百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

よかった曲

ムラオキくんに教えてもらったHoopsのDave Ostermanによるソロ。2分足らずの尺にパツパツのシンセ・ファンクが詰め込まれている。これを聞くとHoopsの特徴である、ウワモノがドリーミーなのにリズムが手数多くてキメがかなり効いてるという不思議な聞き心地の謎がわかる。今年の終わりの方に音源出すみたいなことを言っているが、まだ出ていない。

今年、特によく聞いていたリヴァプールのバンド。元々Trudyという名前だったがTrudy and the Romanceに改名したらしい。バンド名にロマンスって入れちゃうくらい、呆れるほどにロマンチック。Mutant 50's PopやEP名でもあるJunkyard Jazzという引きのあるジャンル名は、Mac Demarcoの言うJizz Jazz的な雰囲気があり、3人組時代の音源はどこかMakeout Videotapeに近いところがあります。メンバーの服装がヴァージンスーサイズのホームパーティーみたいで最高。キーボードを弾いている女の子は、別の動画だと男ものの服を着ていて、声も男。男性なのか女性なのかわからないが、そういうところも良い。同郷のHer'sのアルバムも良かった。

Moses Sumneyの待望のファーストより。PVがそういうイメージというのもあるけど、ジョージ・ルーカスの『THX 1138』のような70〜80年代のSFみたいな空気を感じる。ピアノの弾き語りバージョンを聞くと、曲の輪郭がはっきりしてまた良いです。

 たまたま見つけた、ふざけ〜なジャケに惹かれて知った。The 1975のネオンライトっぽいピンクのイメージではなく、MVの最初に映し出されるちょっとくすみがかったベージュに近いピンクカラーがあらわしているように、カルト寄りのマシュー・ヒーリーという感じがします。シングルなので移動のちょっとした隙間によく聞いていた。アルバム出たら売れそうな気がします。

初めの方に出たアルバムも良かったし、Tennisはいつだって安心して聴けます。MVの感じもいい。

何度も繰り返し聞き、影響も受けた曲。MVを撮っているCC WadeはKing KruleやJerkcurbも撮っているモリッシー兄弟の変名で、あの辺りはビデオからアートワークから全部自分や友達の中で作っちゃって、なおかつクオリティがめちゃくちゃ高いのがすごいなあと思う。日本で言えばミツメの感じと似ていて、大きなところに任せずに自分の仲間うちで好きに表現できるというのは、世界的に今の音楽の一番良い在り方なのかなと思います。恐るべしサウスロンドン。

そんなサウスロンドンの若大将、アーチーマの待望のセカンドより。ファーストよりも更に内省的で、アレンジも不眠症だったり幻覚を思わせるようなフラフラとした音像に。Midnight 01やLa Luneなど、ライブではもっとラウンジっぽいジャズというか、バンドサウンドという感じですが、アルバムだと宅録のような内に入り込んでいくような感じになっていて、どちらも良いです。アーチーマは予想をいつも飛び越えてくる。

同じくサウスロンドンより。Jerkcurbはアーチーマよりもっとあからさまにロマンチックで、そのロマンチックさというのが映画っぽいところがあり好き。そして相変わらずMVのクオリティがすごい。

King Kruleとツアーをまわったニューヨークのバンド。ファーストはもっとパンクっぽいけどセカンドは電子音が増えた。ライブ映像を見ると、なぜかギターではなくバンジョーを使っていて、めちゃくちゃ変。その上サンプラーでノイズを出したり、スリーピースなのに音が分厚く、イカつい。繁華街や怖いところなどを歩くとき、強い気分になるためによく聴いていた。

ジャック・ステッドマンの音楽は、僕の成長と共にあるのか、というくらい、節目節目で素敵な音楽を提供してくれます。サンプリングを多用しても、ジャック・ステッドマンが強くあらわれていて、彼の存在や良さを再認識するようなアルバム。

休日にこれを聴きながら外に出ると、一気に「良い休日感」が出る。ベニー・シングスがフィーチャリングというのがまた良い。

Rex Orange Countyつながりで。「Flower Boy」も今年よく聴いたアルバムの一つ。

ノルウェーの恐るべき18歳、boy pablo。僕の前のiPhoneは容量が少なくて音楽を入れたり消したりしていたんですが、このEPは常に入れていました。中でも最後のReady/Problemsという曲が良く、最初のドラムフィルなどを聴くと、マックデマルコChamber of Reflectionにあこがれて作り、だけどそれが十代特有の感性によって、模倣を越えて特殊なエモさを生み出している。これを20代そこらの人間がやろうとすると、ただの模倣になってしまい、あこがれを強く持てる十代ならではというか、奇跡的な感覚で作られたものだと思います。

