百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

思い出のアロマックス

 以前、ピースの又吉さんがエッセイで「散歩が好きだが、サラリーマンや学生とすれ違う度に”自分は一体何者なんだ”と感じるのが嫌で、缶コーヒーを飲むことで『缶コーヒーを飲んでいる人』になる」と言っていた。「缶コーヒー買おうと小銭出そうとして、出しにくいなと思ったら左手に缶コーヒーを持っていた」こともあるらしい。缶コーヒーの味や、それを飲むことよりも、買うことや手に持つことの方が重要になっているわけだ。でも、缶コーヒーってそういうものだと思う。

 今でこそ、わざわざスターバックスドトールに行って頼まなくたって、近くにあるコンビニでおいしいコーヒーを手にすることができるようになったが、それは2010年代に入ってからくらいのことで、それまでは手軽に購入できるコーヒーというのは、缶コーヒーか、コンビニで売っているコーヒーでも、チルドカップに入ったものか、紙パック、ペットボトルタイプのもので、どうしてもスタバやドトールのような淹れたてのコーヒーには近づけなかった。

 缶コーヒーというのは、その中でも特に「缶コーヒーの味」がするというか、コーヒーという名称でくくっていいのかわからないくらい、その他のコーヒーとは別物のように思う。同じ値段で挽きたてのコーヒーが飲めるようになってからは、コンビニコーヒーに頼るようになってしまったが、今でもたまに缶コーヒーを買ってしまうことがある。なにより、あのチープで無骨な感じが好きだ。室内というより屋外というか、女性というよりは男性的というか、よく大工さんや外で仕事をしている男性たちが休憩中に飲んでいる光景をよく目にするのもあって、不思議な魅力がある。真夏の暑い日に、大工さんがみんなで囲んで座りながら飲んでいるコーヒーが「マウントレーニア」だと、やっぱりしっくりこない。やっぱり缶コーヒーを飲んで、飲み終わったあとにその空き缶を灰皿にタバコを吸っていてほしい。私立の女子大に通う、身なりも綺麗で素敵な女性が缶コーヒーを飲んでいたら、やっぱりしっくりこない。いや、やっぱりそれはそれで良い。

 僕が特に好きなのは、どれだけ銘打っていても「缶コーヒーである」というところを超えられない点だ。これまで、ブラックから微糖、カフェオレタイプのものまで、様々な缶コーヒーを飲んできたが、どれもやっぱり「缶コーヒーの味」がする。きっと、缶というパッケージと保存の関係上、どうしてもあの味になってしまうのだろう。「缶コーヒーの常識を変える!」みたいなコピーをこれまでたくさん見てきたが、どれを飲んでも「缶コーヒーの味」で、それまで普通に売っていたものと、あまり大差はないことが多い。だけど、僕はそれがとてもいいなと思う。僕が缶コーヒーに求めているのは、そういう不器用さというか、無骨さであって、挽きたてのコーヒーがいつでも飲める今、わざわざ缶コーヒーに挽きたて、焼きたて、淹れたてと同じような、コーヒーとしてのクオリティの高いものを求めるのは間違っていると思う。

 僕がよく飲んでいたのは、セブンイレブンに売っている「セブンアンドアイプレミアム」の「挽きたてコーヒー」で、UCC上島珈琲が作っていたものだ。今でもオリジナルブランドの缶コーヒーは売っているのだが、会社そのものが変わってしまって、ボスかジョージアのロゴが入ったものしか見かけなくなってしまった。そのUCC上島珈琲が作っていた「挽きたてコーヒー」は値段が98円とかなり安い割に、とてもおいしかった。それに、コストを下げるためにパッケージを簡素にしていて、缶の無骨なシルバーにそのまま大きく商品名だけが入っていて、その見た目もアイアンマンのマーク2みたいでとてもかっこよかった。

 高校時代、学校の自販機で売っていた缶コーヒーが「アロマックスプレミアムゴールド」というもので、缶コーヒーにはめずらしく、キャップがついていた。当時、缶コーヒーに対してあこがれを持っていた僕は、よくそれを買って飲んでいた。お腹が弱い僕には、どれだけ缶コーヒーあこがれを抱いていても、すぐ身体に反応が出てしまうため、一口飲んだだけでいつもトイレに駆け込んでいた。今思えば、別に特別おいしいわけでもなく、楽しいわけでもないのになぜ毎日のように飲んでいたのかはわからない。でも、「アロマックスプレミアムゴールド」はキャップがついていたから、すぐに飲み干す必要がなく、お腹が弱い僕はちびちび飲んでは保存できたため、都合がよかった。

 ある日、帰りにスクールバスに乗りながら、大きな失恋を経たり、大学進学が近づいていたこともあって、少し自棄になり、手に持っていた「アロマックスプレミアムゴールド」を一気に飲み干したら、一気にお腹がぐるぐると鳴り出し、それと同時にバスがちょうど発進してしまい、地獄を見たことがあった。大惨事には到らなかったが、駅についた途端トイレへ駆け込み、しばらく出れなかった。

