信じなくなった。小学校中~高学年くらいになると、もう「サンタクロースを信じている奴はダサい」という風潮が万延してくる。親御さんによっては、元から「サンタクロースなどいない」という教えのもと、普通にプレゼントをもらう家庭もあり、段々とその価値観が多数派となる。うちの母はどこで聞いてきたのか、インターネットでサンタクロースが空を飛行している様子を、リアルタイムで中継しているサイトを見つけ、「ほら!サンタさん飛んでるよ!」と見せつけてくる人だったので、珍しいタイプの家庭だったのかもしれない。

 両親の努力の甲斐があり(?)、夢見がちでふわふわした人間になってしまった。思えば、僕が北欧の映画、音楽、アート、文化、ファッションが好きなのも、幼い頃のこのクリスマスの体験が強く根付いていると思う。サンタクロースは”いない”けど”いる”。僕は人のつく嘘が好きだ。本音で話してるとお互いが思っていても、本音というのは存在しない。寺山修司も「ホントよりも、ウソの方が人間的真実である」と言っている。「ホントは人間なしでも存在するが、ウソは人間なしでは、決して存在しないから」だ。

 うちの母親は未だサンタクロースのふりをする。去年のクリスマス、枕元にプレゼントがあったので、朝起きて「プレゼントありがとうね」と言うと、「え?なにが?」と知らないふりをする。その割に、「プレゼント、なかなかセンスあるでしょ」と、プレゼントの話を自ら振ってきて、僕が「いやサンタクロースにもらったのに、なんで母さんが知ってんの」と言うと、ゲラゲラ笑いながら「あ~そうだった!そうだった!ウソウソ」と言い残し、どこかへ消える。もう二十歳越えた大人だぞ、と思いながら、その母親のつく、しんどいウソが僕は好きだ。

vimeo.com

i'm lovin' it

 マクドナルドが好きだ。マクドナルドとは、あのマクドナルドである。僕は今でも月に十回は食べるし、僕の学生生活は、マクドナルドに支えられていたと言っても過言ではない。

 大学に入学したばかりの頃、元来の人見知りから、友達が一人もできず、昼食の時間にとても困ったことがあった。僕の通っていたキャンパスは、とてもこぢんまりとしたところで、あまり昼食をとれるようなスペースがなく、大体コンビニや売店でお弁当を買って教室で食べるか、学食で食べるか、という選択肢だったが、人見知りな上に自意識過剰だったため、一人でご飯を食べていることを悟られたくなく、わざわざ学校から十分歩いて、駅前のマクドナルドに毎日通っていた。

 僕にとってマクドナルドは、一番都合が良い。自意識をこじらせ過ぎて、慣れてない店に一人でご飯を食べに行くことができないからだ。例えば、個人で経営しているような、美味しそうな定食屋さんも、「変な時間に来やがって」とか、「めんどくさいメニュー注文しやがって」と思われているんじゃないか、という自意識が働いてしまい、うまくご飯を口に運ぶことができない。ここまでなら、まだ理解される範疇かもしれないが、同じファストフードでも、バーガーキングや、サブウェイには入れない。かつやも、なか卯も、入れない。牛丼屋で入れるのはすき家だけだ。そもそも、初めての環境に立ち入る、という行為が、ファストフード店でご飯を食べる、という些細なことでもできないのだ。だから、友達や知り合いに連れていってもらってから、「ふーん、こんな感じなのね」という確信を得てからでないと、その店へ通うことができない。しかも、その際に友達に「うわ、こいつファストフード店ごときで、なんか緊張してるよ」と思われているんじゃないか、という自意識から、「まあ、普通に何度も来てますけど」みたいな顔をしてしまうから、救いようがない。自意識が連鎖反応を起こして、ぷよぷよだったらフィーバーを起こしている。