曲も映像もよく、ひたすらにロマンチック。2分半辺りで一度ブレイクし、ブリバリにエモなギターと歌が入ってくるところで、毎回ぞわっとする。影響も受けた一曲。

二分ほどの尺で、後半をほぼメロトロンをブリバリに鳴らして終わるという大胆すぎる曲。アルバムもフランスやイタリアなどの古い映画のサントラのようでとても良かった。

アーチーマがボーカルの曲の中では、King Kruleよりも好きかもしれない曲。なにかが起こりそうな緊張感が最初から続き、中盤で走り出すようにハンマービートが入ってくるのにめちゃめちゃシビれる。聴いていると走りたくなる。洋楽で言えば今年のベストくらい良い曲。

元ヴァンパイアウィークエンドのロスタムのソロより。去年出たハミルトン・リーサウサーとの共作の流れを汲むようなロマンチックな曲。自分の目指す方向の先に、こういう曲があらわれると安心します。

YouTubeでたまたま見つけてよく聴いていた曲。MVが「サブマリン」だから、良い曲に聞こえてるだけなのかもしれないが、センチメントであたたかいアコギにメロトロンみたいな小さい弦楽器の音と、つぶやくような歌が沁みる。「I like you」と繰り返し歌う声に、僕のような人間はどうしてもファッキン・イーモゥを感じてしまいます。

ローファイな音に、けだるそうな歌声、海外のインディー女子っぽいノリの映像と、宅録女子の良さがすべてつまった曲。他の曲もキュートでセンスがある。来年辺り、どこかからちゃんとした音源出したらあっという間に売れそう。

クリストファー・オウエンスのいまにも泣き出しそうな歌声を聴くと、こっちまで泣き出しそうになる。Curlsというバンド名にもぐっとくる。

Pascal Pinonの片割れ、ヨフリヅルのソロ。幽玄で広がりがあるのに、キーボードがおもちゃみたいな音でぐっとくる。去年出たPascal Pinonのアルバムも良かった。自分は結局こういう音楽が好きなんだな、と思わせられた曲。

Ice Creamで知って、ようやく音源が出たフランスのバンド。自分たちの音楽をold waveと名乗っているのにうなずけるし、ちょっとバカっぽいユニークな雰囲気も良い。

初期のベッドルームな感じも好きだけど、新しいアルバムの感じがすごく好きでよく聴いていた。こういう色気のあるパフォーマンスをしたいと思うけど、自分には出せないなと思う。

 YouTubeでたまたま見つけて一聴惚れした人。音自体はタイラーザクリエイターのあそこ等辺と共鳴する感じあります。ナードでメガネで一人でコミカル、というキャラクターはJerry Paperを思わせるところあります。

前作よりもアコギが印象的で、音像もクリアで独特なボーカルが際立っていて良い。さっきのJFDRといい、ほぼ同世代の人たちの音楽に自然と惹かれることが多い。

 

 

ヤングたかじんTwitterで知る。なによりフロウがかなり特徴的で聞き心地が良い。演奏しているのは兄弟らしい。ラッパーがマイクではなく「ギターのピック」をラップしているというのが新しいし、そこで語られている風景というのがユーモアにあふれていて、とても素敵。

SUMMITはテーマソングも良かったし、dooooやもちろんPUNPEEの「Modern Times」も良かった。その中でも年の初めからよく聞いていた曲。

このPVで爆ハネしたJEVA、呂布カルマが言うように「イオン」をラップするということが今の時代でなによりもリアルな感じがする。カウリスマキの「街のあかり」をあからさまにオマージュしたジャケットに、「過去のない男」をサンプリングした「oh!!!米」のMVと、カウリスマキ愛を感じる。都市部から離れた田舎に住み、巨大ショッピングモール、イオンで飯を食い、服を買い、生活しているような人間にとって、カウリスマキのような生活様式というのは、ひどくあこがれて見えてしまうのだと思う。「oh!!!米」の最初、「過去のない男」のソーセージスタンドのシーンを羨望のまなざしで見つめながら、鍋からインスタントラーメンをかきこむ姿はそのまま僕で、心にきました。

カウリスマキつながりでキセルの「富士と夕闇」。冒頭に出てくる赤いやかんは意識的かそうでないか、まさしく小津安二郎デンマークで買い、映画の中であからさまに置かれ、なおかつ、それに影響されヘルシンキカウリスマキが買ったという「赤いやかん」で、その上にコーヒー、犬、茶畑、さびしげな鉄塔、おもちゃみたいなラジカセと地球儀、『パターソン』的な詩を書き留めたノート(おそらく)に、とぼけたようにヨレるリズムとフルートと、僕の中の極めて狭い範囲の、好きなものたちが全部登場していて、一番どきどきした曲。

