百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

まともがわからない

7月10日 魔

 電車のなかでOL二人組の会話が耳に入る。

「魔ってさすよね~」

「あー、さすさす」

7月13日 ガリガリくん

 ガリガリくんを口にふくんだまま、仰向けになり、手を使わずに何分で食べられるか挑戦してみる。

 結果、1時間27分33秒で食べ切る。

7月16日 デブ

 何も食べていないのに300グラム太る。

7月22日 飲み会

 久々に会った友達と居酒屋へ。

 フライドポテトを注文したあと、何も言われていないのに「飲み会でフライドポテトを注文することが、世の中的にあまりよくないことであるのはわかっているし、その自意識はある」と弁解する。

 シューストリングタイプのフライドポテトだった。なんだかんだでみんな食べていた。

7月25日 人中汗

 「鼻の下に汗をかいてる女性はエロい」という話を延々と聞かされる。

 曖昧にうなずく。

8月2日 サンマルク

 ベトナム風コーヒーがめちゃめちゃうまいことを知る。

8月6日 カラコン

 久々に家族で食卓を囲む。

父「あ、この人カラコンじゃん」

妹「え、なんでわかんの」

父「当たり前じゃん。カラコン研究家だもん」

 喋ってないのと同じくらい適当なことしか言わない父に、血の濃さを感じる。

8月8日 火野

 友達のモテ話に「昭和の火野正平じゃん」とつっこむが、後になってそれはただの火野正平であることに気づく。

8月10日 寿司

 注文がすべて手元のタッチパネルでおこなえる回転寿司屋へ。

 いつもは恥ずかしくて注文できない「炙りサーモンマヨ」を、試しに六つ頼んでみる。

 数分後、奥のレーンから六つの「炙りサーモンマヨ」が迫ってくる。壮観だった。

 食べてる途中で飽きて、隣にいた人に二貫わたす。

8月12日 田中

 朝起きると、留守番電話が入っていた。

 「......もしもし?田中さん?あの~、あれ......。さっきお宅行ったんだけど誰もいなくて、あれ、野菜玄関の前置いといたから、野菜、食べてねぇ~、そんじゃねぇ~」

