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百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

『雪沼とその周辺』について

 以前、ブログで江國香織の『とるにたらないものもの』というエッセイ集のことを書いた。

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 このエッセイ集では「緑いろの信号」「フレンチトースト」「輪ゴム」「干しブドウの味」のような様々な、とるにたらないけど、欠かせないもの、忘れられないものたちが、江國香織の目線を通して語られている。その中の一つに「レモンしぼり器」というものがある。

 それは何の変哲もないガラスのレモンしぼり器で、でも祖母の宝物だった。母の母である祖母はずっと私たち家族と住んでいて、私が子供のころはよく遊んでくれていた。一緒に遊びにいく友達がいるでもなく、一人で遊びにでかけるでもなく、一日中うちにいて、畳にお茶がらをまいて掃除をしたり、煙草をすったり、テレビで相撲や野球をみたりばかりしていた祖母は、格好の遊び相手だった。
 レモンしぼり器は、昔、男に贈られたものだそうだ。遠い昔に、祖母と恋におちた男。何という名前の人か、私は何も知らない。
 私の知る限り、祖母の宝物はそのレモンしぼり一つで、他に例えば装身具などは全然持っていなかった。洋行みやげだというその小さなガラス製品が、その男の唯一の形見らしかった。
 祖母はそれをとても大事にしていた。とてもいとおしそうに扱った。祖母がそれでしぼるのは、レモンではなくみかんだった。
 オレンジエードと呼んでいた。冬、祖母はよくそれを作ってくれた。みかん一つを横に半分に切り、しぼる。それをコップに入れ、お砂糖を入れ、そこに熱いお湯をさす。うす甘い、ぼんやりとした味ののみものだった。でも身体があたたまり、みかんのやさしい匂いがした。
 父も母も、祖母のオレンジエードはのまなかった。理由を訊くと、父は困ったように、好きじゃないんだ、と言い、母は、だってうすくて不味いじゃないの、あなたよくのむわねえ、と言った。そのオレンジエードは、でも私の味覚には大変に合い、作ってほしいとしょっちゅう祖母にねだった。大きくなり、祖母と遊ばなくなってからは自分で作った。中学生のとき、仲のいい友達に作ってあげたところ、彼女の味覚には合わなかったようだ。その後いつのまにかなんとなく、私もそれをのまなくなった。

 「何の変哲もないガラスのレモンしぼり器」という「とるにたらないもの」一つが、不思議な詩情と存在感をもって存在している。祖母の昔の恋人は、恋人である祖母へのプレゼントに「ガラスのレモンしぼり器」を贈るような男性であり、その情報だけで、名前も知らないその男性が、洒脱で素敵な人であったことがわかる。そして、その「レモンしぼり器」を大切に持っていた祖母は、その男性を深く愛していて、別れたあともその時のことを大切に胸に秘めていた、ということが伝わる。それは時を経て、「みかん」をしぼって作られた「オレンジエード」を孫に振る舞うための道具として使われ、父も母も飲まないオレンジエードを好んで飲んでいた江國自身と、祖母との関係性も、その「レモンしぼり器」によってまるで一つの作品のように、物語を生み出されている。
 この話はエッセイだが、江國香織の小説にも、この「レモンしぼり器」のような、「とるにたらないものもの」が登場し、それらは物語の中で、言葉にならない感情を表現したり、情景を浮かばせたりさせるための”装置”のような役割も果たしている。そして、それは江國香織の作品世界の魅力でもあるのだが、同じように、そういった「もの」たちが大きな役割を果たしている小説がある。それが、堀江敏幸という作家の、『雪沼とその周辺』という短編集だ。
 これは、「雪沼」という架空の街を舞台にした七編の短編による連作小説で、そこで暮らす人々を描いた作品だ。先にも説明した通り、この『雪沼とその周辺』には、すべての話に物語の”装置”とも言えるような「もの」が登場する。それは「スタンス・ドット」ではピンボール台や、ボーリングの球やピン、「送り火」では古びたランプ、「レンガを積む」ではレコードなど、どれも「とるにたらないものもの」だ。この「もの」たちが小説の中でとても不思議な輝きを持っていて、それが作品の大きな魅力になっている。しかし、その輝きというのは、買ったばかりの新品の車のようにピカピカと輝いているわけではない。ずっと昔から使ってきた古い道具を、丁寧に丁寧に磨いたような、そんな輝きを持っている。
 七編の短編の中でも、僕が特に好きなのが「イラクサの庭」という話だ。これは、東京から一人「雪沼」に出てきて、小さな料理教室「イラクサの庭」を開いていた小留知(オルチ)という女性の話で、彼女が亡くなる寸前に教え子に残した、最後の言葉である「コリザ」という聞きなれない言葉を元に、オルチさんの過去、人生や人柄を遡っていく、という話だ。タイトルにもなっている「イラクサ」というのはポタージュやジャムの材料としてフランスで使われている植物のことで、フランス語訳の「Ortie」がそのまま、「オルチ」と読めることから、小留知先生が好んで使っていた材料であった。そして、そのイラクサを使った料理に隠し味として「氷砂糖」を使っていたことを、あるとき、教え子である実山が気づく。オルチ先生との過去を振り返り、三十年近い付き合いの中で、「先生の眼に涙が浮かぶのを一度だけ見たことがあった」ことを思い出す。
 先生が若い頃、わけあって生まれた子供を施設に預けざるを得なかった知り合いに頼まれて、遠い親族のフリをしてその子が今、どのように成長して、どうしているのか見に行ってほしいと頼まれたことがあった。責任者に事情を話すと、目の前に六つになる、「つぎはぎだらけの服を着た男の子」が現れる。

おばさんはあなたの遠い親戚です、元気でやってるかどうか確かめに来たんですよ、と言うと、その子はなにも応えずにじっと先生を見つめてポケットから手を出し、これ、あげる、と透きとおった石のようなものをくれた。それが、なんだったと思う、実山さん?前日に慰問に来たどこかの社長さんからの差し入れの、氷砂糖だったのよ、わかる?いまじゃあ考えられないくらい大事な大事な、氷砂糖だったの