茶畑つながりで、これも西武線沿線のさびしい風景が映像となり、それにぴったり寄り添うような曲が印象的。ceroの高城さんが大学時代、入曽に住んでいて、それを踏まえて前に「埼玉のあの辺りで青春時代を過ごした人にしか描けない、さみしさやエキゾチズムがある」みたいなブログを書いたら高城さんがいいね、してくださって嬉しかった。僕が高校時代、毎日見ていたのも「ロープウェー」のような茶畑と、さびしげな鉄塔が広がる風景だった。飴屋さんの佇まいもシビれる。余談ですが、山下澄人の「を待ちながら」を見に行ったとき、劇中で山下さんが飴屋さんを指しながら「なんか黙ってて難しいこと考えてそうやろ?なんも考えてないねん」みたいな台詞があり、笑った。

誰もが認める2017年の大名曲。コード進行はミニーリパートンのLovin' Youなのに、細部でミツメっぽい”外し”があって、メロディも歌詞も初期の甘酸っぱい感じと、最近の霧や白昼夢のようにもやもやした感じがちょうどいいバランスで現れていて、ずるいなあ、と思う。ミツメはどこに向かっても全部良いから、もうほんと好きにやってください!という感じ。

曲も歌詞もMVも全部良い。ワクワクミツメまつりでようやくライブを見れたけど、極限に削がれたアコギにドローンっぽい幽玄な音がサンプラーで重なって気持ちよかった。WPMはずっと期待していたFamily Basikのアルバムがようやく来年出るそうで、それも楽しみ。

バルーンいぐちくんに教えてもらったアイドルネッサンス小出祐介の詞曲も良い上にメンバーの感じや歌が良い。PVの舞台がほぼ地元で、見慣れた風景が映っているのもぐっときました。「決まらない前髪をまた風が乱してゆく/いつまでも私たちきっと決まることなんてないんだろう」というパンチラインから、パンチラインが続く、パンチラインの応酬。余談ですが今年初めてベボベをまともに聞き、いいなあと思いました。

hanagumori

hanagumori

  • provided courtesy of iTunes

 その流れでバルーンの「hanagumori」。夏に彼らと企画でご一緒したときに聞いてから、いいなあと思っていた曲。キックやクラップの音や、印象的なパッドシンセのリフなど、日本でまだ聴けていないような音なのに、海外のあからさまな模倣にもなっていないところがすごい。バンド名にイメージが寄ってるだけかもしれませんが、この曲を聴いていると、アルベール・ラモリスの「赤い風船」のように、花曇りの空に色とりどりのバルーンが飛んでいる風景が浮かびます。AYCの「Slip Outも共作の「Carousel」もとっても良い曲。

今年の初め、僕たちの企画に出てくれたナツノムジナ。ムジナはライブも圧倒的な上に、音源もアートワークも、すべて良い。「淼のすみか」はマインドトリップがテーマだそうで、「暈」は特にそれが象徴的で、Aメロでパッパッと切り替わる映像とそれに対応するかのような演奏は、あらゆるイメージが目まぐるしくフラッシュバックしたり、移り変わっていくようで、アルバムの最後にそれが彼らの代表曲「渚にて」で終わる、というのにシビれる。もう多くの人から大きな評価を受けつつある彼らですが、もっともっと評価を受けるべきアルバムだと思う。

アフターダーク

アフターダーク

  • For Tracy Hyde
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 待望のフォトハイ2ndより。J Dillaみたいなタメの効きまくったドラムが特徴的で、デモを聞いたときから気になっていた曲。途中で入るレカさん(通はこう呼ぶ)のラップパートのフロウがかつての名曲Summered Awayを思わせるところがあり、どうやらレカさん(通はどうしたってこう呼ぶ)がレコーディング前、聞いて意識していたらしい。ファーストも良いアルバムだけどセカンドはもっと僕の好みと近くてブリバリに良かった。スガさんに「アフターダーク、ライブでやってくださいよ」と言ったら「いや、あれはライブでやるのは無理」と言っていた。ぜひいつか聞きたい。

後悔

後悔

  • 柴田聡子
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 なにを食べてどうやったらこんな曲が書けるのだろう、といつも思う。初の詩集「さばーく」も装丁からなにからすべて良くて、今年よく読んでいた。

煙突(モクモクremix)

煙突(モクモクremix)

  • どついたるねん
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 こないだEPが出てからずっと聴いている曲。原曲とは違うハネたドラムが気持ちいい。