 以前、友達と母校を訪れた際、そんなことを思いながら自販機で缶コーヒーを買い、中庭のベンチに座って飲んだ。その友達は目立ちたがり屋でその上変なやつで、いつも先生に迷惑をかけていたが、学校を出てからは嘘のように真面目に働き、付き合っている彼女と近々結婚を考えているらしい。思えば、高校のときから、やんちゃなようで一番真面目なやつだった。ベンチに座りながら、彼は「前までは違ったけど、今がすごく楽しいから高校の時に戻りたいとは思わなくなったな」と言っていた。僕はその時、今でもできることならもう一度高校時代に戻りたいと思っていたが、恰好つけて「まあ、そうだよね」となんとなく答えた。その時、久々に口にした缶コーヒーは、かつての思い出を象徴するかのように、とても苦かった。

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アイスキャンデーの夏

 「夏だし、なんかそれっぽいことでもするか」と思って、コンビニでガリガリくんを買って食べた。日差しが強く、とても蒸している日だった。ユニクロ松本大洋シャツと短パンに身を包み、買ったばかりのハンドスピナー(300円)を回しながら、コンビニまで駆けていった。気分はすでに小学三年生に戻っていた。
 小三の頃の夏といえば、クーラーを効かせた涼しい部屋でラチェットアンドクランクをやったり、コロコロコミックを読んだり、わざわざ外でポケモンの対戦をしたり、デュエマをやったり、はたまたブランコに乗って、どちらが遠くまで靴を投げ飛ばせることができるか競い合ったり、延々とやっていたものだ。小学校のベンチでデュエマの対戦をした後、デッキをそこら辺に置いたまま、辺りを駆け回っていたら、デッキを丸々盗まれていたことも、鮮明に覚えている。あの時の絶望に比べたら、今の悩みなど大したことはない。
 二十二歳になった今、スライス・ピザだとか、アメリカ映画に出てくるようなパンチ・ジュースだとか、クリーム・ソーダとか、あざといものに惹かれ、あこがれ、それをつらつらと書き連ねたりしているが、このあこがれ症とでもいうような性格は昔から変わっておらず、小学生時代にもたくさんあこがれているものがあった。いや、昔の方がいろんなものにあこがれていた。歳を取るにつれ、そのあこがれが段々と生活に馴染んできたり、実現できたりするからだ。
 小学生時代、あこがれていたものの一つとして、「アイスキャンデー」があった。あくまで、アイスキャンディーではなく、アイスキャンデーである。キャンディーではなくキャンデーと表記するその感じに、大正、明治辺りの日本っぽい、気持ちよさとかっこよさがあって、幼心にとても惹かれたのを覚えている。調べてみると、アイスキャンディーの誕生は、1905年に、サンフランシスコの11歳の少年フランクくんが、とある寒い日に、ジュースに混ぜ棒を挿したまま外に放置していたら、キャンディーのように固まっていたことからできたらしい。なんともうさんくさい、眉唾な話だが、まるで短編小説のように素敵な話だ。
 それに、あのフォルムもいい。色とりどりに着色された綺麗なアイスが、雑な木の棒に突き刺さっている感じ。以前、江國香織が「安っぽい色のものはみんな寛大だ。こんぺいとう、かき氷のシロップ、おもちゃの指輪。昔二十円で売っていた、にごったゼリーのような消しゴム。安っぽい色は、春に似ている」と言っていたが、アイスキャンデーもまさに同じだと思う。もしかしたら、夏にアイスキャンデーを食べたくなるのは、過ぎ去った春への郷愁に近い思いもあるのかもしれない。
 今でこそ、フルーツや野菜を丸ごと閉じ込めたような、見た目も新しく、かわいらしいアイスキャンディーが流行ったり、アイスキャンディーの再評価の流れがあるが、それまでアイスキャンディーはしばらく、日の目を見ていなかったと思う。それに、僕が求めているのはあくまで、あの”チープ”な”アイスキャンデー”である。一度、吉祥寺にあったパレタスというお店で、まるでラッシュの石鹸のような、お洒落でかわいらしいアイスキャンディーを食べたことがあったが、人気が出るのもわかる、と思ったのと同時に、僕が求めているのはこれではないな、と思った。
 昔は、氷旗を立てた移動式のクーラボックスを載せ、鐘を鳴らしながら自転車でやってくる「アイスキャンデー売り」がどこでも見られたらしい。僕も一度、温泉地で見かけたことがあるが、今ではもう滅多に目にしなくなった光景だ。これも、古い日本の風景というか、松本隆の歌詞世界のような、美しさがある。小学生時代、アイスキャンデーがどうしても食べたかった僕は、よくシャトレーゼという洋菓子屋さんで買ってきてもらっていた。それはソーダ味の水色が映えるアイスキャンデーで、僕のアイスキャンデー欲を満たすには十分なものだった。シャトレーゼにはよく、俗におっぱいアイスと呼ばれるようなゴム状の容れ物に入ったアイスや、メロン型の容れ物に入ったシャーベット状のアイスなど、昭和時代を思わせるようなアイスが売られていて、僕のような人間がワクワクするようなアイスがたくさんあった。ガリガリくんには、その子ども時代に持っていたあこがれの名残というか、思いのようなものがある。今でこそ、知覚過敏気味だったり、お腹を壊しやすくなったこともあって、昔ほど頻繁にガリガリくんを食べることはなくなってしまった。
 そんなことを考えていたら、自然とガリガリくんを手に取っていた。ガリガリくんを自分で買って食べることは、久しくなかった。あの印象的なパッケージはほとんど変わっていなくて、なつかしい気持ちになった。封を開けて、アイスをかじりながら、昔アイスキャンデーにあこがれていたことを思い返していた。
 しかし、食べているなかで、とてもショックなことがあった。ガリガリくんがどんどんと溶けてゆき、アイスを持っていた手に垂れていったのだ。これが、僕にはとてもショックだった。幼い頃は、どんなに暑い日でも、一滴も垂らすことなくガリガリくんを完食することができていたからだ。ガリガリくんは溶けて手に垂れるようなものではない、という意識が強くあったから、ダラダラと溶けていくガリガリくんを見るのが心苦しかった。急に加齢を感じた。それまで小三の気持ちでガリガリくんをかじっていたのに、急に小三のコスプレをしている二十二歳になってしまった。知覚過敏と胃腸を気にするがあまり、僕は豪快にガリガリくんをかじることができなくなっていたのだ。もはやそれは”ガリガリ”くんではなかった。
 それに、コンビニでガリガリくんを買ったとき、無意識に「梨味」を選んでいたことに気付き、ハッとした。小学生のときの僕があこがれていたのは、あのチープな水色が特徴的な「ソーダ味」のアイスキャンデーだったはずだ。「ガリガリくんといえば」の「ソーダ味」を選ばず、大人にも評価される味とクオリティの「梨味」を選んだことに、とても恥ずかしい気分になった。小学生時代の僕に見られていたら、ブン殴られていただろう。
 「お前はソーダ味を選ばず、梨味なぞという邪なものを選びやがって、これがもしガリガリくんリッチ黒みつきなこ味だったらお前は完全に終わっていたぞ」
 「そ、そんなこと言ったってガリガリくんリッチシリーズは、ガリガリくん本来のあのチープさを残しながら大人も満足できるような高いクオリティと、上品な味わい、そして時にはコーンポタージュ味やナポリタン味などのユニークで挑戦的な商品を発表し、ガリガリくんの世界観である『元気で、楽しく、くだらない』に基づいた素晴らしい商品なんだから仕方ないじゃないか......」
 「フッ......よくぞそれを言えた。私は貴様を試していたのだ。ガリガリくんリッチを食べたときのあの感動は、きっと子ども時代に感じていたものと同じだっただろう?梨味を選んだからって大人になった証ではない。ガリガリくんを一口、口にすれば誰だって”あの頃”の気持ちを取り戻すことができるのだ」
 「そ、そうだったのか......」
 「昨年、25年ぶりの値上げで70円になったものの、役員と社員が総出でそれを謝罪するという、赤城乳業の努力と誠実な対応をいつまでも見習うのだぞ!さらばだ!」