 オルチ先生は、「果実酒に用立てるくらいで一般にはあまり料理に使わないあの半透明のかたまり」である氷砂糖を、好んで使っていた。イラクサのスープにも、それは用いられていた。

「先生が最後に言おうとしたのは、コリザではなく、コオリザトウだったのではなかったろうか」

 それに気づいたとき、もしかしたら先生から聞いたあの話の、「わけあって生まれた子供を施設に預けざるを得なかった知り合い」というのは先生自身だったのではないだろうか、と気づく。それはただの思いつきにすぎないが、もしかしたら、先生は「その子を、本当はびしょ濡れになっても連れて帰りたかったのではあるまいか」と思う。そしてその発見を、別に教え子に伝えようと言いかけたとき、それまで降っていた雨が止み、部屋のロールカーテンの奥がうっすらと明るむ、というところで物語は終わる。
 あまりにもうつくしい物語である。作品自体に詩情があふれていて、読んだあとには、まさに氷砂糖を口にふくんでゆっくりととかしているような、やわらかい甘さが残る。まるで自分も雪沼に住む住人であるかのような、不思議な感覚をもたらされる。雪沼という町は、どこか静謐で、昔の空気や名残がある空間として描かれていて、架空の町でありながら、現実と非現実の境目のような、そんな場所である。堀江敏幸の小説は、現実や非現実、現在と過去、はたまたエッセイと小説であったり、詩と物語であったり、様々な二項対立をとかしてゆく。そして、それが彼の小説の一番の魅力であると思う。
 普段、何気なく使っていたり、いなかったり、あったり、なかったりする、とりとめもない「もの」に、個人の記憶や情景、物語が深く結びついているのだ。高校生のとき、片思いしていた女の子に誕生日プレゼントで紅茶の詰め合わせをもらったことがあった。その時、僕はその女の子にフラれていて、複雑な思いでそれを受け取ったのだが、そのプレゼントが紅茶だったことで、僕がその女の子に惹かれていた理由が、普段、紅茶を嗜んでいそうな素敵な女の子だったから、ということを改めて思わされたことがあった。その子からのプレゼントには、その子がとても強く現れていた。その紅茶はどこかもったいなくて、うまく飲めなかった。
 以前にも書いた、美術の先生にもらったブローチもそうだ。「もの」そのものに、その人の物語や過去や歴史がある。日々の生活のなかで、忘れ去られていくようなこと、むりやりそのなかに埋没するしかない、深い喪失感や孤独のようなものを、この作品では「もの」や「道具」という装置を使って、浮かび上がらせている。その目線はとてもあたたかくて、静謐で、うつくしいものだ。『雪沼とその周辺』を読んだとき、自分もそんな目線を持っていたいと、思った。

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夜とドーナツ

 大学時代、ずっとドーナツ・ショップで働いていた。「ドーナツ・ショップ」って表記すれば村上春樹的な、あるいはアメリカの青春映画に出てきそうな、冴えないけどクールな主人公みたいなイメージがつくかなと思ってそうしてみたが、ただの”日本で一番有名な某ドーナツ屋さん”のことである。高校のときはずっと回転寿司屋で働いていて、受験を機にやめてから、新しく始めたのがそこだった。特にドーナツが好きなわけでもなく、母親がたまに買ってくるのをもらっていたくらいで、店にも行ったことはなかったが、当時の友達が別の店舗で働いていたのと、なんとなく「ドーナツ・ショップ」で働いている、と思ったらかっこいいかな、という邪な気持ちで決めた。

 僕の想像していた「ドーナツ・ショップ」というのは、派手な内装の店内に、ピンクや青、赤みたいなケミカルな色に着色されたチョコレート・ドーナツがたくさん陳列されていて、昼休みの時間には太った黒人の警官が、それをでかいコーラと一緒にバクバク食べている、みたいな感じなのだが、東京の外れのショッピングモールにあるうちの店舗は、そういった光景とは無縁で、コーヒーやカフェオレを手に昼下がりのお喋りを楽しむマダム達であふれた、なんとも長閑で平和なお店だった。

 一緒に働いているスタッフの中に、Kさんという人がいた。Kさんは三十を少し過ぎたくらいの、恰幅のいい、黒縁メガネの似合う人で、かれこれ七年近く働いている、バイトの中でも一番歴の長い人だった。Kさんは仕事上のミスをよくする上に、毎回言い訳をする困った人だったが、どこか憎めないキャラクターで、僕を含め、スタッフのみんなからマスコット的に親しまれてきた人だった。スタッフみんなに「早く痩せろ」「痩せないと面接も通らない」と言われ、ダイエットを決意したその日の夜に、事務所で特盛りの牛丼を食べていたし、仕事でミスをしたときも「いやあ、ちょっと風邪引いてて......」と小学生のような嘘をついていた。そんなところも含めて、Kさんの独特な魅力になっていた。

 僕がバイトを始めて少し経ち、Kさんとも段々と打ち解けてきた頃、唐突に「そろそろ就職するから、○○ともお別れだな」と言われた。僕は「残念だけど、大きな一歩だし頑張ってほしいなあ」と純粋に思っていたのだが、結局、僕が大学卒業を機にバイトをやめるまで、ずっとお店にいた。他のスタッフの人に聞くと、あれはKさんの口癖らしく、僕もやめるまで五回くらいはあの言葉を聞いた。Kさんはそんな、ことあるごとに良い恰好をしたがる人だった。例えばこんなこともあった。

 ある日、Kさんが、いつも彼を冗談混じりにいじっていた高校生のTくんを相手に、一対一のバスケ対決を申し込んだ。負けたら、試合を見に来たスタッフを含め回転寿司を奢るという、高校生相手には酷すぎる条件の下、わざわざ市民体育館を借りてその試合は行われた。まるでギャグ漫画のような話だが、Kさんは少し前からバスケを始めていたらしく、余程の自信があるようで、試合前から意気揚々と「○○、俺絶対勝つから見に来なよ」と何度も誘われ、「当日は用事があって行けないんですけど、応援してます!」とKさんを応援することにした。なぜなら僕以外のスタッフがみんなTくんに賭けていたからだ。普通に考えて、体重100キロに近い三十路の男が、高校三年生の身体能力に勝てるわけがない。馬鹿げた試合のようで、Kさんの目は本気だった。Tくんの日頃のKさんに対する「痩せないと絶対彼女できないっすよ」「絶対童貞ですよね」といういじりに、よほど堪えかねていたのかもしれない。とは言っても、二人はトムとジェリーのように、喧嘩しつつも仲が良かった。

