赤い船に乗って

 小川未明という作家に『赤い船』という童話がある。

 貧しい家に生まれた露子という少女が主人公の話で、八ページにも満たない、とても短い物語である。露子は学校で生まれて初めて聞いたオルガンの音に魅せられ、その楽器が生まれた遠い異国の地へ想いを馳せるようになる。露子はやがて、その異国で音楽を習いたい、と思うようになるが、家の貧しさから、十一の時に東京へ奉公に出されてしまう。その奉公先で出会った、姉にあたる年齢の娘に露子は可愛がられ、ピアノや蓄音機など、たくさんの音楽に触れる。ある日、二人が海辺を歩いていると、沖の遥かに赤い船がやってくるのを見つける。

 あの赤い船は太平洋を渡って、美しい国へいくのかと思いますと、あの船にどんな人が乗っていて、なにをしているのかと考えました。(中略)

 露子は、どうしてもその赤い船の姿を忘れることができません。自分も、その船に乗って外国へいってみたい。そして、オルガンやピアノや、いい音楽を聞いたり、習ったりしたいものだと考えました。

 家族と離れ、東京で一人奉公へ出された露子を取り巻く現実は、とても厳しい。その厳しい現実から、露子は音楽や、それらが生まれた外国へ憧れを抱くようになる。

 ある日、露子が窓に寄りながら、海辺で見かけた赤い船のことを思っていると、一羽の燕がどこからともなく飛んでくる。太平洋をはるばる越えてきたと語る燕に、露子はあの時に見た赤い船を見なかったか、と尋ねる。

「その船なら、私はよく知っています。私が長い旅に疲れて、暮方、翼を休めるため海の上に止る船の檣を探していました時、ちょうどその赤い船が、波を上げて太平洋を航海していましたから、早速、その船に止りました、ほんとうにその晩は好いお月夜で、青い波の上が輝き渡って、空は昼間のように明るくて、静かでありました。そして、その赤い船の甲板では好い音楽の声がして、人々が楽しく打ち群れているのが見えました。」

 露子は、今頃その船は何処を航海しているだろうかと考えながら、飛んで行った燕の行方を見守る、というシーンで物語は結末を迎える。たったこれだけの話である。

 燕が語っていることは、きっと露子の空想に過ぎない。露子を待っているのは、ただただ厳しくつらい現実である。だが、学校で聞いたオルガンや、姉が聞かせてくれたピアノの音や、海辺で見た赤い船が、露子には鮮やかに響く。ここに描かれている露子の憧憬というのは、とてもロマンチックなものとして僕に映る。

 初めてこれを読んだとき、とても静かな衝撃がして、それから日々の中でふとこの作品のことを思うことが度々あった。小川未明はロマンティシズムの作家として出発したが、後に「今後を童話作家に」という文章を発表し、童話作家への道を歩むこととなる。彼の思うロマンティシズムを表現するのに「童話」が適切と考えたためである。その未明の姿勢に、とても共感できる。ロマンチックな表現をしたい、と思うようになったのはこういった作家や作品に触れたからである。

 僕らの作った「百年ののち」というアルバムの一曲目はピアノの音から始まる。テープを通したピアノは、少し古ぼけたような音がする。それを聞くと、露子がうっとりと耳を傾けていたピアノはどんな音がしたのだろう、ということを僕はいつも考える。

露子は、折々自分が船に乗って外国へ行ったような夢を見ました。そして外国でオルガンを習ったり、ピアノを聞いたりして、大層自分が音楽が上手になって、人々から褒られたような夢を見て大(おおい)に喜ぶと、夢が醒めて驚いたことがありました。 

エアハイチュウ

 小学生のとき、「エアハイチュウ」という遊びにハマっていた。エアハイチュウとはその名の通り、ハイチュウが口の中にあると思い込んで、エアでハイチュウを食べる、という行為である。なんでそんなことをしていたのかというと、授業中にふと「ハイチュウってどんな食感だっけ」と考えながら、口の中にハイチュウがある体でそれを噛んでいたら、あの独特な食感が少し再現されることに気づいたからである。小学校低学年だった僕にはそれが衝撃的で、すぐに当時、一番仲の良かったKくんにそのことを教えた。