 赤城乳業さん、これでCMどうですか?

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ぼくら箱根コナキンズ

 久しぶりに本を買った。読むペースがまったく追いついていないのに、馬鹿みたいに本を買ってしまうため、未読の本が数十冊にも上り、それに制限をかけるために自らに禁止令を出していたのだった。やっぱり、本を買うというのは独特な気持ちよさというか、快感がある。もはや、買った時点でピークを迎えているというか、満足してしまっている気すらある。

 まだ、そこまでならよくあることかもしれないが、僕はその上、自分が期待している本、面白いだろうな、と思っている本ほど後回しにして読みたいタイプなので、現在ある本の束から、期待度で順位をつけ、下から読んでいかないと気が済まない。十冊あれば、期待している本、面白そうな本を十冊目に読みたいのだが、そこからどんどん本を買い足すことで、十冊が二十冊になり、三十冊になり、それによって期待値ランキングも変動し、読みたいと思えば思うほど、その本はどんどん遠ざかっていく。しかも、どれだけつまらなくても最後までちゃんと読まないと気が済まないから、段々苦行じみてくることもある。そうして、ようやく雑多な本を読み終え、期待していた本に辿り着く頃には、買ったときの新鮮さや興奮が冷めきっていて、「まあ、こんなもんか」と思うことも多い。

 こういった、自分に課した謎ルールに苦しめられることが多い。このせいで、全て初版で買っている乃木坂46の写真集は一冊も読めていないし、「恋は雨上がりのように」は6、7、8巻がビニールも破られずに本棚に眠っている。「三月のライオン」12巻もそうだし、「ダンジョン飯」4巻もそうだ。だから、そんな中で「本を買った」というのは、自分の中で禁忌を破ったような、それくらいの重大さがある。なぜそんな罪を背負いながら本を買ったかというと、それはオードリー若林さんの新著だったからだ。

 ちょうど僕が大学へ入学して一ヶ月ほど経ったとき、「社会人大学人見知り学部 卒業見込」という本が出版された。誰もが知っているであろう、オードリーの若林さんのエッセイ集なのだが、ちょうど大学へ進学したタイミングで、いろんな思いや不安の中でこれを読んだのもあって、読み切ったときにボロボロ泣いてしまったのを覚えている。というか、いまだに内容を思い出すだけで比喩でもなんでもなく、体の反応として涙が出る。何度も何度も読み返したし、その後に出た完全版も買った。

 思えば、オードリーを深く知るきっかけになったのは、彼らがやっているオールナイトニッポンというラジオを聞き始めてからだ。ちょうどラジオが始まったくらいの時、ネットで知り合った友達に「オードリーのラジオ、面白いよ」と勧められて、そこから聞き出したのだと思う。それからは、いまだに毎週リアルタイムで聞いているし、昔の回も頻繁に聞き返す。そこから派生してバナナマンおぎやはぎ、三四郎やハライチのラジオも聞くようになったが、いまだに一番好きなのはオードリーのオールナイトだ。よく言われているような、”深夜ラジオ”というものの楽しさや、気持ちよさみたいなものを知ったのが、まさにオードリーのラジオだったのだ。