 試合は即座に行われ、僕も結果を楽しみにしていたのだが、試合後にバイト先でKさんと一緒になっても、試合の話が飛び出してこない。試合が行われるまでは、「○○、一緒にただで寿司、食っちゃおうぜ」とか「太ってるって言われるけど、これ全部筋肉だから」と、あんだけ意気込んでいたのに、その話がパタリとなくなってしまったのだ。「ああ、負けちゃったのかな」と思っていたら、案の定そうで、ほぼコールドゲーム並みに大差をつけられ、負けてしまったらしい。考えてみたら、どう考えたって身長180cm越えの高校三年生に勝てるわけがない。それは本人にとっても明白だったはずだ。きっと、ひねりすぎた愛情表現で、後輩のTくんにご飯の一つでも奢ってあげたいけど、いつもいじられている身として、そのまま奢るのはどこか癪に触る。だから、バスケの対決という名目で、ちょっと運動しながら遊んで、わざと自分が負けて、その後に寿司でも奢ってやるか、という話だったのだろう、というオチを自分の中でつけて、無理矢理納得した。Kさんはそんな後輩想いで男気のある人でもあったからだ。

 ある日、Kさんから、僕がバイトをやめる前に二人で飲みに行こうと言われ、駅前に新しくできた鳥貴族に二人で行った。思えば、僕にとって人生初の”サシ飲み”だった。Kさんはそれまで、飲みに行ってもカシスオレンジ一杯で顔を赤くしてたのだが「今日は俺、いっちゃおうかな」と、生まれて初めて飲むらしい、焼酎を何杯もあおっていた。そんな、いつも通りのKさんの”イキり”を見ながらも、「もうこんな光景を見るのも最後かあ」となんだかしみじみ思っていた。バイト先の男性で、彼女がいないのが僕とKさんだけだったので、変な仲間意識が生まれていたようで、しきりに「今年こそは頑張ろうな」というような話を延々と聞かされていた。僕としても「いやKさんは痩せたら絶対彼女できますよ」と適当な相づちを打っていた。半分本心でもあった。Kさんは「○○だけだ、わかってくれるのは」と言っていた。まるで『ヒメアノ~ル』や『ヒミズ』みたいな、古谷実漫画に出てきそうなダサい二人だった。慣れない焼酎が回り、顔を真っ赤にしているKさんを見て、ふとあの時のことを訊ねた。

「そういえば、ちょっと前にTくんとやったバスケの試合、どうだったんですか」

 Kさんは、神妙な面持ちになり、「ああ、あれね......」と深く焼酎を煽ると「実は負けちゃったんだよね」と言った。その表情があまりにも真剣だったので、ああ、やっぱりKさんはTくんに寿司を奢るために、わざと試合に負けたんだな、と思いながら「なるほど......残念でしたね」と声をかけると、「いやあ、前日から風邪引いてて......本調子なら絶対勝てたんだけどね」と言った。KさんはやはりKさんだった。そんな彼の一言に半分呆れながら、どこかで親しみを感じていた。

 僕は知っていた。Kさんが趣味で小説を書いていることを。Kさんはライトノベルが好きで、ちょくちょく本の話をしては、執筆活動をしていることを聞かされていた。もしかしたら、その執筆活動での成功という夢を持っていたのかもしれない。初めて働いた会社がいわゆるブラック企業だったらしく、その挫折もあったのだろう。そう思うと、周りのスタッフのように、「早く痩せて就職して彼女作れ」とは言えなかった。周りの人の言うことの正しさを思いながらも、「そんなこと言っても、難しいよな」とどこかでKさんに自分の姿を重ねているところがあった。

 二人で飲みに行った帰り、Kさんのガタついた自転車を引きずりながら、「バイトで会えなくなると思うとちょっと寂しいですね」と言うと、「○○、バンドさ、ずっと続けなよ。頑張ってよ、応援してるからさ」と言われた。心の底からかっこいいと思った。三十路のおじさんと二人で飲んだ夜は、とても青春だった。「じゃあな」と言って漕ぎ出した自転車は、タイヤがパンクしていて、ギーッ、ギーッ!というなんとも間抜けな音を残して、Kさんは西多摩の夜に消えていった。

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あるのかないのかわからないものに

いちいち傷つけられなくていいよ

枠を除いたら

消えてなくなるようなものばかりだから

―—きのこ帝国『Donut』  

ナンバーガールとぼく

 昨日ブログで書いた、高校時代に作ったデモCDで使った写真が出てきた。

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 改めて見返してみると、埼玉のあの土地のさびしい感じがとても集約されているように思う。果てしなく広がっている茶畑と、絵に描いたようなくっきりとした鉄塔、それに右側に申し訳程度に映っている、フジパンの古びたコンテナがなんとも淋しげで良い。自分のいままで作ってきた曲も、実はスクールバスから毎日眺めていたこの風景が根底にあるような気もしてくる。なんとも不思議な土地だ。

 登下校中に、スクールバスから茶畑を眺めながら、音楽を聴いてぼーっとするのが好きだった。片耳だけイヤホンをつけて、友達と他愛もない会話をしながらバスに揺られたり、一人で帰りに、少し暗くなったあの辺りを揺られながら、じーっと音楽を聴いているのがとても心地よかった。初めての登校で、ドキドキしながらバスに揺られていたときもそうしていたし、片想いしていた女の子が彼氏と帰っているのを横目にしながら一人茫然と乗っていたこともあった。いろんな思い出や記憶が、風景や音楽とともに結びついている。