髪を切ってくれる友達

 たまに聞く「髪を切ってくれる友達」という存在にあこがれる。どこで目にしたのかは覚えていないが、たまに聞いたり見かけたりする「友達に髪を切ってもらう」という行為はずるい、と思う。「友達に髪を切ってもらう」ということが、まず「お洒落にそこまで気をつかってない」という感じがして、かっこいい。「わざわざ美容院に行くまででもない」みたいな感じで、力が入ってない気がする。その上、大体そういった人の髪型はお洒落で、かっこいい。仮に失敗したとしても「まあでも、友達に切ってもらったから」と気にしていない感じが出せる。うまく切れたら切れたで「いつでもお洒落に髪を切ってくれる友達」がいる、ということになってかっこいい。どの方向から攻めてもかっこいいのである。

 僕がどれだけ良い美容院へ行き、ハサミからシャンプーの所作に至るまで、どれだけ細かく注文したとしても「髪を切ってくれる友達」に切ってもらった髪型には勝てない。それがたとえ、少しボサッとしていても、それすらセクシーに見えてくる。そもそも「髪を切ってくれる友達」がいて、その人に髪を切ってもらうという生活を送っている時点で、それは洒脱でセクシーで、どこか凡人とは違う雰囲気を持っているような人なわけで、どうしたって勝てないのである。

 少し前に、日本に住む外国人を密着する、みたいなテレビ番組がやっていて、その中で日本のムード歌謡が大好きなイギリス人男性を追っていた。その男性はまさに英国紳士といったような風貌で、常に落ち着いたスーツを身に纏い、髪型もカチカチに固められ、彼が住んでいるという東京の下町の雰囲気からは浮いていた。その番組の中で、彼の家にお邪魔する、という流れになり、彼の住んでいるというどこにでもあるような、日本のいわゆるなマンションの一室が映し出された。その一室は、特に内装が綺麗なわけでもなく、作られたのが新しいわけでもない。どこにでもあるような和室の部屋だったが、シンプルに揃えられた家具と、綺麗に整頓された大量のレコードが、まるでなにかのセットのように不思議な雰囲気を作り出していた。

 聞けば、日本の古いムード歌謡を聞いているうちに、昭和の雰囲気にあこがれ、あえてそうしているらしい。その上、美容室、というよりはバーバーという言葉が似合うような、イギリス英国紳士ライクなその髪型も、近所の1000円の床屋で切っている、とのことだった。あまりのかっこよさにくらくらした。見た目や生活の洒脱さにもそうだが、その自然体な感じに、とてもあこがれた。

 つまりは、そもそもの人間としての素敵さ、素敵レベルがそれらを意味づけているのだと思う。仮に僕が「髪を切ってくれる友達」に髪を切ってもらったって、彼らのようにかっこよくはなれない。「髪を切ってくれる友達」に髪を切ってもらっている人間は、「髪を切ってくれる友達に髪を切ってもらっている」とは思わないからだ。彼らはその生活の中で、友達とでかけたり、ご飯を食べたりするのと同じ位相で、髪を切ってもらっているのだ。僕のなかには、そもそもその価値観がない。なぜなら、素敵レベルが低いからだ。一緒にご飯を食べたりなどする友達のことを「一緒にご飯を食べてくれる友達」だと思わないように、彼らは髪を切ってくれる友達のことを「髪を切ってくれる友達」とは思っていないのである。

 高校生のとき、好きだった人に「髪型をこれにしてきて」と言われて、ボウディーズというバンドのロイという人の写真を見せられた。「えっ、これですか」と戸惑ったが、嫌われたくなかったので従った。いつもの美容院へ行き、それまでの人生の最大の勇気を振り絞り「あ、あの......これ......」とiPhoneでロイの写真を見せた。「これにできますかね?」とおそるおそる聞いたら、2周り小さくしたリーゼント、みたいな髪型をした美容師さんは「いけるいける!まかせて」と言った。

 小一時間後、鏡に映った僕の姿は、とてもロイには見えなかった。そこに映っていたのは、秋葉原にいる爆買い中国人の息子だった。サラサラすぎる僕の髪質では、彼のようなふわっとした感じは出せなかったし、そもそも気の抜けた顔をしている僕があの髪型にしたところで、彼に近づけるわけがなかった。寄せにいったことで、むしろ離れていったような感じさえあった。「どう?」と笑顔でミラーを向けてくる美容師さんに文句は言えない。悪いのは僕なのだ。「ありがとうございます!最高です!」と精一杯の礼を残し、美容院を去った。

 ボウディーズのロイは、美容師さんに「ジョンレノンみたいにしてください」と伝えたら、あの髪型になったらしい。なるほど、と思った僕は美容師に「ジョンレノンみたいにしてください」と伝えた。ジョンレノンにもロイにもならなかった。好きだった女の子にもフラれた。

 ずるい。思えば「ジョンレノンみたいにしてください」と言ってあの髪型になるわけがない。それは「ジョンレノンみたいにしてください」と伝えて、その情報から、ジョンレノンの雰囲気を汲み取りつつ、現代的なお洒落な髪型に変換して、なおかつそれを確実に形にし、その上でその髪型がぴったりフィットするロイの顔立ちや頭の形や雰囲気を持ってしてこそ成り立つ、ほとんど奇跡に近いことだった。

