百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

カニとパイナップル

 ある人はニューバランスの靴を履いて、全速力で駆け出し、ある人は自転車を一生懸命漕いでいくなか、どうせニューバランスとか似合わないし、自転車も乗れないし、と諦めにも似た思いを抱え、たまたま残されていた、空き缶に紐を通しただけの簡易的な竹馬「缶ぽっくり」を、「これだったらポコポコ音鳴っておもろいし、ウケそう」と安易な考えで乗ってはみたものの、全然進まないし、気づいたときにはニューバランスのあいつも、自転車に乗ったあの子の姿も見えなくなって、焦れば焦るほど、バランスをくずしてふらふらし、チャカポコ、チャカポコと間抜けな音だけが辺りに響き渡り、半泣きになって歩き続けていた。
 スタートが切られると同時に、爆音を鳴らして走り去っていくフェラーリやハーレーに圧倒され、その音と排気で、ゴホゴホとむせているときには、安全運転でスタートした軽自動車や、自転車勢が先を行き、スケートボードを華麗に乗りこなすあいつも、ナイキやニューバランスのスニーカーで駆け出したあの子たちも、気づいたときにはだいぶ、先の方を走っていた。気づけば自分の前後にいるのは、子ども用の三輪車に乗って一生懸命こいでる奴や、そもそも走る気をなくし、幼児が使うような白鳥型のおまるにまたがってじっとしている奴。そして、空き缶に通した紐を持って、うまく缶の上でバランスを取りながら歩く僕。見事に阿保しか残っていなかった。
 最初はまだ良かった。フェラーリやハーレー、自動車勢の凄まじい勢いがフリとなり、当初の狙い通りウケたのだ。
 「いいぞー!がんばれ!ハハハ」 
 「アイツ、阿呆やなあ」
 「フェラーリに遅れんなよー!」
 沿道にいた観客からゲラゲラと笑い声が飛び交う。そして、それが気持ちよかった。だが、それも長くは続かない。僕の乗っていた「缶ぽっくり」が、あまりにも進まなかったため、同じ光景に観客たちが段々見飽きてきたのだった。
 「いつまでトロトロ走っとんじゃ!」
 「缶捨てて裸足で走れや!」
 「しょうもないんじゃボケ!」
 想定外の状況に、僕はビビりまくっていた。ビビりが身体に伝染し、バランスを崩して転けた。すると、観客から少し笑いが起きた。「あ、ウケた」と味を占めた僕は、わざと何度か転んでみた。すると、観客から「わざとらしいんじゃ!」「味占めんなや!」と罵声が飛んだ。その罵詈雑言にビビり、ふたたび転けた。するとまた罵声が飛んだ。最悪の状況だった。
 後悔だけがただ、身体中に広がっていた。スタート前、安易な考えで「缶ぽっくり」を選んだ自分を呪った。そもそも、もっと早い段階から、いろいろなものを選べたはずなのに「まあ、どれ選んでも大して変わらないだろう」と高を括り、ようやく選び出したときには「缶ぽっくり」と「おまる」、そして「子ども用三輪車」や「足袋」くらいしか残っていないことに絶望を感じながらも「フェラーリよりも、缶ぽっくりなら絶対ウケるし、おもしろいし、音も鳴るから飽きないし、絶対良い」みたいな、むちゃくちゃな論理で自分を騙し、缶ぽっくりに足をくぐらせてしまったのが、すべての間違いだった。まだ、足袋にしておけばよかった、と心の底から思った。
 しかし、選んでしまった以上は仕方ない。このだだっ広いコースを、缶ぽっくりで歩んでいくしかない。そう自分に言い聞かせてみるものの、目の前に広がる広大な道と、沿道から集中する観客の視線に耐えられなくなり、思わず泣き出してしまった。
 「なに泣いとんじゃ!」
 「自業自得じゃ!」
 「やめなよ、言い過ぎだって。かわいそうじゃん」
 沿道から飛ぶ罵詈雑言、そして、それ以上に僕をかばう言葉につらくなり、余計泣けてきた。涙で視界が霞み、目の前の道がおぼろげに揺れていた。ふらふらと歩を進めていると、後ろからチャカポコ、チャカポコと間の抜けた音が近づいてきた。後ろを振り向くと、自分と同じように心もとない空き缶に乗り、紐を手綱のように持ちながら、よろよろと近づいてくる男の姿が見えた。それは、かつてから仲の良かった友人だった。
 「え、お前も缶ぽっくりだったの」
 「え、ああ、うん。ぼーっとしてたら、缶ぽっくりしか残ってなくて」
 こいつも、僕と同じく阿呆で有名な男だった。自分と同じレベルの、同じ阿呆の登場に、僕はとても救われた。
 「俺、さっきスタートしたんだけど、観客の罵声がすごくて、でも、目の前にお前の姿が見えて助かったよ」
 頼りなさげにそうつぶやく友人に対して、僕は先ほどまで泣いていたのを悟られないように涙を袖でそっと拭い、こう言った。
 「あ、ほんと?僕はあんま気にしなかったけどね。最初から缶ぽっくりで行こうと思ってたし」
 こんな状況でさえ、友人より少し立場を上に持っていこうとしてしまう自分に嫌気がさした。本当は後悔と絶望に押しつぶされそうだった。
 「まあ、一緒にがんばろうぜ」
 「うん」
 虚勢を張り、まるで自分を励ますように、友人に声をかけると、僕たちは並んで歩き出した。缶ぽっくりに乗った男が並んで歩いているのが滑稽に見えたのか、沿道からふたたび笑いが起きた。先ほどまでの後悔や絶望は、もうなくなっていた。
 歩いている途中、ふと、横で歩いている友人の足下に目を落とした。足にぴったりとくっついた、その空き缶には「べにずわいがに」の文字が入った、金色のラベルが貼り付けられていた。急いで自分の足下に目を落とすと、そこには「輪切りパイナップル」の文字とともに、安っぽいラベルが見えた。
 「うわ、こいつの方がええやつやん」と思った僕は、同じ缶でも、先に選んだくせに安物のパイナップル缶に乗っているのが恥ずかしくなり、すぐにしゃがみこみ、友人にバレないようにこっそりラベルを剥がし、ポケットに突っ込んだ。
 「どしたん?」
 「......いや、なんでもない。ちょっとつまづいただけ」
 苦しまぎれに言い訳すると、僕たちはふたたび歩き出した。チャカポコ、チャカポコと間の抜けた音が、むなしく辺りに響いていた。