 高校一年生のとき、軽音部の二つ上の先輩とお付き合いすることになった。それまで約二年半、家族以外の他人とほぼ一言も話していないような生活だったので、人と接するということが、右も左もわからず、話すときはいつも緊張した。その先輩は、どこか落ち着いていて、映画や漫画に詳しい、かっこいい人で、年齢以上に大人に見えた。ある日、「このバンド世界一かっこいいから聴いて」と言われて、ナンバーガールのベスト盤を貸してもらった。iPodに入れて、次の日の登校中に、スクールバスで聴いていたが、まったく良さがわからなかった。音が汚いし、うるさいし、よく理解できなかった。そのベスト盤はちょうど一曲目が「IGGY POP FAN CLUB」で、初めてナンバーガールのその曲を聞いて、歌詞の通り「ヘンな歌」だと思った。よくわからないながらも、その先輩のことが好きだったので、ずっと聴き続けていた。

 ある日、「ナンバガ、どう?」と聞かれて、よくわかってないくせに、適当に「ドラムがめちゃかっこいいっすね」と答えたら、嬉しそうにアヒトイナザワの魅力を語ってくれた。「入部してきた時、少しアヒトイナザワに似てると思ったんだよね」と言われた。「まあアヒトの方が全然イケメンだけどね」と付け足されながらも、嬉しかった。僕が初めて先輩という社会と、ちゃんと接するきっかけとなったのが、アヒトイナザワだったのだ。それからのめり込んでナンバーガールを聞くようになった。何もかもが新鮮に聞こえたし、よくわからなかったけど、段々と好きになっていった。「Num-Ami-Dabutz」のミュージックビデオを見て、ようやくナンバガの良さがはっきりと理解できたぐらいの時に、先輩は卒業し、「専門学校で好きな人ができた」からと、それから会うことはなくなった。

 その時に、昔、僕のバンドでやっていた、知っている人は知っている某曲を作った。今思えば、タイトルも曲調も安直すぎるし、若さと青臭さがあふれまくっている。あの熱量というか、雰囲気は十代のうちじゃないと歌えないなと思って、十九歳の最後のライブで歌うのをやめようと決めた。と、言いながらも、こないだの三月のライブで演奏したけど、もうやることはないと思う(この発言はフリになるかもしれません)。「笑いながらヘンな歌」って言ったのも、「君の顔のりんかくを一寸」思い出そうとしているのも、全部僕だった。マイブラも、シガーロスも先輩に教えてもらったし、よくある「彼氏に影響されて音楽を聴き始める女性」の逆バージョンが僕なのだ。今、大好きなバンドや映画も、美術の先生に教えてもらったものだし、笑っちゃうくらい好きな女性に影響されている。僕は特にその「異性に影響されて音楽を聴き始める人」に対してなにも思わないし、それでいいと思うんだけど、自分のこととなるとやっぱり恥ずかしい。タワレコで、たまたまジャケに惹かれて買ってからハマった、とか古い日本のロックが好きで、いろいろと探っている内に出会った、とか”主体的”に見つけて聞いてます、みたいな方がかっこいいからだ。

 だけど、そこから離れたくて、自分で自分の好きなバンドを見つけようと思って出会ったのがミツメだったりする。その嬉しさもあってミツメは世界で一番好きなバンドなのだが、たまにミツメのライブに行くとその先輩の姿があったりして、結局そこの影響は強いのかな、なんてことを思ったりもする。今はナンバーガールを聞くことはあまりなくなったけど、たまに聞き返しては、当時の風景や記憶を思い返したりしている。でも、今こうやってつらつらと書き連ねた記憶や風景も、思い返すと全部妄想のような気もしてくる。それも、すべて向井秀徳のあの「ヘンな」ギターサウンドを聞いていたせいだ、かもしれなせんね。

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エキゾチズムと『入曽』

 僕が通っていた高校は、西東京に近い埼玉の田舎にあって、静かな住宅街と、果てしなく広い茶畑に囲まれた、とても小さな学校だった。僕はそこまで、最寄り駅から電車で三十分、そこからスクールバスに乗って二十分、ドアツードアで毎日一時間以上かけて通っていた。その高校のある街は、静岡茶宇治茶と並んで『日本三大茶』と呼ばれている、狭山茶というお茶が名産品で、遠くまで広がる茶畑と茶畑の間をスクールバスで走って、毎日学校まで通った。等間隔に並んで、上から風をかき回す扇風機と、綺麗に整えられた緑色の茶畑がどこか淋しげで、いろんな思い出と共に、毎日見ていたその風景が、今でも鮮明に記憶に残っている。思えば、宅録を始めた高校一年生のとき、前にも書いた美術の先生に渡そうと思って初めて作った自作のCD-Rのジャケットも、茶畑越しに遠く見える鉄塔を写真に収めたものだった。クラスの窓からは茶畑の緑色が見えたし、三年間、ほとんど一日中あの緑を目にしていた。意識的にも無意識でも、どこか不思議で、心惹き付けられるものとして、あの緑色の風景が頭に残っている。

 ceroというバンドに、『入曽』という曲がある。これは彼らのファーストアルバム、『WORLD RECORD』に収録されているもので、曲名に現れている通り、埼玉県の狭山市にある、入曽という街のことを歌った曲だ。ceroのボーカルである高城さんは、昔、日芸に通っており、所沢にあるキャンパスに通うために入曽に住んでいたことがあるらしい。

 僕が通っていた高校は、二つの駅からスクールバスが出ていて、僕が使っていた駅からのバスとは別に、入曽駅からもバスが出ていた。だから、ceroのこの『入曽』という曲を初めて聞いたとき、そこに描かれている風景や世界がすんなりと自分に入ってきた。

眠れない夜なんかには

あの町のこと おもいだす

誰も渡らない 信号機が

赤になって

青になって

また赤になる 

 ここに描かれているのは、そのまま入曽のある狭山市や、僕の通っていた高校のあった入間市辺りの風景だ。茶畑と工業施設、人間よりも多く目に入る茶畑というどこか淋しい街で、「誰も渡らない」ことで本来の役割を失っている「信号機」がただ無意味に点灯を繰り返している。しかし、そんな淋しげな歌詞が、どこかエキゾチックで陽気なメロディに乗せて歌われていることで、”入曽”という街がどこか異国の地のように、不思議な雰囲気をもって頭の中に立ち上がってくる。