 一応、玄関の前を確認する。野菜はなかった。

8月16日 スタバ

 気まぐれを起こして普段行かないスターバックスへ。チャイティーラテを注文する。

 カップの側面に「シャツにサイズのシールついてますよ」と書かれる。

 「今はあえて貼るのが流行っている」みたいな顔をしながら、カップの側面を手のひらで隠すようにして飲む。

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菊池亜希子的な、なにか

 こないだ出た、菊池亜希子の「好きよ、喫茶店」をぺらぺらめくっているうちに、ある人のことを思い出した。その人は、僕の三つ上で、大学を出た後に別の学校へ入って勉強をしている、小柄でショートカットの似合う女性だった。僕の働いていたドーナツ屋さんの先輩で、僕と同じ中学校を出ていたのと、好きなものが近かったのもあって、とてもよくしてもらっていた。とてもやさしい人で、でもそのやさしさにはちゃんとした強度があって、ただ甘やかすだけじゃなくて、ちゃんとした厳しさも持ち合わせた人だった。
 バイトに入って少ししたくらいのある日、出勤すると突然、「坂口健太郎、好きでしょ?」と言われた。特別好きなわけでもなかったが、僕はその時、人から「坂口健太郎に寄せてこい」と言われて、人生初のパーマをあてた後だったので、それを見透かされた気がして、思わず足が震えた。「い、いや、別に普通です......」というと、その人は「ふーん、私は柳くんの方が好きだけど」と言った。どきどきしながら更衣室に入って、着替えていると、目の前の姿見に映る自分が、目に入った。そこに映っていたのは、坂口健太郎とはほど遠い自分で、思わず笑った。天性のストレートヘアーによって、パーマはすぐに落ちてしまった。今でこそ、国民的な人気がある坂口健太郎だが、当時はモデルから俳優に歩を進める最初の時期で、今ほどの人気はなかった。だからこそ、「坂口健太郎、好きでしょ?」の一言によりどきっとした。
 その先輩が敬愛していたのが、菊池亜希子だった。常に短く切られた髪と、パンツルックで、ボーイッシュはボーイッシュでも、菊池亜希子的なボーイッシュさが漂う、誰が見てもおしゃれな人だった。女の子よりも、男の子の服装を参考にしているそうで、読み終わったメンズファッジを大量にくれたり、菊池亜希子のマッシュをよく貸してもらったりしていた。マッシュを読んでいるうちに、菊池亜希子の強さを改めて思い知らされた。その人の影響で、僕も菊池亜希子がより好きになった。
 たまにバイト先の人たちで飲みに行ったときも、ずっとその人の横にいた。その人は僕とは違ってアクティブで、何事にもはっきりとした意思を持っていて、そういうところにとてもあこがれた。先輩もまた、自分とはまったく違うような僕のことを、とても面白がってくれた。「最近、ようやく松屋に一人で入れるようになりました」と告げると、「本当!良かったじゃん!次は吉野家だね」と笑いながら言った。
 先輩と僕は、共にちょうど年度末でバイトをやめることになっていた。僕よりもずっと長い間働いていた先輩は、それを寂しそうにしていて「やめたくないなあ」とこぼしていた。先輩はバイトをやめた後、都内で一人暮らしするとのことで、僕はバイトをやめることよりも、その先輩に会えなくなるのがなんとなく寂しかった。年度末に近づいた、冬のある日、バイト先の数人で飲み会が開かれることになった。飲み会といっても大したものではなく、仕事終わりになにを話すでもなく、一、二杯飲んで帰るだけの会だった。お酒を飲むことが目的ではなく、とりとめないことをだらだらと話しているだけだった。ハイボールを二杯飲んだだけの、ほろ酔いともつかないような状態で、会はいつものようにお開きになった。
 みんなで歩いて帰ってる途中、横にいた先輩が相変わらず「やめたくないなあ」とこぼしていた。その時、お互いに悩みを相談し合っていたので、僕もつられて、なんとなく「今から言葉を覚えて、フィンランドにでも行こうかと思ってるんです」と言うと、「え!それめちゃくちゃ良いじゃん!」と言われた。その目がとても真剣で、あしらわれると思っていた僕は「いや、冗談ですよ......行けたら素敵ですけどね」と言うと「え〜でも、それ良いと思うな。絶対行ったほうがいいよ。ていうか、行きな」と言われた。「冗談でしょ」「くだらないこと言うな」とか「現実見ろ」と言われると思っていた僕は、思わぬ返答にどきどきした。「こいつ、夢見がちだなとか思わないんですか?」と聞くと、「私、現実見ろとか人にまったく思わないから、私の言うことあんまり聞かないほうがいいよ、参考にならないから」と笑いながら言われた。そんな人に出会うのは、先輩が初めてだった。そしてそれが、とても眩しく見えた。つまらない冗談を言ってしまった自分が、とても恥ずかしくなった。
 思えば、その先輩だけではなく、僕が仲良くなる女の子は、なぜか菊池亜希子が好きだったり、影響を受けたりしている人が多い。女の子だけじゃなく、男でもだ。多いというか、ほとんどがそうである。そのことを不思議に思いながら、なんでだろうと思っていたが、今思えば、菊池亜希子が好きだと思うような感性を持っている人は、僕のようなよくわからないやつに優しく話しかけてくれたり、仲良くなってくれたりするような、やさしくて素敵な人が多いのだろう。
 思えば、これまでたくさんの「菊池亜希子的な、なにか」に救われてきた。そして、きっとそれはこれからも変わらないのだろう。