 だからこそ、マクドナルドは自由だ。僕がフィレオフィッシュを頼んでも、ビッグマックを頼んでも誰も文句は言わない(当たり前のことなんだけれど)。よく、マクドナルドはうるさいし、人が多いから疲れる、という話をよく聞くが、僕にとってそれは違う。うるさいし、人が多いからこそ、自由になることができるのだ。お客さんが僕一人の、美味しい老舗定食屋は、一見、自由で落ち着ける環境かもしれないが、僕にとってその自由こそが不自由で、マクドナルドのような不自由こそが自由だという、この世において、最も大切な二律背反の問題に気づかされた。マクドナルドは僕にとって、文学であり、哲学なのだ。

 マクドナルドは、まずい、汚い、高い、と良い噂は聞かなくなってしまった。少し前にあった事件や、経営状態からも、まあそうだよな、と思うことは多々あるが、僕にとっては、あのチープな味こそ愛おしい。ハンバーガーの包みを開けて、形が崩れていたり、レタスが申し訳程度しか入ってなかったりすると、むしろ「そうそうこれこれ~!」とテンションが上がる。しかし、こないだモスバーガーを久々に食べたときに、「うわ、めちゃうまいやん」と思ったのと同時に、その感情を「いやいや違う違う、マックのほうが良いから」と自己暗示でねじ伏せたこともあった。もうマクドナルドのなんらかの調味料に、脳をやられているんじゃないかとも思う。なんなら、あのオレンジと赤の”M”のロゴを背中に彫っても良いと思っている。ミドルネームをマクドナルドにしても良いと思ってる。まあ、それは嘘なんだけれども。

 マクドナルドよ、永遠なれ

西多摩の川谷絵音

 少し前に髪を切りに行ったとき、美容師のお兄さんが僕の持っていたミツメのトートバッグを見て、物珍しそうな顔で話しかけてきた。

 

バンドか何かのやつですか?」

「そうです、ミツメっていうバンドで」

「どんなバンドですか?」

「うーん......スピッツみたいな感じですかね」

「じゃあ、あれですね、ゲスの極み乙女みたいな感じですね」

 

 僕はなぜ、スピッツからゲスの極み乙女へ飛躍したんだろう、と思いながら、これ以上、自分の土俵に上がらせるのは危険だと思い、「あ~まさにそんな感じっスね」と答えた。ゲスの極み乙女にも、ミツメにも申し訳ない気持ちになった。

 初めて会う人との音楽の話題は、いつも難しい。僕が音楽をやっているということが知れたとき、大抵「どんな音楽やってるんですか?」と聞かれるが、いつも返事に困ってしまう。広く名前が知られていて、なおかつ僕自身多大な影響を受けているバンドを引き合いにだして、「うーん、くるりみたいな感じですかね」と返すことが多いが、偉大なバンド、くるりでも伝わらない場合が多々ある。そういう時は、「あー、踊れないサカナクションみたいな感じですかね」と言うが、「ふ~ん......」とあまり芳しい反応をもらえない。「キラキラしてないスピッツみたいな感じですかね」と言っても同じだ。

 こうやって考えると、お兄さんの言っていたゲスの極み乙女という喩えは、ある種、正解な気もしてくる。確かに僕は前髪が重ためで髪型のシルエットが丸めなだけで「川谷絵音に似てるよね~実は性欲強いでしょ」みたいに言われたことが何度もあるし、あまり音楽を聴かない人からすれば、僕らのようなバンドのイメージに一番近いのはゲスの極み乙女なのかもしれない。ああそうか、俺は川谷絵音だったんだな、と偏った納得をしていると、友達から面白い話を聞いた。

 ある日、友達が、音楽にあまり詳しくない知り合いに、僕の曲を聴かせたところ「コブクロみたい」と答えたらしい。その話を聞いて、なんで「コブクロ」なんだろうと面白かったのと同時に、あまり主体的に音楽を聴かない人達が僕の曲を聴いた時に、コブクロが一番近い存在だったのが、とても興味深かったし、嬉しかった。僕は周りと比べて、少し低めで太めの声をしているので、黒田さんの歌声に近いと思ったのかもしれない。なので、次から「どんな音楽やってるんですか?」と聞かれたら、「うーん......小難しいコブクロみたいな感じですね」と答えることにした。いや、それもまた違うよな。