 やはり、僕のような人間は若林さんのような人に惹き付けられるものがある。だけど、一方でどちらに”あこがれる”かというと、それは春日さんになる。自分はどちらかというと、若林さんに近い人間だから、真逆とも言える春日さんにあこがれる部分がある。簡単な言い方をしてしまうと、オードリーというのは、そこがとても魅力的だし、その二人には絶対に近づけない距離があるというか、強いつながりを感じることがある。

 若林さんの新著「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」は、若林さんがキューバへ訪れたときのことを綴ったエッセイだという。一昨日発売されてから、僕はすぐに買って、本棚の上に積まれた数十冊の本を無視してページを開いた。ゆっくり、ゆっくり読んでいるから、まだ全然読めていない。

 以前、若林さんがラジオでキューバ旅行のことを少し話していて、その時にあることを思い出した。僕が大学二年生か三年生のとき、有名なエッセイストの授業をとったことがあった。そのエッセイストはテレビにもよく出ているような有名な女性の方で、まるで南米や熱帯地域から来たような、情熱的で明るい人だった。その授業はゼミのような形式をとっていたのだが、なぜか僕以外女の子しかとっていなくて、その上授業中に頻繁に発言しなければならず、一回目の授業で後悔した。だけど、なにかの転機になるかもしれないと思って、最後までとることを決めた。

 ある日、授業が終わったあとに「ご飯食べにいくけど誰か一緒に行く?」と聞かれたので、反動で手を挙げ、ご一緒させてもらったことがあった。ドキドキしながら、ご飯を食べていると「君みたいなおとなしい子が、私の授業取るなんてめずらしいね」と言われた。このご飯も、なにかのきっかけになればいいと思っていた。世界各国を飛び回るという、その先生のスケール大きさにあこがれているところもあった。勇気を出して「旅どころか、自意識過剰すぎて、なか卯にも行けないんです」というようなことを話したら、ゲラゲラ笑いながら「君はキューバに行くといいよ」と言われた。

 その先生も実際にキューバを訪れ、一冊の本にしたためたくらい、衝撃を受けたらしい。確かに、話を聞いているだけでも、おもしろかった。そのエッセイ本を読んでいると、よりそう思えた。結局、その授業をとって、先生の話を聞いても、いまだになか卯に一人で入れないし、なにかが劇的に変わった、ということはなかった。むしろ、「旅に出て変わるくらいなら、大した悩みじゃないだろ」と斜にかまえて見ている部分もあった。だけど、キューバという異国の地へのあこがれ、そして、根拠のない旅情のようなものが、いまだにふわふわと浮いている。

 少し前に、オードリーのラジオを教えてくれた友達が東京に来るというので、一緒に遊んだことがあった。その友達とは、小学生時代からずっとネットでやり取りをしていたが、一度もあったことはなかった。彼はバンドをやっていて、レコーディングのために東京へ来るとのことだった。その時、ちょうどビトたけしという、ビートたけしのモノマネ芸人で、オードリーファンからしたら馴染みのある人が喫茶店をやっていて、そこに行こうという話になり、彼のバンドと、僕のバンドの人たちで喫茶店に向かった。

 生憎、その喫茶店はしまっていて、電話をしても応答がなかった。「あーあ、残念だね」なんて言いながら、近くにあった適当な喫茶店に入った。ご飯を食べながら、しばらくして、何気なく喫茶店のホームページを確認すると、「今から開店しま~す!」という言葉とともに、ビトさんのひょうきんな写真がアップされていた。ちょうどすれ違ったくらいのタイミングで、お店がオープンしていたのだ。彼らのスケジュールもあって、結局そのお店に行くことはなかった。「死んでもやめんじゃねーぞ」という台詞でお馴染みのビトさんだが、それからすぐに喫茶店を畳んでいた。喫茶店に行けなかったのは残念だけど、すべてすれ違ってる感じがよりビトさんらしくて、良い思い出になった。

 その友達はWBSBFKというかっこいいバンドをやっていて、僕もバンドをやっている。一度、一緒にライブに出たこともある。その時レコーディングされたというアルバムは、ビトたけしの件のすぐ後に録られたとは思えないくらいかっこよかった。僕らもいま曲を作っていて、春日さんへのあこがれから、うつくしい曲が一曲できた。春日さんに聞かれたら「生意気だなあ」と言われてしまうかもしれないが。

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次やったら殴る

 こないだ、家の前にある長い直線の道を車で走っていたら、急に大きな破裂音が鳴り響き、目の前が大きな火花と煙に包まれた。自分でも何が起きたのかまったくわからなかったし、車が爆発したのかと思った。すぐに脇の道に逸れて車を停めた。その破裂音が鳴ったのは、前方から二人乗りをした男女の学生数人がやってきて、それとなく避けて通ったすぐ後だった。きっと、その学生が爆竹かなんかを車道に投げたのだろう。それが前輪に見事に着弾し、火花と煙が上がったというわけだ。

 「きっと学生が爆竹かなんかを車道に投げたのだろう」と書いたが、自分でもまったく意味がわからない。畑の作物が荒らされていて、「きっとイノシシかなんかが荒らしたんだろう」と言うのとはワケが違う。立派な犯罪行為である。