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ピーマンの肉詰め

 「ピーマンの肉詰め」が嫌いである。ピーマンの肉詰めとは、その名の通り、半分に切ったピーマンにひき肉を詰めて焼いたアレである。誰もが一度は口にしたことがあるだろう。うちの家庭では、このピーマンの肉詰めが食卓に上ることが稀にあるのだが、食卓について、あの印象的なフォルムが目に入ると、心の中で「ピーマンの肉詰めか......」と思ってしまう。
 こういう話になると、必ず「どうせピーマンが嫌いなんでしょ」と思われてしまいがちだが、別に、子どもから忌み嫌われている野菜一位であるピーマンが嫌いなわけではない。中に詰められているハンバーグが嫌いなわけでもない。むしろ、どちらも食べ物の中では好きな方に入るのだが、それを掛け合わせることが、僕には理解できない。ピーマンとハンバーグを合体させるくらいなら、別々に食べたほうがいいと思ってしまうのだ。だから、単体のハンバーグと、ピーマンの煮浸しが出てきたら、とてもうれしい。煮浸しは作るのに手間がかかるというのなら、醤油で焼いただけのものでもいい。なんなら、生で食べてもいい。いや、やっぱり生はさすがにないが、ピーマンとハンバーグを掛け合わせることに対するメリットを、僕は感じることができないのである。
 こうなったのも、最初からというわけではない。よくピーマンの肉詰めは、野菜嫌いの子どもにピーマンを食べさせるためのアイデアとして作られることが多いらしいが、僕が子どものときは特に抵抗なくピーマンの肉詰めを食べていた。その時はピーマンとハンバーグを別で食べたいとも思っていなかった。それがいつしか「あれ、なんでピーマンとハンバーグを合体させる必要があるんだ?」と、段々その存在自体が懐疑的になってゆき、気づいたときには「ピーマンの肉詰めアンチ」になっていたのだった。
 そのことを、母親に伝えるようになったのは、最近の話ではない。以前から、何度も何度も「頼むから、ピーマンとハンバーグを分けてほしい」と懇願しているのにも関わらず、母はまるでその言葉を一度も耳にしていないかのように、平然と「ピーマンの肉詰め」を食卓に出してくる。その度に「ピーマンとハンバーグは絶対分けたほうがおいしいって!」と熱弁するのだが、「だって、ピーマンたくさんあるんだもん」とまったく意に介していない。「そうじゃなくて、ピーマンはピーマンで食べたいんだって!」と言い返すと、横にいた妹から「理屈っぽい男はモテないよ〜」と言われる。そうして僕は、喉につまった言葉をぐっと飲み込み、ようやく諦めて、ピーマンの肉詰めを一つ口に運ぶのである。
 もちろん、実家暮らしで、ご飯を作ってもらっている身として、出されたものに文句を言えた義理ではない。そんなことはとっくのとうに承知している。だけど、これは”文句”ではない。”提案”である。きっと、僕が子どものときは、どこの家庭でもそうだったように、子どもにピーマンを食べさせるために作られていたに違いない。だからこそ、ピーマンの肉詰めが食卓に上るのはとても自然なことだったし、それについて誰も苦言を呈する人はいなかった。しかし、ピーマンも普通に食べられる上、特にピーマンの肉詰めが好きで好きで仕方ないというわけでもない(母も妹も)今、ピーマンに肉を詰めて焼くべき理由が、一つもないのである。
 きっと、この日本という国ではこのピーマンの肉詰めのように、合理性よりも優先されるべきものがたくさんあって、それが様々な諸悪の根源になっているに違いない。だけど、ピーマンの肉詰めそのものがこの世から消え去ってもいいかというと、そうでもない。そもそも、僕はカフェオレボウルだったり、純文学だったり、きれいな石やどっかの国の砂漠の砂など、非合理的なものや、直接役に立たないもの、生活する上であまり必要のないものが好きなのに、ピーマンの肉詰めを否定するのは、間違っている気がする。
 それなのに、なんでそんなにピーマンの肉詰めが嫌なんだろうと振り返ってみると、それはハンバーグが昔から好きだったからであることに気づいた。僕の中でハンバーグという料理は、完璧なもので、なにをも付け入る隙のない、強度の高い食べ物だったのだ。だからこそ、ハンバーグとピーマンを組み合わせるのは、お互いの良さを消しあっているようにしか思えなかったのだ。僕は乃木坂46向井秀徳も大好きだが、乃木坂46向井秀徳が加入したら話は違ってくる(それはそれで見てみたいけど)。それとまったく同じである。
 それに、わざわざこうやってピーマンの肉詰めに対して一家言持っているのは、僕というのはこういう人間だということを、人にわかってほしいという面もあるのかもしれない。もし、将来誰かと結婚したとしても、ピーマンの肉詰めが嫌いだから、絶対食卓に出さないでくれ、と言うことはない。食卓に上ったピーマンの肉詰めに対して「ピーマンの肉詰めか......」と思いながら、渋々、口に入れたい。僕がピーマンとハンバーグを別々にして食べたい人間であるということをわかりながら、ピーマンの肉詰めを出されたいのである。なんというか、それはお互いがお互いとしてフラットで、良い関係のように思うし、ひき肉をピーマンに詰めている姿には、誰が作ったって「相手に対する思いやり」が込められているように思うからだ。それはハンバーグとピーマンを別々にしたときには生まれない、あたたかさのようなものがあると思う。一口大の大きさは食べやすいように。野菜も一緒に食べられることから、栄養面も考えられており、作るのに手間もかかる。バファリンはその半分がやさしさでできていると言うが、それと同じでピーマンに詰まっているのは肉ではなくて、思いやりなのである。だから、正確に言えば、僕は「ハンバーグとピーマンを別々に食べたい」のではなく、「ハンバーグとピーマンを別々に食べたいと思いながらも、渋々ピーマンの肉詰めを食べたい」のである。自分でもめんどくさい人間だと思うが、仕方のないことなのだ。
 ちなみに僕のバンドのドラムことマサムくんは、なにかうれしいことがあったときに「うれピーマンの肉詰め」と言う。うれしいときは「うれピーマン」で、更にうれしい場合には「うれピーマンの肉詰め」となるらしい。僕としてはピーマンとハンバーグを別々に食べられることこそが「うれピーマンの肉詰め」なのだが、それをわかった上でピーマンの肉詰めを出してくれる素敵な女性と結婚できたら、それはきっと「うれピーマンの肉詰め〜季節の野菜と丸二日煮込んだ特上グレービーソースを添えて〜」だろう。