www.youtube.com

夏の夜

 大切な人からもらったニューバランスを、もったいなくて履けずに、本棚にずっと飾っていたのだけど、なんとなく気まぐれを起こして、外に出して、履いて出かけた。もらってから、だいぶ日が経っていたので、足を入れると少しきつかった。その頃とは十キロ近く体重が変動しているのだから、当たり前だ。
 少し歩いただけで滝のように汗が出るような、暑い日だった。バンドを組んでいる人たちと、バンドを組んだ街で、お酒を飲んだ。楽器を持たずに、その街にいることに、心地よい違和感があった。酒気が高まり、声色も変わってきたころに、店員さんがケーキを持ってきた。ケーキにはロウソクが立てられていて、たくさんの火がゆらゆらと揺れていた。
 僕らの内の一人が、今日、誕生日だったのだ。ケーキが登場すると、店員さんの呼びかけもあって、誕生日を祝うためにみんなで歌を歌い出した。隣にいたカップルも、目の前のカウンターに座っている腕にびっしりと入れ墨の入った、いかついお兄さんも、外国人と思わしき店員さんも、手を叩き、祝っていた。普段、自分が店にいて、他の席の知らない誰かが誕生日だったとき、僕は手を叩くことができただろうか。そんな、僕の自意識さえも吹き飛ばしてくれるくらい、その場のすべてが優しかった。祝われて照れ臭そうにはにかむ彼の顔も、色とりどりの果物が並べられたきれいなケーキの味も、そのすべてが、ただただ正しかった。
 お酒が回って、ふらつきながら電車へ乗った。アルコールの回った頭では、目の前がすべてぼやけて、幽霊になったかのような気分だった。電車へ乗ったタイミングで、サラバーズというバンドのラストライブのアルバムを聴きながらふらふらしていると、あっという間に最寄りの駅についた。電車を降りたと同時に『バンドを始めた頃』という曲が流れ出した。バンドを始めた頃、僕は18歳だった。その頃にも、この曲をずっと聞いていた。
 そんな偶然に気分がよくなって、歩いて帰ることにした。真夜中になっても、あいかわらず暑かった。お盆という文化があるせいかもしれないが、夏の夜は、嘘もほんとうも、在るものも無いものも、その境目を失わせていくような気がした。
 こうやって、文章にするのがもったいないくらい、いい夜だった。酒気を失った明日の朝には、この文章を僕はどう思うのだろうか。でも、そんなことがどうでもよくなるくらい、すべてがいい夏の夜だった。
 卸したてのニューバランスに、慣れない足が擦れて、鈍い痛みが走っている。この靴が僕の足に馴染む頃には、なにか変わっているだろうか。今はなにもわからないが、わかりきっているのは、くるぶしに走る確かな痛みと、この夏の夜が僕にとって大切だったということだけである。