 時は経ち、今の僕はシルエットだけみると少しロイのような髪型をしている。重ための前髪にすっきりとしたサイドと襟足。しかし、そのことを意識していたわけではない。今、文章を書いている中で初めてそのことを思った。僕はきっと、ロイの幻影を追い続けているのだろう。あの頃、なれなかったロイに、僕はまだなろうとしている。それは叶わないことなのかもしれない。なぜなら、僕はロイではないから。ようやく、僕がロイになったとき、僕はロイから解放される。その時、僕はラーメンマンのように細長い三つ編みを後ろに垂らした髪型になるかもしれないし、髪を七色に染め、ツインテールにしているかもしれない。

 僕はそのときを、楽しみにしている。

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なんとなくあぶない

11月〜12月9日

 エスカレーターに乗っているとき、後ろにいた親子の会話が聞こえる。

「今日、楽しかった?」

「楽しかった。汗かいてるのが楽しかった証拠だよ」

 自分は楽しいとき、汗をかいていたかなと、ふと思う。

 

 ブルゾンちえみの「35億」の中に自分が含まれている、ということを思う。

 

 iPhoneを買い替える。左手にしっかりと握ったまま、右手の人差し指で慎重に操作していたら「ババアかよ!」と言われる。

 

 キャラメルを適切なタイミングで口に放り、適切なタイミングで食べ切ることができない。封を開けたあと、一つ口に含んだあとポケットにしまったままくしゃくしゃになるか、バカみたいに一気に食べてしまい空になるかの両極端である。ならば、意識的に適切なタイミングで食べようと思いキャラメルを一箱買う。適切なタイミングを考えすぎてしまい、食べられなくなる。

 

 常に小脇に「ゼクシィ」の最新号を抱えていたらおもしろいかな、と思ったが全然おもしろくないし意味がわからないのでやめる。

 

 渋谷にてライブを行う。褒められてうれしかった。

 

 ブルゾンちえみがチルゾンぶえみだったら売れてなかったのかな、とふと思う。

 

 剣道を少しだけやっていたとき、「左足は地面につけず紙一枚分だけ浮かす」と教わり「いや、そういうの言いたいだけやん」と思いながらも一生懸命、紙一枚分浮かそうとしていたのを思い出す。できていたのかできていたのかわからなかったが、ずっと弱かった。

 

 「ひみつ道具を一つだけもらえるとしたらなににする、って話題のときに、もしもボックスとかスペアポケットって言うことがカウンターだと思ってる男とは付き合わないほうがいいらしいよ」

 「ふ~ん」

 

 やさしい人に「誰かと会うってなったとき、大体前日とかに行動とか会話や、それに対する相手のリアクションの感じを頭の中で想像して、当日その通りに動いたり喋ったりしている自分がいて嫌になるときがある」というようなことを話したら「でも、それって将棋とか向いてるんじゃない?先手が読めるってことだし」と返され、めちゃくちゃやさしい、と思った。その返答は想像できていなかった。

 

 ギャルが「ジャポニカ学習帳」を買っているのを見た。

 

 池袋駅前に色とりどりのヒーロー戦隊が三組、こちらへ向かって手を振っている。今日もこの街は、安全。

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まともがわからない

7月10日 魔

 電車のなかでOL二人組の会話が耳に入る。

「魔ってさすよね~」

「あー、さすさす」

7月13日 ガリガリくん

 ガリガリくんを口にふくんだまま、仰向けになり、手を使わずに何分で食べられるか挑戦してみる。

 結果、1時間27分33秒で食べ切る。

7月16日 デブ

 何も食べていないのに300グラム太る。

7月22日 飲み会

 久々に会った友達と居酒屋へ。

 フライドポテトを注文したあと、何も言われていないのに「飲み会でフライドポテトを注文することが、世の中的にあまりよくないことであるのはわかっているし、その自意識はある」と弁解する。