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アイスキャンデーの夏

 「夏だし、なんかそれっぽいことでもするか」と思って、コンビニでガリガリくんを買って食べた。日差しが強く、とても蒸している日だった。ユニクロ松本大洋シャツと短パンに身を包み、買ったばかりのハンドスピナー(300円)を回しながら、コンビニまで駆けていった。気分はすでに小学三年生に戻っていた。
 小三の頃の夏といえば、クーラーを効かせた涼しい部屋でラチェットアンドクランクをやったり、コロコロコミックを読んだり、わざわざ外でポケモンの対戦をしたり、デュエマをやったり、はたまたブランコに乗って、どちらが遠くまで靴を投げ飛ばせることができるか競い合ったり、延々とやっていたものだ。小学校のベンチでデュエマの対戦をした後、デッキをそこら辺に置いたまま、辺りを駆け回っていたら、デッキを丸々盗まれていたことも、鮮明に覚えている。あの時の絶望に比べたら、今の悩みなど大したことはない。
 二十二歳になった今、スライス・ピザだとか、アメリカ映画に出てくるようなパンチ・ジュースだとか、クリーム・ソーダとか、あざといものに惹かれ、あこがれ、それをつらつらと書き連ねたりしているが、このあこがれ症とでもいうような性格は昔から変わっておらず、小学生時代にもたくさんあこがれているものがあった。いや、昔の方がいろんなものにあこがれていた。歳を取るにつれ、そのあこがれが段々と生活に馴染んできたり、実現できたりするからだ。
 小学生時代、あこがれていたものの一つとして、「アイスキャンデー」があった。あくまで、アイスキャンディーではなく、アイスキャンデーである。キャンディーではなくキャンデーと表記するその感じに、大正、明治辺りの日本っぽい、気持ちよさとかっこよさがあって、幼心にとても惹かれたのを覚えている。調べてみると、アイスキャンディーの誕生は、1905年に、サンフランシスコの11歳の少年フランクくんが、とある寒い日に、ジュースに混ぜ棒を挿したまま外に放置していたら、キャンディーのように固まっていたことからできたらしい。なんともうさんくさい、眉唾な話だが、まるで短編小説のように素敵な話だ。
 それに、あのフォルムもいい。色とりどりに着色された綺麗なアイスが、雑な木の棒に突き刺さっている感じ。以前、江國香織が「安っぽい色のものはみんな寛大だ。こんぺいとう、かき氷のシロップ、おもちゃの指輪。昔二十円で売っていた、にごったゼリーのような消しゴム。安っぽい色は、春に似ている」と言っていたが、アイスキャンデーもまさに同じだと思う。もしかしたら、夏にアイスキャンデーを食べたくなるのは、過ぎ去った春への郷愁に近い思いもあるのかもしれない。
 今でこそ、フルーツや野菜を丸ごと閉じ込めたような、見た目も新しく、かわいらしいアイスキャンディーが流行ったり、アイスキャンディーの再評価の流れがあるが、それまでアイスキャンディーはしばらく、日の目を見ていなかったと思う。それに、僕が求めているのはあくまで、あの”チープ”な”アイスキャンデー”である。一度、吉祥寺にあったパレタスというお店で、まるでラッシュの石鹸のような、お洒落でかわいらしいアイスキャンディーを食べたことがあったが、人気が出るのもわかる、と思ったのと同時に、僕が求めているのはこれではないな、と思った。
 昔は、氷旗を立てた移動式のクーラボックスを載せ、鐘を鳴らしながら自転車でやってくる「アイスキャンデー売り」がどこでも見られたらしい。僕も一度、温泉地で見かけたことがあるが、今ではもう滅多に目にしなくなった光景だ。これも、古い日本の風景というか、松本隆の歌詞世界のような、美しさがある。小学生時代、アイスキャンデーがどうしても食べたかった僕は、よくシャトレーゼという洋菓子屋さんで買ってきてもらっていた。それはソーダ味の水色が映えるアイスキャンデーで、僕のアイスキャンデー欲を満たすには十分なものだった。シャトレーゼにはよく、俗におっぱいアイスと呼ばれるようなゴム状の容れ物に入ったアイスや、メロン型の容れ物に入ったシャーベット状のアイスなど、昭和時代を思わせるようなアイスが売られていて、僕のような人間がワクワクするようなアイスがたくさんあった。ガリガリくんには、その子ども時代に持っていたあこがれの名残というか、思いのようなものがある。今でこそ、知覚過敏気味だったり、お腹を壊しやすくなったこともあって、昔ほど頻繁にガリガリくんを食べることはなくなってしまった。
 そんなことを考えていたら、自然とガリガリくんを手に取っていた。ガリガリくんを自分で買って食べることは、久しくなかった。あの印象的なパッケージはほとんど変わっていなくて、なつかしい気持ちになった。封を開けて、アイスをかじりながら、昔アイスキャンデーにあこがれていたことを思い返していた。
 しかし、食べているなかで、とてもショックなことがあった。ガリガリくんがどんどんと溶けてゆき、アイスを持っていた手に垂れていったのだ。これが、僕にはとてもショックだった。幼い頃は、どんなに暑い日でも、一滴も垂らすことなくガリガリくんを完食することができていたからだ。ガリガリくんは溶けて手に垂れるようなものではない、という意識が強くあったから、ダラダラと溶けていくガリガリくんを見るのが心苦しかった。急に加齢を感じた。それまで小三の気持ちでガリガリくんをかじっていたのに、急に小三のコスプレをしている二十二歳になってしまった。知覚過敏と胃腸を気にするがあまり、僕は豪快にガリガリくんをかじることができなくなっていたのだ。もはやそれは”ガリガリ”くんではなかった。
 それに、コンビニでガリガリくんを買ったとき、無意識に「梨味」を選んでいたことに気付き、ハッとした。小学生のときの僕があこがれていたのは、あのチープな水色が特徴的な「ソーダ味」のアイスキャンデーだったはずだ。「ガリガリくんといえば」の「ソーダ味」を選ばず、大人にも評価される味とクオリティの「梨味」を選んだことに、とても恥ずかしい気分になった。小学生時代の僕に見られていたら、ブン殴られていただろう。
 「お前はソーダ味を選ばず、梨味なぞという邪なものを選びやがって、これがもしガリガリくんリッチ黒みつきなこ味だったらお前は完全に終わっていたぞ」
 「そ、そんなこと言ったってガリガリくんリッチシリーズは、ガリガリくん本来のあのチープさを残しながら大人も満足できるような高いクオリティと、上品な味わい、そして時にはコーンポタージュ味やナポリタン味などのユニークで挑戦的な商品を発表し、ガリガリくんの世界観である『元気で、楽しく、くだらない』に基づいた素晴らしい商品なんだから仕方ないじゃないか......」
 「フッ......よくぞそれを言えた。私は貴様を試していたのだ。ガリガリくんリッチを食べたときのあの感動は、きっと子ども時代に感じていたものと同じだっただろう?梨味を選んだからって大人になった証ではない。ガリガリくんを一口、口にすれば誰だって”あの頃”の気持ちを取り戻すことができるのだ」
 「そ、そうだったのか......」
 「昨年、25年ぶりの値上げで70円になったものの、役員と社員が総出でそれを謝罪するという、赤城乳業の努力と誠実な対応をいつまでも見習うのだぞ!さらばだ!」