幽霊たちは今夜も酒盛りをして

後悔 思い出話 歌にしよう

あいつら人間には内緒だぜ

www.youtube.com

 

まともがわからない

7月10日 魔

 電車のなかでOL二人組の会話が耳に入る。

「魔ってさすよね~」

「あー、さすさす」

7月13日 ガリガリくん

 ガリガリくんを口にふくんだまま、仰向けになり、手を使わずに何分で食べられるか挑戦してみる。

 結果、1時間27分33秒で食べ切る。

7月16日 デブ

 何も食べていないのに300グラム太る。

7月22日 飲み会

 久々に会った友達と居酒屋へ。

 フライドポテトを注文したあと、何も言われていないのに「飲み会でフライドポテトを注文することが、世の中的にあまりよくないことであるのはわかっているし、その自意識はある」と弁解する。

 シューストリングタイプのフライドポテトだった。なんだかんだでみんな食べていた。

7月25日 人中汗

 「鼻の下に汗をかいてる女性はエロい」という話を延々と聞かされる。

 曖昧にうなずく。

8月2日 サンマルク

 ベトナム風コーヒーがめちゃめちゃうまいことを知る。

8月6日 カラコン

 久々に家族で食卓を囲む。

父「あ、この人カラコンじゃん」

妹「え、なんでわかんの」

父「当たり前じゃん。カラコン研究家だもん」

 喋ってないのと同じくらい適当なことしか言わない父に、血の濃さを感じる。

8月8日 火野

 友達のモテ話に「昭和の火野正平じゃん」とつっこむが、後になってそれはただの火野正平であることに気づく。

8月10日 寿司

 注文がすべて手元のタッチパネルでおこなえる回転寿司屋へ。

 いつもは恥ずかしくて注文できない「炙りサーモンマヨ」を、試しに六つ頼んでみる。

 数分後、奥のレーンから六つの「炙りサーモンマヨ」が迫ってくる。壮観だった。

 食べてる途中で飽きて、隣にいた人に二貫わたす。

8月12日 田中

 朝起きると、留守番電話が入っていた。

 「......もしもし?田中さん?あの~、あれ......。さっきお宅行ったんだけど誰もいなくて、あれ、野菜玄関の前置いといたから、野菜、食べてねぇ~、そんじゃねぇ~」