 実際、学生たちが爆竹を投げる瞬間を見たわけではなかった。「半袖の夏服を着て、二人乗りでこちらへやってくる男女の学生がこちらへ向かってくるなア、嗚呼、青春の1ページだなア」と思い、車内に流れるミツメのクラゲをのんきに口ずさみながら、それとなく右へ避け、通り過ぎたと思ったら、突如前輪で爆発し、火花と煙が起こった。何度もそのシーンを思い返したし、その上で今、文章にしているが、まったく意味がわからない。爆竹かどうかだったかさえ、わからない。ただ、明確なのは「大きな破裂音と共に、火花と煙が上がるもの」を投げつけられた、ということだけだ。

 あれは、一体なんだったのだろう。あのグループの内の一人が、たまたまポケットに爆竹を入れていて、「タバコでも吸うか」と思って火をつけたのが爆竹で、「うわっこれ爆竹じゃん」と思って放り投げたのが、たまたま僕の乗っていた車に着弾したのだろうか。まるで昭和のナンセンス・ギャグ漫画のようだが、それくらいのことじゃないと、説明がつかないくらい、意味がわからなかった。

 ブチ上がる心拍数を必死に抑えながら、妹に事の顛末を話すと「お前、”やった”な?」と疑われた。普段から適当なことしか言っていなかったので、この話もすべて作り話だと思われてしまったのだ。このブログでも、「ライブハウスのリハで『ツェー』と言いたすぎてそれしか言えなくなってしまった男」とか、「数百人の鬼ギャルがライブハウスのフロアを埋め尽くしていた話」とか意味不明な、適当なことばかり言ってるから、きっと信じてくれないかもしれないが、本当にすべて嘘偽りなく本当の話だ。「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、まさか学生に爆竹を投げつけられる日が来るとは思っていなかった。

 あれから、爆竹事件を何度も振り返るうちに、一つ気づいたことがあった。その日はちょうど七月十三日で、迎え火の日だったのだ。地域によっては違うのかもしれないが、東京の田舎にある僕の街では、七月十三日、お盆になると家の門口にあたる場所で麦藁なんかを焼いて、先祖の霊を迎え入れるのだ。その時も、ちょうど夕刻だったこともあって、車に乗りながら、いろんな家で野火を焚き、消している姿が見られた。

 そう考えると、彼らがやっていたのは、”迎え火”だったのではないだろうか。先祖を迎え入れるために、彼らは爆竹に火をつけ、霊界からも見えやすい車道に放り投げたのだ。現代では、火災などの原因になったり、集合住宅地ではトラブルを呼んだりすることから、提灯に灯をつけるだけだったり、装飾のみで迎え火とするパターンも多いらしい。彼らの爆竹に火をつけるという行為は、そういった現代的な感覚の迎え火だったのかもしれない。そう考えると、ちょっとロマンチックなものに思えてくるし、ある種根拠のあるものに見えてくる。

 そう思えるのも、学生たちの見た目がいわゆるなヤンキー、不良じゃなくて、青春を謳歌していそうな男女だったのも起因している。まるで、YOUR ROMANCEの「Kids」のビデオで発煙筒を持ちながら、二人乗りをしている彼らのような感じで、前方からやってきたのだ。少し前に「そうして私たちはプールに金魚を、」という映画があったが、それと同じような純粋な感覚で、あの二人乗りの後ろに乗っていた女の子が「ねえ、爆竹を街にバラまいてさ、それで迎え火をしようよ。そしたら幽霊たちも気づくはずだよ」なんて言って、あの行動に出たに違いない。

 ここまで書いて、「ああ、なんて純粋でロマンチックな子たちなんだ......ウーン、アッパレ!」と一瞬思ってしまったが、やっぱり冷静に考えてもまったく意味がわからないし、「おーい磯野!爆竹をバラまいて迎え火しようぜ!」なんてことが許されていいはずがない。社会は怖いのだ。それに、僕は学生時代に女の子と二人乗りをしたこともなかったので、余計に腹が立ってきた。ロマンチックだとか、青春だとか、迎え火だとか、そんなものはどうでもいい。次やったら殴る、そう俺は今心に硬く決めた。だから、次そういうことがあった場合、必然的に殴ることになると思うけど、それは別に不自然なことなんかじゃないはずだ。