 シューストリングタイプのフライドポテトだった。なんだかんだでみんな食べていた。

7月25日 人中汗

 「鼻の下に汗をかいてる女性はエロい」という話を延々と聞かされる。

 曖昧にうなずく。

8月2日 サンマルク

 ベトナム風コーヒーがめちゃめちゃうまいことを知る。

8月6日 カラコン

 久々に家族で食卓を囲む。

父「あ、この人カラコンじゃん」

妹「え、なんでわかんの」

父「当たり前じゃん。カラコン研究家だもん」

 喋ってないのと同じくらい適当なことしか言わない父に、血の濃さを感じる。

8月8日 火野

 友達のモテ話に「昭和の火野正平じゃん」とつっこむが、後になってそれはただの火野正平であることに気づく。

8月10日 寿司

 注文がすべて手元のタッチパネルでおこなえる回転寿司屋へ。

 いつもは恥ずかしくて注文できない「炙りサーモンマヨ」を、試しに六つ頼んでみる。

 数分後、奥のレーンから六つの「炙りサーモンマヨ」が迫ってくる。壮観だった。

 食べてる途中で飽きて、隣にいた人に二貫わたす。

8月12日 田中

 朝起きると、留守番電話が入っていた。

 「......もしもし?田中さん?あの~、あれ......。さっきお宅行ったんだけど誰もいなくて、あれ、野菜玄関の前置いといたから、野菜、食べてねぇ~、そんじゃねぇ~」

 一応、玄関の前を確認する。野菜はなかった。

8月16日 スタバ

 気まぐれを起こして普段行かないスターバックスへ。チャイティーラテを注文する。

 カップの側面に「シャツにサイズのシールついてますよ」と書かれる。

 「今はあえて貼るのが流行っている」みたいな顔をしながら、カップの側面を手のひらで隠すようにして飲む。

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菊池亜希子的な、なにか

 こないだ出た、菊池亜希子の「好きよ、喫茶店」をぺらぺらめくっているうちに、ある人のことを思い出した。その人は、僕の三つ上で、大学を出た後に別の学校へ入って勉強をしている、小柄でショートカットの似合う女性だった。僕の働いていたドーナツ屋さんの先輩で、僕と同じ中学校を出ていたのと、好きなものが近かったのもあって、とてもよくしてもらっていた。とてもやさしい人で、でもそのやさしさにはちゃんとした強度があって、ただ甘やかすだけじゃなくて、ちゃんとした厳しさも持ち合わせた人だった。
 バイトに入って少ししたくらいのある日、出勤すると突然、「坂口健太郎、好きでしょ?」と言われた。特別好きなわけでもなかったが、僕はその時、人から「坂口健太郎に寄せてこい」と言われて、人生初のパーマをあてた後だったので、それを見透かされた気がして、思わず足が震えた。「い、いや、別に普通です......」というと、その人は「ふーん、私は柳くんの方が好きだけど」と言った。どきどきしながら更衣室に入って、着替えていると、目の前の姿見に映る自分が、目に入った。そこに映っていたのは、坂口健太郎とはほど遠い自分で、思わず笑った。天性のストレートヘアーによって、パーマはすぐに落ちてしまった。今でこそ、国民的な人気がある坂口健太郎だが、当時はモデルから俳優に歩を進める最初の時期で、今ほどの人気はなかった。だからこそ、「坂口健太郎、好きでしょ?」の一言によりどきっとした。
 その先輩が敬愛していたのが、菊池亜希子だった。常に短く切られた髪と、パンツルックで、ボーイッシュはボーイッシュでも、菊池亜希子的なボーイッシュさが漂う、誰が見てもおしゃれな人だった。女の子よりも、男の子の服装を参考にしているそうで、読み終わったメンズファッジを大量にくれたり、菊池亜希子のマッシュをよく貸してもらったりしていた。マッシュを読んでいるうちに、菊池亜希子の強さを改めて思い知らされた。その人の影響で、僕も菊池亜希子がより好きになった。
 たまにバイト先の人たちで飲みに行ったときも、ずっとその人の横にいた。その人は僕とは違ってアクティブで、何事にもはっきりとした意思を持っていて、そういうところにとてもあこがれた。先輩もまた、自分とはまったく違うような僕のことを、とても面白がってくれた。「最近、ようやく松屋に一人で入れるようになりました」と告げると、「本当!良かったじゃん!次は吉野家だね」と笑いながら言った。
 先輩と僕は、共にちょうど年度末でバイトをやめることになっていた。僕よりもずっと長い間働いていた先輩は、それを寂しそうにしていて「やめたくないなあ」とこぼしていた。先輩はバイトをやめた後、都内で一人暮らしするとのことで、僕はバイトをやめることよりも、その先輩に会えなくなるのがなんとなく寂しかった。年度末に近づいた、冬のある日、バイト先の数人で飲み会が開かれることになった。飲み会といっても大したものではなく、仕事終わりになにを話すでもなく、一、二杯飲んで帰るだけの会だった。お酒を飲むことが目的ではなく、とりとめないことをだらだらと話しているだけだった。ハイボールを二杯飲んだだけの、ほろ酔いともつかないような状態で、会はいつものようにお開きになった。
 みんなで歩いて帰ってる途中、横にいた先輩が相変わらず「やめたくないなあ」とこぼしていた。その時、お互いに悩みを相談し合っていたので、僕もつられて、なんとなく「今から言葉を覚えて、フィンランドにでも行こうかと思ってるんです」と言うと、「え!それめちゃくちゃ良いじゃん!」と言われた。その目がとても真剣で、あしらわれると思っていた僕は「いや、冗談ですよ......行けたら素敵ですけどね」と言うと「え〜でも、それ良いと思うな。絶対行ったほうがいいよ。ていうか、行きな」と言われた。「冗談でしょ」「くだらないこと言うな」とか「現実見ろ」と言われると思っていた僕は、思わぬ返答にどきどきした。「こいつ、夢見がちだなとか思わないんですか?」と聞くと、「私、現実見ろとか人にまったく思わないから、私の言うことあんまり聞かないほうがいいよ、参考にならないから」と笑いながら言われた。そんな人に出会うのは、先輩が初めてだった。そしてそれが、とても眩しく見えた。つまらない冗談を言ってしまった自分が、とても恥ずかしくなった。
 思えば、その先輩だけではなく、僕が仲良くなる女の子は、なぜか菊池亜希子が好きだったり、影響を受けたりしている人が多い。女の子だけじゃなく、男でもだ。多いというか、ほとんどがそうである。そのことを不思議に思いながら、なんでだろうと思っていたが、今思えば、菊池亜希子が好きだと思うような感性を持っている人は、僕のようなよくわからないやつに優しく話しかけてくれたり、仲良くなってくれたりするような、やさしくて素敵な人が多いのだろう。
 思えば、これまでたくさんの「菊池亜希子的な、なにか」に救われてきた。そして、きっとそれはこれからも変わらないのだろう。