 一応、玄関の前を確認する。野菜はなかった。

8月16日 スタバ

 気まぐれを起こして普段行かないスターバックスへ。チャイティーラテを注文する。

 カップの側面に「シャツにサイズのシールついてますよ」と書かれる。

 「今はあえて貼るのが流行っている」みたいな顔をしながら、カップの側面を手のひらで隠すようにして飲む。

www.youtube.com

菊池亜希子的な、なにか

 こないだ出た、菊池亜希子の「好きよ、喫茶店」をぺらぺらめくっているうちに、ある人のことを思い出した。その人は、僕の三つ上で、大学を出た後に別の学校へ入って勉強をしている、小柄でショートカットの似合う女性だった。僕の働いていたドーナツ屋さんの先輩で、僕と同じ中学校を出ていたのと、好きなものが近かったのもあって、とてもよくしてもらっていた。とてもやさしい人で、でもそのやさしさにはちゃんとした強度があって、ただ甘やかすだけじゃなくて、ちゃんとした厳しさも持ち合わせた人だった。
 バイトに入って少ししたくらいのある日、出勤すると突然、「坂口健太郎、好きでしょ?」と言われた。特別好きなわけでもなかったが、僕はその時、人から「坂口健太郎に寄せてこい」と言われて、人生初のパーマをあてた後だったので、それを見透かされた気がして、思わず足が震えた。「い、いや、別に普通です......」というと、その人は「ふーん、私は柳くんの方が好きだけど」と言った。どきどきしながら更衣室に入って、着替えていると、目の前の姿見に映る自分が、目に入った。そこに映っていたのは、坂口健太郎とはほど遠い自分で、思わず笑った。天性のストレートヘアーによって、パーマはすぐに落ちてしまった。今でこそ、国民的な人気がある坂口健太郎だが、当時はモデルから俳優に歩を進める最初の時期で、今ほどの人気はなかった。だからこそ、「坂口健太郎、好きでしょ?」の一言によりどきっとした。
 その先輩が敬愛していたのが、菊池亜希子だった。常に短く切られた髪と、パンツルックで、ボーイッシュはボーイッシュでも、菊池亜希子的なボーイッシュさが漂う、誰が見てもおしゃれな人だった。女の子よりも、男の子の服装を参考にしているそうで、読み終わったメンズファッジを大量にくれたり、菊池亜希子のマッシュをよく貸してもらったりしていた。マッシュを読んでいるうちに、菊池亜希子の強さを改めて思い知らされた。その人の影響で、僕も菊池亜希子がより好きになった。
 たまにバイト先の人たちで飲みに行ったときも、ずっとその人の横にいた。その人は僕とは違ってアクティブで、何事にもはっきりとした意思を持っていて、そういうところにとてもあこがれた。先輩もまた、自分とはまったく違うような僕のことを、とても面白がってくれた。「最近、ようやく松屋に一人で入れるようになりました」と告げると、「本当!良かったじゃん!次は吉野家だね」と笑いながら言った。
 先輩と僕は、共にちょうど年度末でバイトをやめることになっていた。僕よりもずっと長い間働いていた先輩は、それを寂しそうにしていて「やめたくないなあ」とこぼしていた。先輩はバイトをやめた後、都内で一人暮らしするとのことで、僕はバイトをやめることよりも、その先輩に会えなくなるのがなんとなく寂しかった。年度末に近づいた、冬のある日、バイト先の数人で飲み会が開かれることになった。飲み会といっても大したものではなく、仕事終わりになにを話すでもなく、一、二杯飲んで帰るだけの会だった。お酒を飲むことが目的ではなく、とりとめないことをだらだらと話しているだけだった。ハイボールを二杯飲んだだけの、ほろ酔いともつかないような状態で、会はいつものようにお開きになった。
 みんなで歩いて帰ってる途中、横にいた先輩が相変わらず「やめたくないなあ」とこぼしていた。その時、お互いに悩みを相談し合っていたので、僕もつられて、なんとなく「今から言葉を覚えて、フィンランドにでも行こうかと思ってるんです」と言うと、「え!それめちゃくちゃ良いじゃん!」と言われた。その目がとても真剣で、あしらわれると思っていた僕は「いや、冗談ですよ......行けたら素敵ですけどね」と言うと「え〜でも、それ良いと思うな。絶対行ったほうがいいよ。ていうか、行きな」と言われた。「冗談でしょ」「くだらないこと言うな」とか「現実見ろ」と言われると思っていた僕は、思わぬ返答にどきどきした。「こいつ、夢見がちだなとか思わないんですか?」と聞くと、「私、現実見ろとか人にまったく思わないから、私の言うことあんまり聞かないほうがいいよ、参考にならないから」と笑いながら言われた。そんな人に出会うのは、先輩が初めてだった。そしてそれが、とても眩しく見えた。つまらない冗談を言ってしまった自分が、とても恥ずかしくなった。
 思えば、その先輩だけではなく、僕が仲良くなる女の子は、なぜか菊池亜希子が好きだったり、影響を受けたりしている人が多い。女の子だけじゃなく、男でもだ。多いというか、ほとんどがそうである。そのことを不思議に思いながら、なんでだろうと思っていたが、今思えば、菊池亜希子が好きだと思うような感性を持っている人は、僕のようなよくわからないやつに優しく話しかけてくれたり、仲良くなってくれたりするような、やさしくて素敵な人が多いのだろう。
 思えば、これまでたくさんの「菊池亜希子的な、なにか」に救われてきた。そして、きっとそれはこれからも変わらないのだろう。