 まあ今回は特別にやめとくけども。

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ミスタージュークス

 音楽を主体的に聞くようになった中学、高校時代から、現在に至るまで、ずっと追い続けているバンドやアーティストというのは、少なくなってしまった。僕の趣味趣向が変わったというのもあるし、バンドの音楽性が変わったというパターンもある。そんな中で、今でもずっと聴き続けているバンドってなんだろうって考えたとき、一つ思い浮かぶのがBombay Bicycle Clubというバンドだ。
 ボンベイは既に解散してしまったが、とても影響を受けたバンドの一つだ。このバンドを知ったのは高校生のとき、地元のイオンにあるTSUTAYAのレンタルCDコーナーで、当時、知らないバンドのアルバムをむやみやたらに借りていて、その中の一枚にあったのがファーストアルバムの「I Had the Blues But I Shook Them Loose」だった。公園のような場所で、胴上げのように高く空中に浮いている男を眺める群衆、という変なジャケットに惹かれて借りたのだが、アルバム自体も印象的なジャケットと同じで、曲の構成も、ドラムのパターンも、ベースラインも、ギターのリフやメロディーも全部聞いたことないような、異質な感じがあった。「イギリスの四人組バンド」という情報だけは知っていたものの、それまで好んで聴いていたアークティック・モンキーズや、ブロック・パーティーとはまったく違うような感じがあって、そこがとても好きだった。その時は、特に好きだったその2バンドも聞けなくなるくらい、ボンベイのファーストだけずっと聞いていた。
 二枚目に出したアコースティックのアルバムもとても良くて、三枚目で「How Can You Swallow So Much Sleep」や「Lights Out, Words Gone」を聞いたときはびっくりした。ファーストアルバムで受けた衝撃を更に塗り替えられたというか、三枚目もまた、聞いたことないような音で、そしてそれらが全部僕の求めていたもののような気がして、ドキドキした。「Shuffle」のあのピアノのサンプリングフレーズもそうだし、The 1975や、日本で言えばミツメを筆頭に、インディーの中でよく使われるようになった、ミュートの効いたギターのフレーズも、ボンベイはまったく違う使い方をしていて、圧倒的な個性があった。ルーシー・ローズの歌声もよかったし、フォークっぽいサイケデリックさがあるアートワークも、曲名の雰囲気まで全部好きだった。
 ラストアルバムとなる「So Long, See You Tomorrow」はそこから更に発展して、サンプリングやラップのような譜割りなど、ヒップホップ的な気持ちよさ、そしてそこにインド音楽や、民族的なリズム、様々な要素が加わっていて、未来も過去も、西洋も東洋も全部ごちゃ混ぜにしたような感じがあった。でも、そこにはちゃんとジャック・ステッドマンが存在していて、ボンベイの音になっていて、そこにとても憧れた。
 いろんな音楽を聞いたり、映画を見たり、本を読んだりしているうちに、段々とこれは好き、これはあまり好きじゃないというラインのようなものができるというか、どういったものに惹かれるのか、自分で徐々にわかってくるようになると思う。僕はその好みの幅がとくに偏っているというか狭くて、すごく個人的なイメージだったり、感覚で惹かれることが多い。特に音楽で言えば、北欧の童話のような、カチャカチャしたドリーミーなフォークやエレクトロニカ、ジャズ、ソウル的な孤独なロマンチックさのある音楽だったり、スカスカしているようなインディーロックが好きなのだが、それらをすべて一緒くたにしようとすると難しいというか、どこかで接続してはいるものの、別の方向を向いているそれらに、なぜ同じように惹かれるのか、説明することはできない。また、それらに影響を受けて、表現しようとすると、どうしても一曲ずつ、あるいはフォーマットを変えてやるしかない。僕はヒップホップ的な要素を入れた曲もやりたいが、一方で子どもに聞かせても問題ないような、童謡みたいなかわいいフォークもやりたい。だけど、それらを一緒にやることはできないから、一方ではバンドでいろんなことを試して、弾き語りでは宅録でしかできないような多重録音のフォークをやるしかない。でも、ジャック・ステッドマンはそれらをすべて同居させたまま、変な違和を持たせず、完成度の高いものとして、作ることに成功している。そして、なにより僕が惹かれるのは、僕が音楽に求めている気持ちよさのようなものが、彼の作る曲にすべてあるということだ。
 ちょうど今日出た、ジャック・ステッドマンのソロ、Mr Jukesを聞いて、改めてそのことを思わされた。ギターロックが大好きだった高校生のときは、ファーストアルバムがとてもしっくりきたし、新しさもあった。そこから、ポストロック、エレクトロニカ、フォークなんかを聞くようになって、二枚目、三枚目の音楽性がまた自然に入ってきたし、King Kruleやサウスロンドンの音楽を聞いて、サンプリングやヒップホップっぽい要素がわかるようになってから、ラストアルバムが出た。常に僕の音楽体験とともに進化し、提示してくれていたのがBombay Bicycle Clubというバンドだった。きっと、僕が影響を受けすぎて寄っていってるだけなのだろうが、ジャック・ステッドマンの音楽には、僕がそのとき求めているものが全部用意されていて、聴くたびに驚いた。
 音楽だけじゃなくて、ジャック・ステッドマンの持つ雰囲気や、見た目にも、とても惹かれる。アレックス・ターナーもケリー・オケレケも大好きだし、とても憧れるが、スター感があるというか、カリスマ性がとてもあって、海外の大物バンドのフロントマンという感じがする。ジャックは、以前インタビューで「お酒を呑みに行って大騒ぎするよりは、仲のいい友達と静かにしている方が好き」って言っていて、そこが自分と似ていて信じられると思ったし、日本の田舎に住んでいる僕にも、どこか距離感が近いような感じがあった。それに、ジャックのおでこの広さも、いつもシンプルなシャツを着ている感じも、同じように感じるところがあって、とても好きだ。
 Mr Jukesは、以前からよく通っていると言っていた、日本のジャズ喫茶で生まれたプロジェクトらしい。ジャック自身、いよいよ頭を丸刈りにして、まるで寺のお坊さんのような見た目になった。アルバムはサンプリングが主体で、ボンベイのようなバンドサウンドはほとんどないし、音楽性もジャズやソウル、ヒップホップに寄っているが、とても強くジャック・ステッドマンが現れていて、嬉しかったし、まさに今、自分が好きで聴いていたり、表現しようと思っていることがそこにあった。初めてボンベイを聞いたときと同じ感慨があった。以前、ガリレオガリレイのメンバーと対談したとき、ジャックが「ソングライティングっていうのは自分の中のソウル(魂)であって、アレンジの部分は洋服みたいなもんなんじゃないかな」と言っていた。きっと、アレンジが違っても彼の個性を感じるのは、そういった強い意志があってこそなんだろうと思ったし、自分もそれを持っていたいと思った。