 赤城乳業さん、これでCMどうですか?

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次やったら殴る

 こないだ、家の前にある長い直線の道を車で走っていたら、急に大きな破裂音が鳴り響き、目の前が大きな火花と煙に包まれた。自分でも何が起きたのかまったくわからなかったし、車が爆発したのかと思った。すぐに脇の道に逸れて車を停めた。その破裂音が鳴ったのは、前方から二人乗りをした男女の学生数人がやってきて、それとなく避けて通ったすぐ後だった。きっと、その学生が爆竹かなんかを車道に投げたのだろう。それが前輪に見事に着弾し、火花と煙が上がったというわけだ。

 「きっと学生が爆竹かなんかを車道に投げたのだろう」と書いたが、自分でもまったく意味がわからない。畑の作物が荒らされていて、「きっとイノシシかなんかが荒らしたんだろう」と言うのとはワケが違う。立派な犯罪行為である。

 実際、学生たちが爆竹を投げる瞬間を見たわけではなかった。「半袖の夏服を着て、二人乗りでこちらへやってくる男女の学生がこちらへ向かってくるなア、嗚呼、青春の1ページだなア」と思い、車内に流れるミツメのクラゲをのんきに口ずさみながら、それとなく右へ避け、通り過ぎたと思ったら、突如前輪で爆発し、火花と煙が起こった。何度もそのシーンを思い返したし、その上で今、文章にしているが、まったく意味がわからない。爆竹かどうかだったかさえ、わからない。ただ、明確なのは「大きな破裂音と共に、火花と煙が上がるもの」を投げつけられた、ということだけだ。