www.youtube.com

ピーマンの肉詰め

 「ピーマンの肉詰め」が嫌いである。ピーマンの肉詰めとは、その名の通り、半分に切ったピーマンにひき肉を詰めて焼いたアレである。誰もが一度は口にしたことがあるだろう。うちの家庭では、このピーマンの肉詰めが食卓に上ることが稀にあるのだが、食卓について、あの印象的なフォルムが目に入ると、心の中で「ピーマンの肉詰めか......」と思ってしまう。
 こういう話になると、必ず「どうせピーマンが嫌いなんでしょ」と思われてしまいがちだが、別に、子どもから忌み嫌われている野菜一位であるピーマンが嫌いなわけではない。中に詰められているハンバーグが嫌いなわけでもない。むしろ、どちらも食べ物の中では好きな方に入るのだが、それを掛け合わせることが、僕には理解できない。ピーマンとハンバーグを合体させるくらいなら、別々に食べたほうがいいと思ってしまうのだ。だから、単体のハンバーグと、ピーマンの煮浸しが出てきたら、とてもうれしい。煮浸しは作るのに手間がかかるというのなら、醤油で焼いただけのものでもいい。なんなら、生で食べてもいい。いや、やっぱり生はさすがにないが、ピーマンとハンバーグを掛け合わせることに対するメリットを、僕は感じることができないのである。
 こうなったのも、最初からというわけではない。よくピーマンの肉詰めは、野菜嫌いの子どもにピーマンを食べさせるためのアイデアとして作られることが多いらしいが、僕が子どものときは特に抵抗なくピーマンの肉詰めを食べていた。その時はピーマンとハンバーグを別で食べたいとも思っていなかった。それがいつしか「あれ、なんでピーマンとハンバーグを合体させる必要があるんだ?」と、段々その存在自体が懐疑的になってゆき、気づいたときには「ピーマンの肉詰めアンチ」になっていたのだった。
 そのことを、母親に伝えるようになったのは、最近の話ではない。以前から、何度も何度も「頼むから、ピーマンとハンバーグを分けてほしい」と懇願しているのにも関わらず、母はまるでその言葉を一度も耳にしていないかのように、平然と「ピーマンの肉詰め」を食卓に出してくる。その度に「ピーマンとハンバーグは絶対分けたほうがおいしいって!」と熱弁するのだが、「だって、ピーマンたくさんあるんだもん」とまったく意に介していない。「そうじゃなくて、ピーマンはピーマンで食べたいんだって!」と言い返すと、横にいた妹から「理屈っぽい男はモテないよ〜」と言われる。そうして僕は、喉につまった言葉をぐっと飲み込み、ようやく諦めて、ピーマンの肉詰めを一つ口に運ぶのである。
 もちろん、実家暮らしで、ご飯を作ってもらっている身として、出されたものに文句を言えた義理ではない。そんなことはとっくのとうに承知している。だけど、これは”文句”ではない。”提案”である。きっと、僕が子どものときは、どこの家庭でもそうだったように、子どもにピーマンを食べさせるために作られていたに違いない。だからこそ、ピーマンの肉詰めが食卓に上るのはとても自然なことだったし、それについて誰も苦言を呈する人はいなかった。しかし、ピーマンも普通に食べられる上、特にピーマンの肉詰めが好きで好きで仕方ないというわけでもない(母も妹も)今、ピーマンに肉を詰めて焼くべき理由が、一つもないのである。
 きっと、この日本という国ではこのピーマンの肉詰めのように、合理性よりも優先されるべきものがたくさんあって、それが様々な諸悪の根源になっているに違いない。だけど、ピーマンの肉詰めそのものがこの世から消え去ってもいいかというと、そうでもない。そもそも、僕はカフェオレボウルだったり、純文学だったり、きれいな石やどっかの国の砂漠の砂など、非合理的なものや、直接役に立たないもの、生活する上であまり必要のないものが好きなのに、ピーマンの肉詰めを否定するのは、間違っている気がする。
 それなのに、なんでそんなにピーマンの肉詰めが嫌なんだろうと振り返ってみると、それはハンバーグが昔から好きだったからであることに気づいた。僕の中でハンバーグという料理は、完璧なもので、なにをも付け入る隙のない、強度の高い食べ物だったのだ。だからこそ、ハンバーグとピーマンを組み合わせるのは、お互いの良さを消しあっているようにしか思えなかったのだ。僕は乃木坂46向井秀徳も大好きだが、乃木坂46向井秀徳が加入したら話は違ってくる(それはそれで見てみたいけど)。それとまったく同じである。
 それに、わざわざこうやってピーマンの肉詰めに対して一家言持っているのは、僕というのはこういう人間だということを、人にわかってほしいという面もあるのかもしれない。もし、将来誰かと結婚したとしても、ピーマンの肉詰めが嫌いだから、絶対食卓に出さないでくれ、と言うことはない。食卓に上ったピーマンの肉詰めに対して「ピーマンの肉詰めか......」と思いながら、渋々、口に入れたい。僕がピーマンとハンバーグを別々にして食べたい人間であるということをわかりながら、ピーマンの肉詰めを出されたいのである。なんというか、それはお互いがお互いとしてフラットで、良い関係のように思うし、ひき肉をピーマンに詰めている姿には、誰が作ったって「相手に対する思いやり」が込められているように思うからだ。それはハンバーグとピーマンを別々にしたときには生まれない、あたたかさのようなものがあると思う。一口大の大きさは食べやすいように。野菜も一緒に食べられることから、栄養面も考えられており、作るのに手間もかかる。バファリンはその半分がやさしさでできていると言うが、それと同じでピーマンに詰まっているのは肉ではなくて、思いやりなのである。だから、正確に言えば、僕は「ハンバーグとピーマンを別々に食べたい」のではなく、「ハンバーグとピーマンを別々に食べたいと思いながらも、渋々ピーマンの肉詰めを食べたい」のである。自分でもめんどくさい人間だと思うが、仕方のないことなのだ。
 ちなみに僕のバンドのドラムことマサムくんは、なにかうれしいことがあったときに「うれピーマンの肉詰め」と言う。うれしいときは「うれピーマン」で、更にうれしい場合には「うれピーマンの肉詰め」となるらしい。僕としてはピーマンとハンバーグを別々に食べられることこそが「うれピーマンの肉詰め」なのだが、それをわかった上でピーマンの肉詰めを出してくれる素敵な女性と結婚できたら、それはきっと「うれピーマンの肉詰め〜季節の野菜と丸二日煮込んだ特上グレービーソースを添えて〜」だろう。