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ぼくのステディ

 恋人のことをステディと呼ぶアレ、どこかまぬけというか気が抜けているような気がして、いいなと思う。彼女とか、恋人とかよりも、ステディは日本人的な感覚として、敷居が低いような気がする。なぜなら、僕のような人間は、彼女のことを彼女と呼ぶことができないから。「いやあ、こないだ彼女がさあ~」と僕が言ったところで、「こんなやつに”彼女”なんているのか?」という疑問符が生まれるというか、お付き合いしている異性のことを”彼女”と呼ぶのは、どこか敷居が高い気がしてしまう。それが”カノジョ”(語尾が上がる感じで)だったり、”元カノ”だったりすると、余計に思う。

 だからといって、「いやあ、恋人がさあ~」って言うと、「一般的な”彼女”という呼称ではなく、ちょっと角度をつけた恋人と呼ぶことによって、関係性の特別さを提示してこようと思ってんのか?」と思われているんじゃないか、と思う。”相方”って呼ぶのも、「彼氏彼女みたいな俗っぽい関係じゃなく、もうそこを飛び越えた特別な関係」を示そうとしている感じがしてしまって、言えない。”好きな人”とかだと、「ぶってる感」が出るというか、「いや、付き合っているのに”好きな人”ってなんやねん」と思ってしまう。ここまで言うと、そうやって呼んでいる人たちをディスっているような形になっているが、あくまで僕が発言した場合であって、僕の雰囲気や性格的に、これらを呼称するのは、どうも憚られるところがある。

 だからこそ、”ステディ”はなんか響きが間抜けでいい。80年代のトレンディドラマ感というか、景気のいい感じがする。それに、「いやあ、こないだステディがさあ~」って話を切り出せば、途端に呼び方のクセを突っ込まれて、付き合っている人の話をしようとする恥ずかしさが、中和される気がする。全部が冗談じみて聞こえるというか、そんな作用がある。”元カノ”じゃなくて、元ステディ、元ステなんていう呼び方をすれば、俗っぽさもないし、別れていることに対する侘しさのようなものも、薄れる。

 ただ、問題なのはステディ=恋人であるという言葉があまり認知されていないのと、なんの脈絡もなく「ステディがさあ~」と話し出したところで、まったく伝わらないというところだ。一人称は、僕、俺、私、ウチ、ワシ、小生など、性格やキャラクターに合わせて様々な呼び方が用意されているのにも関わらず、付き合っている女性のことは”彼女”か”恋人”くらいしかない、というのは誠に由々しき問題である。カノジョとか、恋人だとかって呼んでいいのは一部の許された人間だけだ。僕はその権利のようなものを持っていない。

 だが、ここまで書いてきて、一番重要なことに気づいた。それは仮にステディができたとしても、自分から人に付き合っている人のことを話すなんてことは、ほとんど無いに等しいということだ。他人にのろけても自慢になってしまうし、愚痴を言っても仕方がないと思ってしまうし、ステディができたとて、「いやあ、こないだステディがさあ~」なんて切り出すことは、僕にはなかったのだ。

 ちなみに、オードリーの春日さんは、数年に渡って、一緒に温泉旅行に行ったり、鎌倉にデートしに行ったりしている女性がいて、それを何度もラジオで語っているにも関わらず、ずっと「狙っている人」と呼んでいる。そして、それを「モテたいから『狙っている人』って呼ぶことで、まだ誰のものでもないってことをアピールしたいんだろ」って若林さんに突っ込まれていた。

 だけど、「狙っている人」という呼び方は、案外、正解かもしれない。結婚というのは社会的な制度だし、ちゃんとした契約のもとに成り立っている関係だが、”付き合っている人”というのは、あくまで口約束に過ぎない。そう考えると、彼女も恋人も「狙っている人」も全部同じなのかもしれない。それに、恋愛は「付き合うまでが一番たのしい」とよく言うが、「狙っている人」という名前で呼び合うことで、その楽しさをずっと持続できるのかもしれない。彼女や恋人になってしまえば、そこがどうしても”一つの”ピークになってしまうからだ。

 だから、これから好意を寄せている異性のことを、「狙っている人」と呼ぶことにした。これによって、僕の長年の悩みがようやく解決した。あとは、今のところそう呼べる人が、一人もいないということだけが、僕に残された問題である。

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変なおっさん

 二十二歳にもなると、近所の公園で遊ぶとか、外で元気にはしゃぐ、みたいなことが無くなってしまった。今でこそ、なるべく直射日光と人の目を避け、ハイパーインドア人間として生活している僕だが、幼い頃は毎日のように、外を元気に駆け回っていた。僕の通っていた小学校は敷地がとても広く、ちょっとしたアスレチックがあったり、ブランコやうんてい、鉄棒なんかがあって、公園のような作りになっていた。学校がある日もない日も、いつも学校に集まって、鬼ごっこをしたり、ブランコに乗って勢いよく靴を飛ばして、誰が一番遠くまで飛ばせたか競い合ったり、低い山のようになっている坂の部分を、ダンボールを下敷きに滑走したりしていた。