そう、ここは衛生都市 茶畑とモーテル

greentea boulevard 蜃気楼の地

 ここに現れている”視線”というのは、最初の「眠れない夜なんかにはあの町のことおもいだす」という一節にも象徴されているように、東京で生まれ、青春時代のある一時期を埼玉のあの土地で過ごした人によるまなざしであって、東京まで電車ですぐ出れる距離にあるのに、東京から見たらまるで異国のような不思議な雰囲気をもったその土地を、愛着とあたたかな視線をもって歌っている。

 

 今では俳優としても活躍し、国民的な人気となった星野源をはじめとし、ハマケンこと浜野謙太や伊藤大地等がやっていたSAKEROCKというバンドも、ceroの高城さんと同じように埼玉の飯能という、西東京に近い埼玉にある、自由の森学園という、その名のとおり自由で、一風変わった校風が有名な高校の出身者で結成されたバンドであった。あのハナレグミこと永積タカシも、自由の森学園の出身だ。サケロックインストバンドであり、ドラムとギターとトロンボーンマンドリンなどが印象的なバンドだ。バンド名であるサケロックも、マーティン・デニーの曲名から取っているように、彼や細野晴臣的なエキゾチカに影響を受けていることを窺うことができる。

 

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 このライブが行われている会場も、先に説明した狭山市というところにある公園で、豊かな緑に囲まれた印象的なステージだ。ceroの高城さんは、『WORLD RECORD』を発表した際に、「ラウンジ的なエキゾ音楽のそれ以上に、寂しい地方にエキゾチズムを感じる」と発言しており、それは『入曽』のような楽曲に強く現れているが、サケロックの表現していたエキゾチズムのようなものも、高城さんのいうような、西東京寄りの埼玉のあの独特な”寂しさ”を感じることができると思う。高城さんは大学時代、サケロックの彼らは高校時代と、青春時代に埼玉のあの地域で過ごしたものしか表現できない”エキゾチズム”のようなものがあるとすれば、彼らの次にそれをやれるのは高校時代を入間市で過ごした僕だったりするのかしら、なんていう空虚な妄想を思ったりしている。

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 先日、ceroが『ロープウェー』という新曲のミュージックビデオを発表した。まず音楽がとても良くて、どこかノーベンバーズを思うこともできる、ドリーミーで耽美なギターフレーズと、北欧のような幽玄なホーンとフルートの音、そして最近流行っているトラップを思わせながら、マッチョでサグい感じがまったくない印象的なドラムパターンと、僕が好きな要素が全部つまっている。この曲のミュージックビデオで映っているのは、都会や都市というイメージからは離れた、どこか寂しげな街の映像だ。映像の中盤には、茶畑と、風をかき回す扇風塔の映像が流れていて、高校時代のあの風景が一瞬で立ち返った。また、映像が切り替わって、たった一秒足らずで映された、等間隔で並ぶ鉄塔と、淋しげに広がる茶畑のような風景を背に立って、それを振り返って見る高城さんの姿を見て、どこか胸にこみ上げるものがあった。僕が当時、毎日目にしていたあの、鮮やかな緑はモノクロームの世界となって、この曲で美しく描かれていた。大学を卒業し、二十二歳になり、歌詞にあるように「人生が次のコーナーに差し掛かって」いる、今の僕が、あの時見つめていた、あの淋しい緑色の風景を振り返ったとき、高城さんと同じように、それはすべてモノクロームに映っているのかもしれないが、きっと僕はこう思うんだろう。

色のないこんな世界が

それはそれで美しいだなんて

乙女にあこがれて

 乙女にずっとあこがれを抱いてきた。いつからそうなったのかはわからないが、年を重ねるごとにその想いは強くなる一方だ。乙女とはなにか、それは映画で言えばソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイズ』や、『マリーアントワネット』、それから『ヘイフラワーとキルトシュー』や『ひなぎく』のあの感じ、小説で言えばフランソワーズ・サガンや、日本で言えば江國香織田辺聖子の描く世界のような、少女趣味で、果てしなくガーリーで、ちょっといびつで、甘さの中に少し苦さがあるイメージだ。そして、そんな”乙女”の世界というのは、僕のようなぼーっとした薄汚い男は、指一本触れてはいけないような、絶対性のようなものがあり、あこがれを抱きながらも、自分はそこへ存在することはできないという諦めが入り混じった、変な感情で作品を享受してきた。例えば、こんな動画がある。

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 これはアイスランドの双子による音楽ユニット、Pascal Pinonの2ndアルバムのトレイラーなのだが、この動画には”乙女”がつまっている。シンプルな家具で揃えた、屋根裏の部屋で、大きな犬がいて、机の上にはカシオトーンやカラフルなベル、フィルムカメラに紅茶、おもちゃのキーボードに木でできたピアノ。まるで映画のセットのような部屋だ。そしてそれらが、当たり前のように、ごく自然に配置されているのがいい。例えば同じことを僕が自分の部屋でしても、彼女たちのような”自然”さは出ず、とても不自然になってしまう。アイスランドの空気があって、パスカルピノンの二人の雰囲気もすべて含めて、成立しているのだ。僕は彼女たちを、以前ブログにも書いた高校時代の先生に教えてもらって知った。

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 一番始めにあげたトレイラー映像で制作されていたのが、この曲の収録された『Twosomeness』というアルバムだ。1stアルバムはわずか14歳のときに制作され、驚くことに僕と同じ世代なので、ちょうど僕が貸してもらった高校三年生のときに、この『Twosomeness』は発表された。1stアルバムはリコーダーやアコースティックギターなど、小学校にある楽器で収録された、とでもいうようなイノセントでかわいらしいフォークミュージックだったが、2ndの『Twosomeness』はより洗練され、イノセントでキュートな感じを残しつつも、『Bloom』のビデオに象徴されているように、どこかサイケデリックで、ダークでドリーミーで、アイスランドらしいどこか不思議で、幻想的な雰囲気がある。

 僕の乙女に対するあこがれは、彼女たちによるものが強い。初めてパスカルピノンを聞いたとき、音の選び方も、コード感も、歌声も、センスもすべてが完璧だと思ったのと同時に、自分には絶対に表現できない音楽だと思った。僕がもし女性に生まれていたなら、絶対に彼女たちのような音楽をやりたかったし、仮に女性になったところで乙女さが自分になかったとしても、やはり同じようにあこがれていたんだろうと思う。僕にはそんな、乙女に対する強いあこがれと、諦めが入り交じって響く音楽がたくさんある。