www.youtube.com

アイスキャンデーの夏

 「夏だし、なんかそれっぽいことでもするか」と思って、コンビニでガリガリくんを買って食べた。日差しが強く、とても蒸している日だった。ユニクロ松本大洋シャツと短パンに身を包み、買ったばかりのハンドスピナー(300円)を回しながら、コンビニまで駆けていった。気分はすでに小学三年生に戻っていた。
 小三の頃の夏といえば、クーラーを効かせた涼しい部屋でラチェットアンドクランクをやったり、コロコロコミックを読んだり、わざわざ外でポケモンの対戦をしたり、デュエマをやったり、はたまたブランコに乗って、どちらが遠くまで靴を投げ飛ばせることができるか競い合ったり、延々とやっていたものだ。小学校のベンチでデュエマの対戦をした後、デッキをそこら辺に置いたまま、辺りを駆け回っていたら、デッキを丸々盗まれていたことも、鮮明に覚えている。あの時の絶望に比べたら、今の悩みなど大したことはない。
 二十二歳になった今、スライス・ピザだとか、アメリカ映画に出てくるようなパンチ・ジュースだとか、クリーム・ソーダとか、あざといものに惹かれ、あこがれ、それをつらつらと書き連ねたりしているが、このあこがれ症とでもいうような性格は昔から変わっておらず、小学生時代にもたくさんあこがれているものがあった。いや、昔の方がいろんなものにあこがれていた。歳を取るにつれ、そのあこがれが段々と生活に馴染んできたり、実現できたりするからだ。
 小学生時代、あこがれていたものの一つとして、「アイスキャンデー」があった。あくまで、アイスキャンディーではなく、アイスキャンデーである。キャンディーではなくキャンデーと表記するその感じに、大正、明治辺りの日本っぽい、気持ちよさとかっこよさがあって、幼心にとても惹かれたのを覚えている。調べてみると、アイスキャンディーの誕生は、1905年に、サンフランシスコの11歳の少年フランクくんが、とある寒い日に、ジュースに混ぜ棒を挿したまま外に放置していたら、キャンディーのように固まっていたことからできたらしい。なんともうさんくさい、眉唾な話だが、まるで短編小説のように素敵な話だ。
 それに、あのフォルムもいい。色とりどりに着色された綺麗なアイスが、雑な木の棒に突き刺さっている感じ。以前、江國香織が「安っぽい色のものはみんな寛大だ。こんぺいとう、かき氷のシロップ、おもちゃの指輪。昔二十円で売っていた、にごったゼリーのような消しゴム。安っぽい色は、春に似ている」と言っていたが、アイスキャンデーもまさに同じだと思う。もしかしたら、夏にアイスキャンデーを食べたくなるのは、過ぎ去った春への郷愁に近い思いもあるのかもしれない。
 今でこそ、フルーツや野菜を丸ごと閉じ込めたような、見た目も新しく、かわいらしいアイスキャンディーが流行ったり、アイスキャンディーの再評価の流れがあるが、それまでアイスキャンディーはしばらく、日の目を見ていなかったと思う。それに、僕が求めているのはあくまで、あの”チープ”な”アイスキャンデー”である。一度、吉祥寺にあったパレタスというお店で、まるでラッシュの石鹸のような、お洒落でかわいらしいアイスキャンディーを食べたことがあったが、人気が出るのもわかる、と思ったのと同時に、僕が求めているのはこれではないな、と思った。
 昔は、氷旗を立てた移動式のクーラボックスを載せ、鐘を鳴らしながら自転車でやってくる「アイスキャンデー売り」がどこでも見られたらしい。僕も一度、温泉地で見かけたことがあるが、今ではもう滅多に目にしなくなった光景だ。これも、古い日本の風景というか、松本隆の歌詞世界のような、美しさがある。小学生時代、アイスキャンデーがどうしても食べたかった僕は、よくシャトレーゼという洋菓子屋さんで買ってきてもらっていた。それはソーダ味の水色が映えるアイスキャンデーで、僕のアイスキャンデー欲を満たすには十分なものだった。シャトレーゼにはよく、俗におっぱいアイスと呼ばれるようなゴム状の容れ物に入ったアイスや、メロン型の容れ物に入ったシャーベット状のアイスなど、昭和時代を思わせるようなアイスが売られていて、僕のような人間がワクワクするようなアイスがたくさんあった。ガリガリくんには、その子ども時代に持っていたあこがれの名残というか、思いのようなものがある。今でこそ、知覚過敏気味だったり、お腹を壊しやすくなったこともあって、昔ほど頻繁にガリガリくんを食べることはなくなってしまった。