 特にそのときはブランコが流行っていて、靴飛ばしの他にも、勢いよく漕いで、そのまま大車輪のように一周しようとする者が現れたり、遠心力を使ってそのまま勢いよくジャンプして地面に着地したりする者が現れたり、小学生らしい乱暴な使い方をされていた。僕はバカだったので、ブランコに座り、そのまま横にグルグルと回転し、ギリギリまでブランコを繋いでいる二本の鎖を巻き付けてから足を離し、勢いよく回転するという遊びをずっと繰り返していた。きっと、誰もが一度はやったことがあるだろう。グルグルグルグルグルッ!という激しい回転からの、戻った衝撃で「ウッッッ!」ってなるあの遊び。ひどいときは友達とブランコをすべて占拠して、一斉にグルグルグルグルッ!ウッッッ!を繰り返していた。今思えば何が楽しいのかまったくわからないし、異様な光景である。

 やがて、中学に進学し、高校へ進学し、年齢を重ねていき、いつしか公園に足を運ぶことは少なくなった。もちろん、井の頭公園や、葛西臨海公園みたいな都心の大型公園に行くことはあっても、近所のちょっとした遊び道具があるような公園で遊ぶなんてことは、ほぼ無い。それは、公園で遊びたいという欲求が薄くなったのもあるが、なにより大きいのは、二十二の男が公園にいることが許されていない、ということだ。恋人と深夜の公園で、ブランコに座ってアイス食べる、みたいな光景はロマンチックなものとして社会的に許されるかもしれないが、大学も出た良い大人が、ジャングルジムを駆け登ったり、川沿いの土手でダンボールに乗って滑走している光景は、どうしても異様なものとして映ってしまう。

 以前、歌人穂村弘がこんな話をしていた。

 僕が若かったころ、友達がこういう短歌を作った。「どこの子か知らぬ少女を肩に乗せ雪のはじめのひとひらを待つ」(萩原裕幸)。これは当時、叙情的でロマンチックないい歌だと、みんな思った。寡黙な青年が公園で知らない少女とコミュニケーションをとって、じゃあ肩車をしてあげるよと。で、肩車をしてあげて、雪がふりそうだなって思いながら、一緒にその最初の一片を待つというのは、すごくロマンチックだと、1980年代には思われた。ところが、今この短歌を発表したら、作中の〈私〉は不審者扱いですよ。どこの子かわからない子をいきなり肩車しちゃったら、それはもうNGですよね。つまり、1980年代から現在までの30年間で社会のOKのコードは激変したわけですよね

 社会の輪郭が縮小したことで、「日本狼も野良犬も変なおじさん」もいなくなってしまった。「どこの子か知らぬ少女を肩に乗せ」どころか、おじさんが平日の昼間に公園のベンチに座っているだけで、子連れのお母さん達から怪訝な目で見られてしまう。これは公園の話だけではなくて、短歌や詩、音楽のような表現の世界にも言えることで、昔より読者、消費者の意識が厳しくなったことで、お金さえ払えば一切の属性を問われないというような、絶対的な価値観が強く浸透しているという。

 本の献辞ってありますよね。『○○へ』とか。あれを本に入れたことがあって、そうしたら読者から「これは『○○へ』って書いてあるから、なんでこんな本をお金出してわたしが買わなきゃいけないんだ」っていう感想をもらったんです。その感覚って、昔はなかった。いまのお客さんって全能感が強くて、つまり極端なことをいうと、「○○へ」の「○○」に自分の名前がないと違和感を覚えてしまう

 これはどのジャンルにも言えることで、音楽においても、穂村弘の言う「ワンダー(驚異)」的な表現よりも、「シンパシー(共感)」が求められているのは、誰が見てもわかることだと思う。それが良い悪いという話ではなくて、自分も一人の消費者の立場として見たときに、「シンパシー(共感)」ばかり求めていっているんじゃないか、という怖さを感じることがある。わかるものばかり追い求めて、わからないものが現れたときにそれを排他してしまうのは、とても怖いことだ。

 自分の作ったものを「よくわからない」と言われることがたまにあって、その度に「そうかあ、でもそういうもんか」と思っていたのだが、逆に自分の作ったものを自分で説明してみろと言われても、大体の場合、よくわからない。でも、よくわからないけど、それを考えていく作業に意味があると思う。穂村弘が「良い表現というのは不可逆的なもの」だと言っていた。サラダのような、何を選んで、どういう風に調理したのかがすべてわかるような、本質的な変化のない表現はあまり良くなくて、同じ野菜でもたくあん的なものの方が良い。要は、良い表現というのはブラックボックスで、受け取った側も表現した側も、何が起きたのか説明できないもののほうが良い。はたして、自分が「たくあん的な表現」をちゃんとできているのか、と聞かれたら、自信満々に頷くことはできないし、何度もそのブラックボックスを通過できるのは才能のある人にしかできない所業なのだろうが、意識するようにしている。

 公園のブランコに乗って、グルグルグルグルッ!「ウッッッ!」の「ウッッッ!」の時に感じていた、あのよくわからない変な楽しさ。そんな感じの曲や文章が書けたらいいな。

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