 あれは、一体なんだったのだろう。あのグループの内の一人が、たまたまポケットに爆竹を入れていて、「タバコでも吸うか」と思って火をつけたのが爆竹で、「うわっこれ爆竹じゃん」と思って放り投げたのが、たまたま僕の乗っていた車に着弾したのだろうか。まるで昭和のナンセンス・ギャグ漫画のようだが、それくらいのことじゃないと、説明がつかないくらい、意味がわからなかった。

 ブチ上がる心拍数を必死に抑えながら、妹に事の顛末を話すと「お前、”やった”な?」と疑われた。普段から適当なことしか言っていなかったので、この話もすべて作り話だと思われてしまったのだ。このブログでも、「ライブハウスのリハで『ツェー』と言いたすぎてそれしか言えなくなってしまった男」とか、「数百人の鬼ギャルがライブハウスのフロアを埋め尽くしていた話」とか意味不明な、適当なことばかり言ってるから、きっと信じてくれないかもしれないが、本当にすべて嘘偽りなく本当の話だ。「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、まさか学生に爆竹を投げつけられる日が来るとは思っていなかった。

 あれから、爆竹事件を何度も振り返るうちに、一つ気づいたことがあった。その日はちょうど七月十三日で、迎え火の日だったのだ。地域によっては違うのかもしれないが、東京の田舎にある僕の街では、七月十三日、お盆になると家の門口にあたる場所で麦藁なんかを焼いて、先祖の霊を迎え入れるのだ。その時も、ちょうど夕刻だったこともあって、車に乗りながら、いろんな家で野火を焚き、消している姿が見られた。

 そう考えると、彼らがやっていたのは、”迎え火”だったのではないだろうか。先祖を迎え入れるために、彼らは爆竹に火をつけ、霊界からも見えやすい車道に放り投げたのだ。現代では、火災などの原因になったり、集合住宅地ではトラブルを呼んだりすることから、提灯に灯をつけるだけだったり、装飾のみで迎え火とするパターンも多いらしい。彼らの爆竹に火をつけるという行為は、そういった現代的な感覚の迎え火だったのかもしれない。そう考えると、ちょっとロマンチックなものに思えてくるし、ある種根拠のあるものに見えてくる。

 そう思えるのも、学生たちの見た目がいわゆるなヤンキー、不良じゃなくて、青春を謳歌していそうな男女だったのも起因している。まるで、YOUR ROMANCEの「Kids」のビデオで発煙筒を持ちながら、二人乗りをしている彼らのような感じで、前方からやってきたのだ。少し前に「そうして私たちはプールに金魚を、」という映画があったが、それと同じような純粋な感覚で、あの二人乗りの後ろに乗っていた女の子が「ねえ、爆竹を街にバラまいてさ、それで迎え火をしようよ。そしたら幽霊たちも気づくはずだよ」なんて言って、あの行動に出たに違いない。

 ここまで書いて、「ああ、なんて純粋でロマンチックな子たちなんだ......ウーン、アッパレ!」と一瞬思ってしまったが、やっぱり冷静に考えてもまったく意味がわからないし、「おーい磯野!爆竹をバラまいて迎え火しようぜ!」なんてことが許されていいはずがない。社会は怖いのだ。それに、僕は学生時代に女の子と二人乗りをしたこともなかったので、余計に腹が立ってきた。ロマンチックだとか、青春だとか、迎え火だとか、そんなものはどうでもいい。次やったら殴る、そう俺は今心に硬く決めた。だから、次そういうことがあった場合、必然的に殴ることになると思うけど、それは別に不自然なことなんかじゃないはずだ。

 まあ今回は特別にやめとくけども。

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ぼくのステディ

 恋人のことをステディと呼ぶアレ、どこかまぬけというか気が抜けているような気がして、いいなと思う。彼女とか、恋人とかよりも、ステディは日本人的な感覚として、敷居が低いような気がする。なぜなら、僕のような人間は、彼女のことを彼女と呼ぶことができないから。「いやあ、こないだ彼女がさあ~」と僕が言ったところで、「こんなやつに”彼女”なんているのか?」という疑問符が生まれるというか、お付き合いしている異性のことを”彼女”と呼ぶのは、どこか敷居が高い気がしてしまう。それが”カノジョ”(語尾が上がる感じで)だったり、”元カノ”だったりすると、余計に思う。