 そんなことを考えていたら、自然とガリガリくんを手に取っていた。ガリガリくんを自分で買って食べることは、久しくなかった。あの印象的なパッケージはほとんど変わっていなくて、なつかしい気持ちになった。封を開けて、アイスをかじりながら、昔アイスキャンデーにあこがれていたことを思い返していた。
 しかし、食べているなかで、とてもショックなことがあった。ガリガリくんがどんどんと溶けてゆき、アイスを持っていた手に垂れていったのだ。これが、僕にはとてもショックだった。幼い頃は、どんなに暑い日でも、一滴も垂らすことなくガリガリくんを完食することができていたからだ。ガリガリくんは溶けて手に垂れるようなものではない、という意識が強くあったから、ダラダラと溶けていくガリガリくんを見るのが心苦しかった。急に加齢を感じた。それまで小三の気持ちでガリガリくんをかじっていたのに、急に小三のコスプレをしている二十二歳になってしまった。知覚過敏と胃腸を気にするがあまり、僕は豪快にガリガリくんをかじることができなくなっていたのだ。もはやそれは”ガリガリ”くんではなかった。
 それに、コンビニでガリガリくんを買ったとき、無意識に「梨味」を選んでいたことに気付き、ハッとした。小学生のときの僕があこがれていたのは、あのチープな水色が特徴的な「ソーダ味」のアイスキャンデーだったはずだ。「ガリガリくんといえば」の「ソーダ味」を選ばず、大人にも評価される味とクオリティの「梨味」を選んだことに、とても恥ずかしい気分になった。小学生時代の僕に見られていたら、ブン殴られていただろう。
 「お前はソーダ味を選ばず、梨味なぞという邪なものを選びやがって、これがもしガリガリくんリッチ黒みつきなこ味だったらお前は完全に終わっていたぞ」
 「そ、そんなこと言ったってガリガリくんリッチシリーズは、ガリガリくん本来のあのチープさを残しながら大人も満足できるような高いクオリティと、上品な味わい、そして時にはコーンポタージュ味やナポリタン味などのユニークで挑戦的な商品を発表し、ガリガリくんの世界観である『元気で、楽しく、くだらない』に基づいた素晴らしい商品なんだから仕方ないじゃないか......」
 「フッ......よくぞそれを言えた。私は貴様を試していたのだ。ガリガリくんリッチを食べたときのあの感動は、きっと子ども時代に感じていたものと同じだっただろう?梨味を選んだからって大人になった証ではない。ガリガリくんを一口、口にすれば誰だって”あの頃”の気持ちを取り戻すことができるのだ」
 「そ、そうだったのか......」
 「昨年、25年ぶりの値上げで70円になったものの、役員と社員が総出でそれを謝罪するという、赤城乳業の努力と誠実な対応をいつまでも見習うのだぞ!さらばだ!」

 赤城乳業さん、これでCMどうですか?

www.youtube.com

次やったら殴る

 こないだ、家の前にある長い直線の道を車で走っていたら、急に大きな破裂音が鳴り響き、目の前が大きな火花と煙に包まれた。自分でも何が起きたのかまったくわからなかったし、車が爆発したのかと思った。すぐに脇の道に逸れて車を停めた。その破裂音が鳴ったのは、前方から二人乗りをした男女の学生数人がやってきて、それとなく避けて通ったすぐ後だった。きっと、その学生が爆竹かなんかを車道に投げたのだろう。それが前輪に見事に着弾し、火花と煙が上がったというわけだ。