「口の中にさ、ハイチュウがあると思いながらそれ噛んでみ、ハイチュウ食べてる気分になるぜ」

 Kくんは訝しげにエアハイチュウを口に含み、少し間を取って言った。

「ほんとだ!すげ~」

 今思うと、彼は突飛なことを言い始めた僕に気を遣って、エアハイチュウがわかるふりをしていてくれたのかもしれないが、エアハイチュウが伝わったことがきっかけで、Kくんとはより仲良くなることができた。

「おれ、さっきの授業中ずっとエアハイチュウ食べてたよ」

「おれも」

 僕らの間で、エアハイチュウの発見は事件だった。やがてそれはエスカレートしていき、味や甘さを感じられるレベルになっていた。授業中に食べても怒られない、お腹もいっぱいにならない。来る日も来る日も、僕らはエアハイチュウを噛み続けていた。

 Kくんはやさしい男の子だった。いじわるなこともしなければ、誰かを悪く言うのも聞いたことがなかった。Kくんのご両親は昔、ヤンチャしてたんだろうな、ということがわかるように二人とも見た目がイカつく、Kくん自身も眉毛が細く整え、髪を薄く茶色に染めていた。だけど、そんな強面な見た目に反して、みんなとても気さくでやさしい人だった。家族ぐるみで付き合いがあったし、よく遊んでいたが、クラスが別々になり、高学年になるにつれて、その付き合いもなくなっていった。僕らの間になにか不穏なことがあったわけでもなく、喧嘩をしたわけでもなかった。

 そのまま僕たちは別々の中学校へ進学し、僕は二年生のときに転校してその街を去った。転校してからしばらくして、風のうわさでKくんが不良になって地元で事件を起こした、とか、学校へ行かなくなった、というようなことを聞いた。とても信じられなかったが、僕もその頃、学校へ行っていなかったし、おかしな話ではなかった。

 ハイチュウを目にすると、Kくんのことを思い出すことがある。あの嫌な噂が本当かどうかということよりも、Kくんがあれからエアハイチュウを食べていたのだろうか、ということが気になる。Kくんはエアハイチュウの食感を覚えているだろうか。ハイチュウをわざわざ買わなくても、いまだに僕は、あの頃食べていたエアハイチュウのあの、やわらかくて甘ったるい独特な食感と、Kくんのやんちゃな笑顔を容易に思い出すことができる。

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あこがれの鍋パ

 大学生のとき、あこがれていたものの一つに「鍋パ」があった。「鍋パ」というのは同じ大学やサークルの仲の良い男女数人が集まって、その内の一人暮らしをしている誰かの部屋で鍋を囲みながら、お酒を飲んだり、教授の愚痴を言ったりなどするあれである。それが別にたこパ(たこ焼きパーティのこと)でも、リパ(沢口靖子を主宰としたリッツパーティのこと)であっても構わないのだが、とにかく男女数人で誰かの部屋に集まってお酒を飲んだりすることなどにあこがれがあった。

 当時はパーティなどとは、ほど遠い環境にあったため、鍋パへ呼ばれることも、そもそも飲み会に誘われることもほとんどなかったが、大学三年生のとき、とても社交的な友人ができた。彼に「鍋パしたことある?」「鍋パって実際どうなの?」と聞くと「鍋パくらい普通にするでしょ」と返ってきた。すごい、と思った。今思えば、鍋パに実際もなにもないのだろうけど、生活の中に「鍋パ」が自然に存在していることが羨ましかった。

 だが、僕が想像していたような「お酒買い足しにコンビニ行ってくるわ」「あっ私も行こうかな」と曖昧な関係の二人が、曖昧な距離を保ったまま冬の冷えた夜道をゆき、アパートの窓から残された二人が「ふふ」と、それを見守っている、なんていうことは起きないらしく、なーんだ、と思った。その一連を行うために「鍋パ」は開かれるものだと思っていたからだ。「普通に友達と家で飲むだけだよ」と彼は言った。