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 これは、クラシック、現代音楽を学び、ソロでプロジェクトを行っている音楽家、Rayonsと、シンガーソングライターであるPredawnのコラボした曲で、ドラマチックでミニマルなうつくしいピアノとストリングスに、Predawnの無垢な歌声が乗った素晴らしい一曲だ。Rayonsとは、フランス語で「光線」を意味するらしく、Predawnは日本の有名な童話作家小川未明の”未明”を英訳したものらしい。もうこのセンスがなにより乙女だ。この『Halfway』という曲はまさに、小川未明の小説「赤い船」で、西洋の遠い異国の地に思いを馳せる少女に、海のはるか向こうから響いてきたピアノとでもいうような、うつくしい旋律で、ミュージックビデオのシュルレアリスティックなアニメと共に、北欧の童話のようなちょっとダークで透明な世界観を演出している。ピアノの音も、申し訳程度に響くギターも、音の少ないストリングスも、すべてが完璧に配置されている、大好きな一曲だ。

 

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 ブエノス・アイレス出身で、ニューヨークを拠点に活動を行っている、女性のソングライター、Jacinta Clusellasによる一曲だ。『Halfway』のような、ピアノとギター、ストリングス主体でありながら、ドラムが入っていたり、構成もドラマチックで、広がりを感じさせる。前にあげた二つのアーティストは、どこか北欧的な世界観があったが、この曲は彼女の出身であるアルゼンチンのルーツが感じられる。ミュージックビデオのアニメも素晴らしく、『Halfway』とはまた違って、どこか神話のような壮大さと幻想的な雰囲気がある。

 言葉ではうまく説明しづらいが、この三曲の持っている独特な”乙女”さ、それは童話に出てくる少女のような、無垢で、うつくしくて、ちょっといびつで、甘いけどどこか苦いものだ。僕は彼女たちのような表現ができないという諦めを持ちながら、どうしても近づきたくて、カフェオレボウルで紅茶を飲んでみたり、いちごの乗ったクッキーを食べたり、おもちゃのキーボードを集めたりしているが、やはり”乙女”になることはできない。そんな複雑な思いを抱えながら、僕はこれからも”乙女”にあこがれ続けるしかないのだ。

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『モノクロトウキョー』と『弦楽四重奏第9番ホ長調「東京」』

 サカナクションは、”東京”を描いてきたバンドだ。一聴してわかるものでも『仮面の街』『ユリイカ』『モノクロトウキョー』など様々な”東京”の歌があり、北海道出身者である山口一郎の目線で、それは語られている。中でも『モノクロトウキョー』はタイトルにも歌詞にも「東京」の文字があり、あからさまに「東京」について歌われている。

チチッと舌を鳴らして呼んだ野良猫

走り去りすぐ影の中に消えたんだ

午前5時の都会は妙にゴミ臭い

空が少し湿って曇り始めました

 最初の節で語られているのは、括弧付きの「東京」というよりは、「チチッと舌を鳴らして」という音や、「ゴミ臭い」という嗅覚、「空が少し湿って」というような、皮膚感覚で描かれた東京が登場する。イメージよりもより生活に密着した東京であり、鳥瞰で見る、というよりは足で歩いて感じた東京である。この「トウキョー」は、次のように展開していく。

東京

モノトー

憧れ

フルカラー

 先に語られていた東京は、「野良猫」「影」「午前5時」「ゴミ」「曇り」というワードから伝わるように、「モノトーン」の世界だ。「憧れ」ていた東京、イメージの世界の東京はフルカラーだったが、実際に足で歩いて皮膚感覚で感じたのは、「モノトーン」の「トウキョー」だったのだ。この曲は、「モノトーン」と「フルカラー」という色彩感覚で、山口一郎の「東京」に対する混沌とする思いを描いている。山口一郎は、『モノクロトウキョー』で語られた「東京」そして、この曲が収録された「DocumentaLy」というアルバムで語られた「東京」について、このように語っている。

「シンシロ」というアルバムは東京に出てきたばかりの自分たちを描いて、「kikUUiki」では東京で見つけた自分たちのスタンダードを描いたんですよね。で、このアルバムでは東京で今まで一体何を見てきたのか、今何を見ているのかを歌わなきゃいけないなと思って。東京で生活している中で疑問に思うこととかをすごく意識しましたね。東京という街に馴染んできたことに対する苛立ちというか

 それまで語られてきた「東京」よりも、『モノクロトウキョー』はよりパーソナルな目線をもって描かれていることが、ここからわかる。この曲を聴いたとき、先日述べたように、山口一郎が影響を受けた寺山修司という作家の、『田園に死す』という映画を思い出した。『田園に死す』は一九七四年に公開された映画で、青森の恐山を舞台に、父親のいない「私」とその母を描いたもので、”アングラ”の名にふさわしい、一言で説明しづらい作品だ。この映画は寺山の自伝とも言えるようなものなのだが、いわゆるな自伝映画ではなく、寺山らしい虚実が複雑に絡まった独特なものになっている。例えば、前半で語られている少年時代が極彩色と言えるようなカラーで映されているのに対し、”現在”の私はセピア色で映されている。我々が共通して持っているセピア=過去、カラー=現在というイメージを覆し、時間軸を曖昧にしている。この映画は最後、二十年前の母と”現在”の私が故郷の家でちゃぶ台を挟んで食事をしているシーンから、「生年月日、昭和四十九年十二月十日、本籍地、東京都新宿区新宿字恐山」というナレーションと共に一気に四方の家の壁が倒れ、実はそこが新宿で撮られていた、ということがわかるという、すごい展開で終わる。時間軸も虚実も、色彩も、いろんな感覚をすべて揺さぶられるような、すごい映画だ。

 『モノクロトウキョー』でも、『田園に死す』ほどあからさまではないものの、「東京」という街に対する混沌とした思いが、パッパッと切り替わる映画のシーンのように展開され、「モノトーン」と「フルカラー」という色彩によってそれを色付けている。