 「きっと学生が爆竹かなんかを車道に投げたのだろう」と書いたが、自分でもまったく意味がわからない。畑の作物が荒らされていて、「きっとイノシシかなんかが荒らしたんだろう」と言うのとはワケが違う。立派な犯罪行為である。

 実際、学生たちが爆竹を投げる瞬間を見たわけではなかった。「半袖の夏服を着て、二人乗りでこちらへやってくる男女の学生がこちらへ向かってくるなア、嗚呼、青春の1ページだなア」と思い、車内に流れるミツメのクラゲをのんきに口ずさみながら、それとなく右へ避け、通り過ぎたと思ったら、突如前輪で爆発し、火花と煙が起こった。何度もそのシーンを思い返したし、その上で今、文章にしているが、まったく意味がわからない。爆竹かどうかだったかさえ、わからない。ただ、明確なのは「大きな破裂音と共に、火花と煙が上がるもの」を投げつけられた、ということだけだ。

 あれは、一体なんだったのだろう。あのグループの内の一人が、たまたまポケットに爆竹を入れていて、「タバコでも吸うか」と思って火をつけたのが爆竹で、「うわっこれ爆竹じゃん」と思って放り投げたのが、たまたま僕の乗っていた車に着弾したのだろうか。まるで昭和のナンセンス・ギャグ漫画のようだが、それくらいのことじゃないと、説明がつかないくらい、意味がわからなかった。

 ブチ上がる心拍数を必死に抑えながら、妹に事の顛末を話すと「お前、”やった”な?」と疑われた。普段から適当なことしか言っていなかったので、この話もすべて作り話だと思われてしまったのだ。このブログでも、「ライブハウスのリハで『ツェー』と言いたすぎてそれしか言えなくなってしまった男」とか、「数百人の鬼ギャルがライブハウスのフロアを埋め尽くしていた話」とか意味不明な、適当なことばかり言ってるから、きっと信じてくれないかもしれないが、本当にすべて嘘偽りなく本当の話だ。「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、まさか学生に爆竹を投げつけられる日が来るとは思っていなかった。

 あれから、爆竹事件を何度も振り返るうちに、一つ気づいたことがあった。その日はちょうど七月十三日で、迎え火の日だったのだ。地域によっては違うのかもしれないが、東京の田舎にある僕の街では、七月十三日、お盆になると家の門口にあたる場所で麦藁なんかを焼いて、先祖の霊を迎え入れるのだ。その時も、ちょうど夕刻だったこともあって、車に乗りながら、いろんな家で野火を焚き、消している姿が見られた。

 そう考えると、彼らがやっていたのは、”迎え火”だったのではないだろうか。先祖を迎え入れるために、彼らは爆竹に火をつけ、霊界からも見えやすい車道に放り投げたのだ。現代では、火災などの原因になったり、集合住宅地ではトラブルを呼んだりすることから、提灯に灯をつけるだけだったり、装飾のみで迎え火とするパターンも多いらしい。彼らの爆竹に火をつけるという行為は、そういった現代的な感覚の迎え火だったのかもしれない。そう考えると、ちょっとロマンチックなものに思えてくるし、ある種根拠のあるものに見えてくる。

 そう思えるのも、学生たちの見た目がいわゆるなヤンキー、不良じゃなくて、青春を謳歌していそうな男女だったのも起因している。まるで、YOUR ROMANCEの「Kids」のビデオで発煙筒を持ちながら、二人乗りをしている彼らのような感じで、前方からやってきたのだ。少し前に「そうして私たちはプールに金魚を、」という映画があったが、それと同じような純粋な感覚で、あの二人乗りの後ろに乗っていた女の子が「ねえ、爆竹を街にバラまいてさ、それで迎え火をしようよ。そしたら幽霊たちも気づくはずだよ」なんて言って、あの行動に出たに違いない。

 ここまで書いて、「ああ、なんて純粋でロマンチックな子たちなんだ......ウーン、アッパレ!」と一瞬思ってしまったが、やっぱり冷静に考えてもまったく意味がわからないし、「おーい磯野!爆竹をバラまいて迎え火しようぜ!」なんてことが許されていいはずがない。社会は怖いのだ。それに、僕は学生時代に女の子と二人乗りをしたこともなかったので、余計に腹が立ってきた。ロマンチックだとか、青春だとか、迎え火だとか、そんなものはどうでもいい。次やったら殴る、そう俺は今心に硬く決めた。だから、次そういうことがあった場合、必然的に殴ることになると思うけど、それは別に不自然なことなんかじゃないはずだ。

 まあ今回は特別にやめとくけども。

www.youtube.com