 今思うと「鍋パ」は選ばれた人間にしかできない会合のように思う。もし僕の理想とする「鍋パ」が行われ、自分が参加できたとして、いい雰囲気の二人が、二人きりで買い出しへ行こうとしているのに、その二人の曖昧な関係に気づかず「あっ、俺も行こ!」などと口走ってしまいそうである。それに鍋を囲んでも「こいつ肉ばっかいくじゃん」「めっちゃ食うじゃん」と思われるんじゃないかと気にしてしまい、うまく鍋をよそえそうにない。

 今もこの世界のどこかで「鍋パ」が行われているのだろうか。そのことを思うだけで、ドキドキしてくる。メンバーの内の一人に思いを馳せていて、その人が他の誰かと買い出しへゆくのを横目に、気が気じゃない誰かも、きっといるに違いない。だが、そんなことは現実にはほとんど起こらないらしい。そのことに薄々勘づきながらも、あこがれを思ってしまうのだ。やっぱりいいなあ、鍋パ。

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ルーとライス

 カレーを食べるとき、ルーが先になくなってしまうのが怖い。ご飯とルーを、ちょうどいい配分、ペースを保ったまま食べきりたいのだが、ルーがなくなってしまうことを恐れるあまり、いつもご飯の配分を多めに食べ進めてしまう。すると、ご飯がなくなる頃に、ルーがたくさん余る、という事態が起こる。

 まただ、と思う。ほぼ毎回、と言っていいくらい、こういう結果になってしまうのだ。しかし、何度もそれを繰り返していると「意外とルーは多めにいっても大丈夫っぽい」ということを覚える。それを踏まえた上で、カレーにスプーンをくぐらせる。結果、ルーが大量に余る。自分のカレーを食べる才能のなさに絶望する。

 だが、それよりもショックなのは自分が、いちいちそれを気にして食べている、ということだ。カレーというのはどう食べたっておいしくできているのだから、元来、そこを気にする必要はないのである。だから、何も気にせずばくばくとカレーを食べ進める人の姿を見ると、かっこいい、と思う。ああ、そんなにルーいっちゃって大丈夫なの、ご飯がたくさん残っちゃうよ、ほら、ああ、やっぱり残っちゃった、などと思っている僕に対して、特に気にする素振りもなく「またルーだけなくなっちゃった」などと言われたら、負けた、と思う。

 なぜなら、そっちの方が自然だからだ。以前「放送室」で、ダウンタウンの松っちゃんが、昔、友達の家に遊びに行ったら、その友達がちょうどカップヌードルにお湯を入れたばかりで、三分後に食べるのかと思いきや、松っちゃんとの話に夢中になってお湯を入れたことに気づいておらず、それを見ていて気が気でなかった、という話をしていた。友達との楽しい会話に比べたら、彼にとってカップヌードルにお湯を入れたことなど、どうでもよかったのだ。

 僕は、カップヌードルを食べるとき、底部についているフタ止めのシールをビニールがつかないように慎重に剥がし、沸いたばかりのお湯を線ぴったりまで注ぎ、急いで封をしたあと、ほぼジャストのタイミングでiPhoneのタイマーを押す。普段では見られないようなスマートさで、それらをこなす。なるべく良い状態でカップヌードルを食べたいのである。だが、そうやって作られたカップヌードルはあまりおいしくない。誰かに適当にお湯をいれてもらったカップヌードルの方がおいしい。なぜなら、それは自然だからだ。

 ご飯がなくなって余ったルーを、一人で作った完璧なカップヌードルを食べながら、僕はこういうときあの人なら、どうするだろう、ということを考える。たとえば、カート・コバーンが、カレーのルーとご飯の配分を気にしている姿は想像できない。シド・ヴィシャスが線を越えないかどきどきしながら、カップヌードルにお湯を注いでいたら、いやだ。”本物”はいちいちそこを気にしないのである。

 カレーを食べる、という行為は自分自身を見つめることだ。今日、カレーをうまい配分で食べ切ることによって、自分はなにか変わるかもしれない。もう美容師にどんな髪型にされても、気にすることがなくなるし、好きな子に気持ちを伝えることだって、ライブ中「もっとこいよ!」とお客さんを煽ることだって、できるようになるかもしれない。そんな期待を込めながら、スプーンを手に取り、そっとご飯をすくう。ルーにくぐらせる。よし、いいぞ、今日はいい感じだ、いけるぞ、と思いながら食べ進める。変わるんだ、俺は変われる、想いをスプーンの一掬いに込める。結果、ルーが大量に余る。