 同じように、寺山的な感覚で「東京」を描いた歌がある。それが、毛皮のマリーズというバンドの『弦楽四重奏第9番ホ長調「東京」』という曲である。毛皮のマリーズというバンド名自体、寺山修司の戯曲からとっていて、寺山の影響を窺うことができる。この曲の歌詞も、「ねむれ 母のない子のように」と、寺山修司が作詞を手がけた、カルメン・マキの『時には母のない子のように』という曲からの引用があったり、寺山を意識したものであることがわかる。この曲は「星のカーテンコールにしばしの別れ」「銀色の夢に沈む夜」「ヒーロー」など、”舞台”をイメージした言葉が多く登場し、「東京」というものを”舞台”化したかのような、そんな「東京」が歌われている。

 寺山修司は、一九七五年に、東京の阿佐ヶ谷で、三十時間にもわたる”市街劇”を行ったことがあった。それは『ノック』と言われるもので、杉並区一帯を劇場に見立てて、同時多発的に演劇を行うというものだった。今でいうフラッシュモブに近いのかもしれないが、「あなたの平穏無事とは一体何なのか?」と知らない住宅のドアを強く”ノック”し問いかける、という迷惑じみた行為に、警察や住民を騒がせた衝撃的なものだった。この『ノック』は寺山の「単に”市街”を私たしの演劇のための舞台とする、ということではなく、市街の日常の現実原則を、丸ごと演劇として抱えこむ、ということであった」という考えが根底にあり、市街を”舞台”にする、というフラッシュモブ的な考えよりは、何も知らない住民も巻き込み、劇場と市街の境目を失くしていくようなもので、日常の現実も演劇も、同じく”虚構”であるというような寺山の考えが強く反映されたものだった。

 毛皮のマリーズのボーカルである志摩は『弦楽四重奏~』について、次のように語っている。

たくさんあるじゃないですか、東京を歌った歌は。でも、いわゆる上京物語的なものにはしたくなくて。”中央線、4畳半”みたいなものではなく――僕、中学くらいのときに渋谷系って言われてる音楽が好きだったんですよね。あの頃に感じていたのはカタカナの”トーキョー”なんですよ、漢字の”東京”ではなく。岡崎京子さんのマンガに出てくるような、あの感じ。

 志摩が『弦楽四重奏~』で歌った”東京”とは、『モノクロトウキョー』とは違い、よりイメージの世界に近い東京を描いている。しかしそれは、寺山修司のように、東京を”舞台”として見立て、虚構を描くことで現実を浮かび上がらせようとしたもので、どちらの曲も目線は違うものの、紛れもない”東京”が現れている。『弦楽四重奏第9番ホ長調「東京」』は、最後”東京”を定義付けて終わる。

愛しきかたちないもの 僕らはそれを

――”東京”と、呼ぼう

山口一郎と寺山修司

 昔、熱心に聞いていたバンドも、時が経つにつれて、あまり聞かなくなることが多い。熱が冷めた、とか嫌いになった、というわけではなく、真空の容器にそっとしまったまま、棚の奥で眠っている、とでもいうように、音楽を聞こうと思って聞く、というよりたまに取り出しては、当時の自分が持っていた熱を、改めて思い出すような作業になってくる。小学生、中学生、高校生、大学生、十代、二十代と、それらは聞いていた当時の記憶や風景、心情などと一緒に棚にしまわれてゆき、その容器は段々と増えてゆく。その棚のようなものを思ったとき、一つ、まだ熱を保ったまま、聞き続けているバンドがいた。それが、サカナクションというバンドだ。

 サカナクションは、昨日、二○一七年五月九日をもって、メジャーデビュー十周年を迎え、今や日本のバンドシーンを代表する位置まで上り詰めたバンドだ。僕は中学生のときに三枚目の『シンシロ』というアルバムで、このバンドを知った。中学時代、熱心に聞いていた日本の様々なバンドは、二十二歳になった今、ほとんど聞かなくなってしまった。しかし、サカナクションだけはいまだに新しいアルバムが出たら聞いているし、活動もチェックしている。サカナクションはそんな、僕にとって稀有なバンドだ。

 サカナクションのボーカル、山口一郎は”表現”に対して意識的な作家だ。音楽だけでなく、アートワークやビジュアルイメージ、ファッションに至るまで、徹底したこだわりを持ち、様々な”仕掛け”を作ってきた。その始まりとも言えるのが、斬新なミュージックビデオと共に発表された、『アルクアラウンド』という曲だ。この曲で、サカナクションは多大な評価を受け、ミュージックビデオ自体も文化庁メディア芸術祭で、エンターテイメント部門優秀賞、スペースシャワーミュージックビデオアワードでベストディレクター賞など、様々な賞を受賞している。サカナクションにとって大きな意味を持った一曲だが、山口一郎はインタビューで次のように振り返っている。

「ファンから寄せられた反応のほとんどが「山口さんって天才」だとか、映像作品への評価すべてがミュージシャンに集中していて驚いたんです。つくったのはぼくじゃないし、チームとしてのプロダクトだと伝えたかった。」

「ぼくは過去にイヴェントスタッフのバイトをしていたので、もともと裏方気質で。評価されるのはみんなであるべきだし、今後、映像監督やファッション、ヘアメイクを通して音楽を知るっていうルートがあってもいいんじゃないかと思ったんです」

 この発言を形にしたのが、同じくミュージシャンであるAOKI takamasaと共に開催されたクラブイベント「NF」であり、山口の呼びかけでライゾマティクス代表でメディアアーティストの真鍋大度や、ファッションデザイナーの森永邦彦、スタイリストの三田真一など、様々なジャンルで活躍するクリエイターが集まってできた、新たな表現の一つのシーンだ。それは山口の「新しいカルチャーに出会える場所」を作りたい、という意識が根底にあるもので、「ぼくらの時代から音楽システムが変わっていったと思われたい」としている。この山口一郎の”表現”に対して意識的に様々な”仕掛け”を作っていくというスタンスは、かつての寺山修司の姿に重ねることができると思う。