 だからといって、「いやあ、恋人がさあ~」って言うと、「一般的な”彼女”という呼称ではなく、ちょっと角度をつけた恋人と呼ぶことによって、関係性の特別さを提示してこようと思ってんのか?」と思われているんじゃないか、と思う。”相方”って呼ぶのも、「彼氏彼女みたいな俗っぽい関係じゃなく、もうそこを飛び越えた特別な関係」を示そうとしている感じがしてしまって、言えない。”好きな人”とかだと、「ぶってる感」が出るというか、「いや、付き合っているのに”好きな人”ってなんやねん」と思ってしまう。ここまで言うと、そうやって呼んでいる人たちをディスっているような形になっているが、あくまで僕が発言した場合であって、僕の雰囲気や性格的に、これらを呼称するのは、どうも憚られるところがある。

 だからこそ、”ステディ”はなんか響きが間抜けでいい。80年代のトレンディドラマ感というか、景気のいい感じがする。それに、「いやあ、こないだステディがさあ~」って話を切り出せば、途端に呼び方のクセを突っ込まれて、付き合っている人の話をしようとする恥ずかしさが、中和される気がする。全部が冗談じみて聞こえるというか、そんな作用がある。”元カノ”じゃなくて、元ステディ、元ステなんていう呼び方をすれば、俗っぽさもないし、別れていることに対する侘しさのようなものも、薄れる。

 ただ、問題なのはステディ=恋人であるという言葉があまり認知されていないのと、なんの脈絡もなく「ステディがさあ~」と話し出したところで、まったく伝わらないというところだ。一人称は、僕、俺、私、ウチ、ワシ、小生など、性格やキャラクターに合わせて様々な呼び方が用意されているのにも関わらず、付き合っている女性のことは”彼女”か”恋人”くらいしかない、というのは誠に由々しき問題である。カノジョとか、恋人だとかって呼んでいいのは一部の許された人間だけだ。僕はその権利のようなものを持っていない。

 だが、ここまで書いてきて、一番重要なことに気づいた。それは仮にステディができたとしても、自分から人に付き合っている人のことを話すなんてことは、ほとんど無いに等しいということだ。他人にのろけても自慢になってしまうし、愚痴を言っても仕方がないと思ってしまうし、ステディができたとて、「いやあ、こないだステディがさあ~」なんて切り出すことは、僕にはなかったのだ。

 ちなみに、オードリーの春日さんは、数年に渡って、一緒に温泉旅行に行ったり、鎌倉にデートしに行ったりしている女性がいて、それを何度もラジオで語っているにも関わらず、ずっと「狙っている人」と呼んでいる。そして、それを「モテたいから『狙っている人』って呼ぶことで、まだ誰のものでもないってことをアピールしたいんだろ」って若林さんに突っ込まれていた。

 だけど、「狙っている人」という呼び方は、案外、正解かもしれない。結婚というのは社会的な制度だし、ちゃんとした契約のもとに成り立っている関係だが、”付き合っている人”というのは、あくまで口約束に過ぎない。そう考えると、彼女も恋人も「狙っている人」も全部同じなのかもしれない。それに、恋愛は「付き合うまでが一番たのしい」とよく言うが、「狙っている人」という名前で呼び合うことで、その楽しさをずっと持続できるのかもしれない。彼女や恋人になってしまえば、そこがどうしても”一つの”ピークになってしまうからだ。

 だから、これから好意を寄せている異性のことを、「狙っている人」と呼ぶことにした。これによって、僕の長年の悩みがようやく解決した。あとは、今のところそう呼べる人が、一人もいないということだけが、僕に残された問題である。

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変なおっさん

 二十二歳にもなると、近所の公園で遊ぶとか、外で元気にはしゃぐ、みたいなことが無くなってしまった。今でこそ、なるべく直射日光と人の目を避け、ハイパーインドア人間として生活している僕だが、幼い頃は毎日のように、外を元気に駆け回っていた。僕の通っていた小学校は敷地がとても広く、ちょっとしたアスレチックがあったり、ブランコやうんてい、鉄棒なんかがあって、公園のような作りになっていた。学校がある日もない日も、いつも学校に集まって、鬼ごっこをしたり、ブランコに乗って勢いよく靴を飛ばして、誰が一番遠くまで飛ばせたか競い合ったり、低い山のようになっている坂の部分を、ダンボールを下敷きに滑走したりしていた。

 特にそのときはブランコが流行っていて、靴飛ばしの他にも、勢いよく漕いで、そのまま大車輪のように一周しようとする者が現れたり、遠心力を使ってそのまま勢いよくジャンプして地面に着地したりする者が現れたり、小学生らしい乱暴な使い方をされていた。僕はバカだったので、ブランコに座り、そのまま横にグルグルと回転し、ギリギリまでブランコを繋いでいる二本の鎖を巻き付けてから足を離し、勢いよく回転するという遊びをずっと繰り返していた。きっと、誰もが一度はやったことがあるだろう。グルグルグルグルグルッ!という激しい回転からの、戻った衝撃で「ウッッッ!」ってなるあの遊び。ひどいときは友達とブランコをすべて占拠して、一斉にグルグルグルグルッ!ウッッッ!を繰り返していた。今思えば何が楽しいのかまったくわからないし、異様な光景である。