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ぼくのステディ

 恋人のことをステディと呼ぶアレ、どこかまぬけというか気が抜けているような気がして、いいなと思う。彼女とか、恋人とかよりも、ステディは日本人的な感覚として、敷居が低いような気がする。なぜなら、僕のような人間は、彼女のことを彼女と呼ぶことができないから。「いやあ、こないだ彼女がさあ~」と僕が言ったところで、「こんなやつに”彼女”なんているのか?」という疑問符が生まれるというか、お付き合いしている異性のことを”彼女”と呼ぶのは、どこか敷居が高い気がしてしまう。それが”カノジョ”(語尾が上がる感じで)だったり、”元カノ”だったりすると、余計に思う。

 だからといって、「いやあ、恋人がさあ~」って言うと、「一般的な”彼女”という呼称ではなく、ちょっと角度をつけた恋人と呼ぶことによって、関係性の特別さを提示してこようと思ってんのか?」と思われているんじゃないか、と思う。”相方”って呼ぶのも、「彼氏彼女みたいな俗っぽい関係じゃなく、もうそこを飛び越えた特別な関係」を示そうとしている感じがしてしまって、言えない。”好きな人”とかだと、「ぶってる感」が出るというか、「いや、付き合っているのに”好きな人”ってなんやねん」と思ってしまう。ここまで言うと、そうやって呼んでいる人たちをディスっているような形になっているが、あくまで僕が発言した場合であって、僕の雰囲気や性格的に、これらを呼称するのは、どうも憚られるところがある。

 だからこそ、”ステディ”はなんか響きが間抜けでいい。80年代のトレンディドラマ感というか、景気のいい感じがする。それに、「いやあ、こないだステディがさあ~」って話を切り出せば、途端に呼び方のクセを突っ込まれて、付き合っている人の話をしようとする恥ずかしさが、中和される気がする。全部が冗談じみて聞こえるというか、そんな作用がある。”元カノ”じゃなくて、元ステディ、元ステなんていう呼び方をすれば、俗っぽさもないし、別れていることに対する侘しさのようなものも、薄れる。

 ただ、問題なのはステディ=恋人であるという言葉があまり認知されていないのと、なんの脈絡もなく「ステディがさあ~」と話し出したところで、まったく伝わらないというところだ。一人称は、僕、俺、私、ウチ、ワシ、小生など、性格やキャラクターに合わせて様々な呼び方が用意されているのにも関わらず、付き合っている女性のことは”彼女”か”恋人”くらいしかない、というのは誠に由々しき問題である。カノジョとか、恋人だとかって呼んでいいのは一部の許された人間だけだ。僕はその権利のようなものを持っていない。

 だが、ここまで書いてきて、一番重要なことに気づいた。それは仮にステディができたとしても、自分から人に付き合っている人のことを話すなんてことは、ほとんど無いに等しいということだ。他人にのろけても自慢になってしまうし、愚痴を言っても仕方がないと思ってしまうし、ステディができたとて、「いやあ、こないだステディがさあ~」なんて切り出すことは、僕にはなかったのだ。