 思わず手から離れてしまったスプーンが、皿の上でカランっと乾いた音を響かせる。結局自分はカート・コバーンにはなれないし、ステージ上でギターをたたき壊すこともできないのだ。でも、余ったルーのしょっぱさを知っている者にしか歌えない歌が、きっとあるはず。

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夢見る少女じゃいられない

 伸びすぎた前髪がいい加減しんどくなってきたので、髪を切った。

「今日はどうされますか?」

「どうせすぐ伸びるので、ばっさりいっちゃってください」

 ここ数日の暑さにやられていたのか、普段言わないような注文をすると、わ〜かりました、と赤茶色の髪の毛をした美容師が言った。

 数十分後、ふと顔を上げると目の前の鏡に映っていたのは、水前寺清子だった。

「(あれ、チータ......?)」と思ったときには時すでに遅く、僕の重たかった髪型はいつの間にかウルフカットになっていた。人生初のウルフカットである。

 ウルフカットが今、リバイバル的に流行っているのは知っていた。菅田将暉さんなんかが象徴的だが、彼は中性的な整った顔立ちに、白い肌、長い首だからこそ、ウルフカットが成立している。ぼやっとした顔立ち、のど仏の出ていない首の僕は、どう見ても菅田将暉にはならなかった。切り終えた前髪を下ろすと、水前寺清子から和田アキ子になった。直毛すぎる僕の髪質では、菅田将暉的なウルフカットにはならないのだろう。

 やばい、と思った。しかし、やばいと思えば思うほど、僕は美容師さんに言うことができない。ただでさえ行くのに勇気がいる美容室だからこそ「良い客」でありたい、という意識が強いのである。ここで「ちょっとイメージと違うんですけど」なんていって「だるい客」だと思われたら、せっかく通えるようになったこの店にも、もう通えなくなってしまう。「ばっさり言っちゃってください」と明言している以上、もうどうされようと僕の責任なのである。

 だが、自意識が肥大しすぎて、それを表情の微妙なニュアンスで伝えることもできない。「こいつ髪型に納得いってないけど、それを言葉で伝えることができないから態度で示そうとしてるじゃん」と思われそうだからだ。「幸せなら態度で示そうよ」なんて歌があるけど、幸せなときに幸せなことを態度で示すことは容易である。髪型のイメージが違うのに、気を遣いすぎて「長さ、どうですか?」「めちゃ良い感じっす」などと口走ってしまう僕に、幸せはやってこないのである。

 髪を切り終わった僕は、どこからどう見ても、和田アキ子だった。美容師さんはもしかしたら、入店時に表情も重たく、それに比例するように髪型も重かった僕を見て、「もっと楽に生きようぜ」的なメッセージを込めて、髪型を軽くしてくれたのかもしれない。それくらい、美容師さんは感じのいい人だった。ウルフカットになったのも、僕がバンドをやっていることを知っていて、デヴィッド・ボウイみたいにロマンチックな雰囲気にしようとしてくれていたのかもしれない。

 髪を切り終わったあと、美容師さんが「最後になにか付けていかれますか?」と聞いた。普段なら、特に外出する用事もないし、すぐ落ちてしまうので断るのだが、一縷の望みにかけてお願いすることにした。水前寺清子からの和田アキ子という流れから、菅田将暉というマジカルな変化を期待したのである。

 ドライヤーとワックスによる熟練の技によって、数分後、完成したのは元気のない兵藤ゆきだった。水前寺清子に、和田アキ子に、兵藤ゆき。彼女たちそのものになるのならいいが、その髪型の二十三歳男性となると、なかなか厳しいものがある。自分のポテンシャルの無さに落ち込んだ。

 一人になって改めて確認すると、あまりの似合わなさに思わず笑ってしまった。頭が軽くなったにつれて、気分もなんだか軽いような気がする。このままウルフカットとして生きていくのも悪くないな、と思った。僕のあこがれるガーリーな生活にはほど遠いが、これもこれでアリな気がする。このまま髪が伸びていけば、きっと兵藤ゆきから相川七瀬になるのだろう。でも、そうなったら本当に夢見る少女じゃいられないですね。

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