 やがて、中学に進学し、高校へ進学し、年齢を重ねていき、いつしか公園に足を運ぶことは少なくなった。もちろん、井の頭公園や、葛西臨海公園みたいな都心の大型公園に行くことはあっても、近所のちょっとした遊び道具があるような公園で遊ぶなんてことは、ほぼ無い。それは、公園で遊びたいという欲求が薄くなったのもあるが、なにより大きいのは、二十二の男が公園にいることが許されていない、ということだ。恋人と深夜の公園で、ブランコに座ってアイス食べる、みたいな光景はロマンチックなものとして社会的に許されるかもしれないが、大学も出た良い大人が、ジャングルジムを駆け登ったり、川沿いの土手でダンボールに乗って滑走している光景は、どうしても異様なものとして映ってしまう。

 以前、歌人穂村弘がこんな話をしていた。

 僕が若かったころ、友達がこういう短歌を作った。「どこの子か知らぬ少女を肩に乗せ雪のはじめのひとひらを待つ」(萩原裕幸)。これは当時、叙情的でロマンチックないい歌だと、みんな思った。寡黙な青年が公園で知らない少女とコミュニケーションをとって、じゃあ肩車をしてあげるよと。で、肩車をしてあげて、雪がふりそうだなって思いながら、一緒にその最初の一片を待つというのは、すごくロマンチックだと、1980年代には思われた。ところが、今この短歌を発表したら、作中の〈私〉は不審者扱いですよ。どこの子かわからない子をいきなり肩車しちゃったら、それはもうNGですよね。つまり、1980年代から現在までの30年間で社会のOKのコードは激変したわけですよね

 社会の輪郭が縮小したことで、「日本狼も野良犬も変なおじさん」もいなくなってしまった。「どこの子か知らぬ少女を肩に乗せ」どころか、おじさんが平日の昼間に公園のベンチに座っているだけで、子連れのお母さん達から怪訝な目で見られてしまう。これは公園の話だけではなくて、短歌や詩、音楽のような表現の世界にも言えることで、昔より読者、消費者の意識が厳しくなったことで、お金さえ払えば一切の属性を問われないというような、絶対的な価値観が強く浸透しているという。

 本の献辞ってありますよね。『○○へ』とか。あれを本に入れたことがあって、そうしたら読者から「これは『○○へ』って書いてあるから、なんでこんな本をお金出してわたしが買わなきゃいけないんだ」っていう感想をもらったんです。その感覚って、昔はなかった。いまのお客さんって全能感が強くて、つまり極端なことをいうと、「○○へ」の「○○」に自分の名前がないと違和感を覚えてしまう

 これはどのジャンルにも言えることで、音楽においても、穂村弘の言う「ワンダー(驚異)」的な表現よりも、「シンパシー(共感)」が求められているのは、誰が見てもわかることだと思う。それが良い悪いという話ではなくて、自分も一人の消費者の立場として見たときに、「シンパシー(共感)」ばかり求めていっているんじゃないか、という怖さを感じることがある。わかるものばかり追い求めて、わからないものが現れたときにそれを排他してしまうのは、とても怖いことだ。

 自分の作ったものを「よくわからない」と言われることがたまにあって、その度に「そうかあ、でもそういうもんか」と思っていたのだが、逆に自分の作ったものを自分で説明してみろと言われても、大体の場合、よくわからない。でも、よくわからないけど、それを考えていく作業に意味があると思う。穂村弘が「良い表現というのは不可逆的なもの」だと言っていた。サラダのような、何を選んで、どういう風に調理したのかがすべてわかるような、本質的な変化のない表現はあまり良くなくて、同じ野菜でもたくあん的なものの方が良い。要は、良い表現というのはブラックボックスで、受け取った側も表現した側も、何が起きたのか説明できないもののほうが良い。はたして、自分が「たくあん的な表現」をちゃんとできているのか、と聞かれたら、自信満々に頷くことはできないし、何度もそのブラックボックスを通過できるのは才能のある人にしかできない所業なのだろうが、意識するようにしている。

 公園のブランコに乗って、グルグルグルグルッ!「ウッッッ!」の「ウッッッ!」の時に感じていた、あのよくわからない変な楽しさ。そんな感じの曲や文章が書けたらいいな。

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