 ちなみに、オードリーの春日さんは、数年に渡って、一緒に温泉旅行に行ったり、鎌倉にデートしに行ったりしている女性がいて、それを何度もラジオで語っているにも関わらず、ずっと「狙っている人」と呼んでいる。そして、それを「モテたいから『狙っている人』って呼ぶことで、まだ誰のものでもないってことをアピールしたいんだろ」って若林さんに突っ込まれていた。

 だけど、「狙っている人」という呼び方は、案外、正解かもしれない。結婚というのは社会的な制度だし、ちゃんとした契約のもとに成り立っている関係だが、”付き合っている人”というのは、あくまで口約束に過ぎない。そう考えると、彼女も恋人も「狙っている人」も全部同じなのかもしれない。それに、恋愛は「付き合うまでが一番たのしい」とよく言うが、「狙っている人」という名前で呼び合うことで、その楽しさをずっと持続できるのかもしれない。彼女や恋人になってしまえば、そこがどうしても”一つの”ピークになってしまうからだ。

 だから、これから好意を寄せている異性のことを、「狙っている人」と呼ぶことにした。これによって、僕の長年の悩みがようやく解決した。あとは、今のところそう呼べる人が、一人もいないということだけが、僕に残された問題である。

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She calls me Girlie

 海外の映画やドラマ、アニメなどを見ていると、その異文化というか生活のディテールにあこがれることがある。例えば、映画の登場人物が、よく深夜に家に帰ってご飯を食べるときに持ち帰る、チャイニーズ・テイクアウトボックス(縦長で上のフタが四方に開く中華料理のテイクアウト用の入れ物)や、アメリカではおなじみの赤いプラスチック・コップ、あとはブラックベリーの携帯端末だったり、スライスピザなど。僕は物語の本筋とはあまり関係のない、そういうところに目が行きすぎて、映画を見終わったあとにそういう些細な部分だけ頭に残っていることが多々ある。ソフィア・コッポラの「ヴァージン・スーサイズ」がまさにそうで、見終わったあとに一番印象的だったのは、女の子たちが男の子を家に招いて、ホームパーティーをしたときに配っていた”赤いジュース”だった。

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 ホームパーティーという日本には馴染みのない文化と、少年少女たちの70年代っぽい洒落た服装、雰囲気とともに、あの変な赤いジュースがやたらおいしそうに映っている。ホームパーティーどころかパーティーに参加したこともなければ、ジュースはペットボトルで注ぐのが当たり前だった僕からすれば、不思議な色をしたジュースを大きなガラスボウルからお玉のようなもので救い、一人一人のグラスに注いでいくというあの動作の一つ一つが衝撃的だった。

 そして、あどけなさの残る男の子たちが着慣れないスーツを着て、女の子たちにドキドキしながらあの赤いジュースの入ったグラスを口に運ぶシーンには、なんともいえない良さがある。あのうまく会話できない間を埋めるために口にする”赤いジュース”が、女の子の家のホームパーティーに来た男の子たちの、ドキドキとした雰囲気を描くのに、うまく作用しているのだ。

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 初めて見たとき、その”赤いジュース”だけが印象的で、「あの赤いジュースはなんだろう」とずっと思っていた。たまに、海外の映画、特に青春もの、学園ものの映画で、ヴァージン・スーサイズと同じようにホームパーティーや、プロムパーティーなんかで、あの大きなボウルに入った”赤いジュース”が登場することがある。お玉やボウルの形が違うくらいで、大体の場合”赤い”色をしたジュースで、同じように一人一人のグラスに注がれている。

 あのジュースの正体が知りたいがために、もう一度借りて見直してみると、パーティーの途中、一人の男の子がリスボン夫人に「This punch is fantastic」と話しかけている。その後、「What's in it?」「Juices.Some cherry, pineapple」「You know, I Uh...I love pineapple」というやり取りがある。どうやらあれはパンチという飲みもので、サクランボとパイナップルが入っているらしい。

 フルーツ・パンチ、と呼ばれるその飲みものは、アメリカではパーティードリンクとして有名だそうだ。事実を知るまで、「サングリアなのかな?」と思っていたが、似たようなもので、映画で見たあのタイプは「パンチボウル」というらしい。あの綺麗なガラスのボウルに、鮮やかな色のジュースが入っている様は、やはりどこか惹かれるものがある。そして、果てしなくガーリーである。

 やはり僕は、ガーリーなものに憧れる。パステルカラーのドレスに身を包んだ女の子たちの家に誘われて、ドキドキしながらパンチ・ジュースをぐいっとあおる男の子になりたかった。いや、どちらかというとパステルカラーのドレスに身を包んだ女の子のほうになりたかったかもしれない。でも、日本の夏にガラスのピッチャーから注いで飲む麦茶も悪いもんじゃないよね、と思いながら、僕は鶴瓶の顔がデザインされた「健康ミネラル麦茶」をあおるのであった。

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