 寺山修司は、一九六十年代から八十年代に演劇や映画、写真、短歌、競馬など様々な表現の世界で活躍した、前衛芸術を代表する人物だ。寺山は一九六七年に実験演劇のインディペンデント劇団、「天井桟敷」を旗揚げし、この「天井桟敷」をきっかけとして、寺山の名は知られてゆく。その演劇は実験性に富んでおり、グロテスク、エロティシズム、サイケデリックとも言えるような、前衛的で、挑戦的な表現を行っていた。寺山修司もまた、山口一郎と同じように、様々なクリエイターと共に活動を行った作家だった。美術家、グラフィックデザイナーの横尾忠則や、宇野亜喜良、漫画家の林静一花輪和一、作曲家のJ・A・シーザーカルメン・マキなど、それは多岐に渡り、今では当たり前のようになっている、サブカルチャーの大きな流れを作り上げていった。

 山口一郎の「NF」とは、彼が多大な影響を受けた寺山修司の「天井桟敷」のようなことを、現代に仕掛けようとした、大きな試みなのではないか、と思う。以前までは、”テラヤマ的”とも言われるような、寺山修司に影響を受けた表現が多く見られたらしいが、今音楽やバンドのシーンにおいて、その影響を見られるのは少なくなっている。サカナクション、特に山口一郎のやっていることだけでなく、書く歌詞においても、その”テラヤマ的”なところを見ることができる。

僕は贅沢を田に変えて 汗かく農夫になりたい 嘘です が嘘です

風に負けて倒れた木々の枝で家を建てるべきだ 嘘です それも嘘です

何度でも何度でも 嘘つくよ 人らしく

疲れても それしかもうないんだ

 これは『シンシロ』に収録されている「enough」という曲で、僕の大好きな一曲だ。最初の二行はそもそも文体が歌詞というよりも、日本の現代詩のような雰囲気を漂わせていて、耳で聞いていても独特な響きがある。この、最初の二行で「贅沢を田に変えて汗かく農夫になりたい」「風に負けて倒れた木々の枝で家を建てるべきだ」という暗喩ととれる表現が登場し、それらが”嘘”である、ということが”嘘”であると語られる。そしてその”嘘”をつくという行為は、「人らしく」あるためのものであるとする。

 寺山修司は、”嘘つき”と広く言われていた人物で、彼の人生から表現まで、嘘や虚構というものが大きなモチーフにあった。例えば自分の出生を「汽車のなかで生まれた」と語ったり、「僕は映画館のスクリーンの裏で暮らしていた」と語ったり、少し信じてしまいそうなものから、一瞬で嘘とわかるがどこか素敵なものまで、様々な”嘘”をついていた。寺山修司はこんな言葉を残している。

ホントよりも、ウソの方が人間的真実である、というのが私の人生論である。なぜならホントは人間なしでも存在するが、ウソは人間なしでは、決して存在しないからである。

 ”嘘”というのは、人間が作り出したものだ。というよりも、そもそも”言葉”というもの自体が”嘘”だ。かつて言語哲学者のソシュールが言ったように、シニフィアン(意味しているもの)とシニフィエ(意味されているもの)のつながりというのは恣意的なものであり、この関係性の間に必然性は存在せず、虚構性の上に成り立っている。僕らは、”本当”の方に人間的真実がある、と勘違いしやすいが、”嘘”をついてしまうということの方が、実は真実なんじゃないか、というのが寺山の考え方である。そして、サカナクションの「enough」はこのように続く。

それは蜃気楼 僕は夜の船 浮かび消える蜃気楼 聞こえてる悲鳴

心はがんじがらめ 本音は嘘の中 ゆらゆらゆらゆらゆらゆら 漂うだけ

 「本音は嘘の中」という言葉は、日本のメジャーバンドが歌っているとは思えないくらい、独特な響きがあり、先に挙げた発言のような、寺山からの影響を色濃く感じる。「蜃気楼」という”虚構”の中を、僕という「夜の船」がゆらゆらと揺れている。これもまた、一番最初の二行と同じように、暗喩の表現が使われているのだが、曲の終盤に入って、その様相を変えてゆく。

僕は贅沢です だからさ 少しでも余裕がある時には笑ってさ 笑ってさ

たまに正直な君の事を想ってさ 話すようにするよ

直喩のまま 直喩のまま

 それまで”暗喩”が続いていたが、最後になって、”僕”は「正直な君の事を」想って、「直喩」のまま話そうとする。最後、曲はこの二行で終わってゆく。

何度でも何度でも話すんだ 僕らしく

嘘でもいい 嘘でもいい話を

 「正直な君」と「嘘つきな僕」という対比、そしてその中で、「僕」が「僕」らしくあろうとするためには、「僕」は嘘をつかなければならなかった。そしてその行為は、「僕」というものの”本当”を色濃く浮かび上がらせるものでもあった。寺山修司が嘘や虚構というモチーフを用いて表現を行ったのも、その虚構によって、現実、また別の現実を浮かび上がらそうとしたためだ。山口一郎は『シンシロ』と『アルクアラウンド』を発表した時期にインタビューで、「歌詞に文学を感じるクラブロックが出来たらいいなと思って」いたと発言しており、それこそが「寺山修司などのサイケデリックな感じの日本に通じていくんじゃないか」としていた。山口一郎は、インタビューで寺山修司について、次のように語っている。

彼が天才だと思うのは、短い言葉の中で、もの凄い人生を語れるというか。仮想の人生を語ってしまえるというか。歌もそうあるべきかなと僕は思う。

 サカナクションの歌詞は、山口が深く読んできた日本の現代詩、特に俳句などの表現が強く影響しており、それらは、音楽というものが持つ性質、曲の構成であったり、歌詞の譜割りであったり、俳句や短歌的な制約の中で、少ない文字数で情感を持たせる、という試みだった。ヒットチャートに乗るようなキャッチーな音楽性でありながら、ただ消費されていくだけでない、強度の高い音楽を作るためには、歌詞の”文学性”が必要であったし、そのためには寺山的な手法、また日本の現代詩、短歌、俳句的な手法が必要だった。その言葉通り、サカナクションは日本のバンドの中でも特に高いセールスを記録しながら、同時に表現としても高い強度を持たせることに成功しているのである。

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