百年日記帖

ukiyo girlというバンドの人の非商業的な日々 目指せ百年

追憶のクリスティーナ・リッチ

 人生で初めて女の子の部屋に入ったとき、本棚には村上春樹の『海辺のカフカ』やオーケンの小説が並べられてて、その隣には魚喃キリコ浅野いにおの漫画が全部あった。そばに立てかけられた、黒い安物のストラトキャスターにはアートスクールのステッカーがたくさん貼られていて、「ギター弾くんですね」って聞いたら、「もう弾いてないからほしいならあげるよ」と言った。その時、僕は高校一年生で、オーケンの小説も読んだことなければ、魚喃キリコ浅野いにおも知らなかった。ただ、装丁やタイトルから醸し出されるサブカル作品特有の、重たくていびつな圧というか、雰囲気のようなものに、ドキドキした。

 その部屋で、一緒にヴィンセント・ギャロの「バッファロー'66」を見た。その人が大好きな映画だと言うので、頑張って見ていたけど、まったく意味がわからなくて、ずっとクリスティーナ・リッチのおっぱいだけ見てた。クリスティーナ・リッチの着てる、あの変なドレスの印象的なパステル・ブルーの色と、食卓を囲むシーンで変なカメラワークしてたなってくらいしか覚えてなかったので、それから数年経って、一人で見直した時にこんな映画だったんだ、って初めて知った。

 ある日、その人に「これ全部聞いてきて」って言われてCDの束を渡された。ナンバガのベスト版やブッチャーズ、初期のアートスクールやノーベンバーズに混ざって、マイブラのラブレスが入ってた。ナンバガもブッチャーズもよくわかんなかったけど、マイブラだけ印象的に聞こえた。どうやって鳴らしてるのかわからない、変なギターの音だったからだ。よくわからなかったけど、そのよくわからなさが心地よくて、ずっとラブレスを聞いていた。ライドやジザメリ、スローダイブなど、他のシューゲイザーも聞いてみたけど、圧倒的にマイブラが好きだった。マイブラッディヴァレンタインは、その音楽的な良さとは別に、限られた人しか入ることができない部屋に入れてもらえる暗号のような、そんな虚栄的な気持ちよさもある。マイブラを知っている人と知らない人で、世界の見方がまるで変わってしまうような、そんな錯覚を起こさせるような感じが確かにあった。

 今思えば、15歳のいたいけな少年にヴィンセント・ギャロマイブラッディヴァレンタインを教えちゃだめでしょ、という感じだが、当時の僕の語彙力ではそれらへの理解がまったく追いつかなかった。一緒にシュルレアリスムアートの展示を見に森美術館へ行ったこともあったが、相変わらずよくわからなかった。服装もずっとダサかったし、強いサブカルになれなかった僕は、数ヶ月でフラれてしまった。その人にフラれてから、ようやくナンバガヴィンセント・ギャロの良さがわかるようになった。

 高校三年生のとき、マイブラッディヴァレンタインが日本で数年ぶりにライブをするというので、新木場のスタジオコーストに一人で見に行った。その時には、高校の軽音楽部でマイブラの紛いもんみたいな音楽をやっていたし、一年生の頃とは打って変わって、シューゲイザーにどっぷり浸かっていた。マイブラのライブは想像以上に圧倒的で、有名な「You Made Me Realize」の20分近いノイズパートは、あまりの音量に体がビリビリ震えて、薄い膜に包まれているような感覚になり、よく「胎内にいる感じ」がするというのはこういうことかと思った。入り口で耳栓をもらったが、一度もつけずに最後まで見た。

 ライブが終わり、フロアを後にしようとすると、遠くの方に、昔マイブラを教えてもらった、その人のような姿が見えた。もし、その人であったら、会うのはフラれて以来だった。あーあ、と思ったのと、ライブのあまりの爆音にふらふらになっていたのもあって、気まぐれで飲んだことのないビールでも飲んでみようかな、と思ったが、やめてジンジャーエールを頼んだ。海からの冷たい風が吹き抜ける2月の新木場を、ジンジャーエール飲みながら、一人で帰った。

 その時のことを、なんとなくTwitterでつぶやくと、とあるフォロワーさんからリプライが飛んできた。「ビール飲んでみようと思ったけど結局ジンジャーエールにした」という僕のツイートに対して、「それでいいんだよ」と、とある漫画を紹介してくれた。それは今日マチ子の「みかこさん」という作品の、とある一話だった。たった4ページほどの短い話だが、とても心に残った。「そうか、これでいいんだよな」と思った。

 フラれてすぐの時は、落ち込み過ぎて一週間くらい家から出れなかったし、いまだに、ライブを見に行ったりするとその人の顔があって、その度に落ち込んでいたが、今ではもう遠い記憶になった。あの頃を思い出そうと頑張っても、鮮明に残っているのは、もうクリスティーナ・リッチのおっぱいだけである。

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仁君ハバネロ

 幼い頃から、胃腸が弱い。昔から、ストレスや不安なことがあるとすぐにお腹が痛くなるし、精神的なところだけではなく、カフェインやカレーなどの刺激物をとっても、お腹にすぐ異変が現れる。いつも鞄には胃腸の動きをすぐに止められる薬が入っているのだが、それを飲むと、一時的には傷みはなくなるものの、動きを止めたことが悪影響となり、腸内環境がくずれる。踏んだり蹴ったりである。それでも、なんとか二十二年間、自分の内蔵と付き合い続けてきた。

 人間というのは不思議なもので、やめろと言われたらやりたくなるし、押すなと書かれたボタンがあったら押したくなってしまうものだ。胃腸が最弱であるにも関わらず、僕の好きなものはコーヒーやカレー、炭酸飲料など、刺激物ばかりである。辛い食べ物は特にダメで、口にすると絶対にお腹を壊すとわかりきっているのに、食べてしまう。お腹を壊すというところも含めて、どこか自傷的な気持ちよさがあるのかもしれない。辛いものには、そんな魅力がある。

 思い返してみると、僕が小学三年生の時に日本で起こった「第二次激辛ブーム」が、僕の辛い食べ物の原体験だったと思う。僕が生まれる一年前、1994年に「ハバネロ」という唐辛子が、”世界一辛い唐辛子”として、ギネス世界記録に申請された。それを受けて、2003年に日本の企業である東ハトという会社が発売したのが「暴君ハバネロ」というお菓子だ。この「暴君ハバネロ」が空前のブームを起こし、わずか一年間足らずの間に2000万袋を出荷したという。この時のことは、いまだに覚えている。「ハバネロ」という聞き慣れない名前と、”世界一辛い唐辛子”というキャッチに、とてもドキドキしたし、テレビでもやたらと騒がれていた。

 好奇心で「暴君ハバネロ」を買い、初めて口にした小学三年生の時は、あまりの辛さに衝撃を受けた。今まで口にした食べ物の、なによりも辛かった。辛いというより、もはや痛いというレベルで、氷で口を冷やしながら食べていたのを覚えている。そんな思い出もあり、「暴君ハバネロ」が起こした第二次激辛ブーム(第一次は1980年代に起きていたらしい)を直に受けた世代である僕は、”世界一辛い唐辛子”と言えば、ハバネロなのだ。しかし、唐辛子界隈というのは、2017年の現在、インフレを起こしまくっているらしく、かつては世界一辛かったはずのハバネロは、今ではもう大したことのないものらしい。

 辛さの数値のことを、スコヴィルという単位で表す。これはトウガラシ属の植物に含まれるカプサイシンの割合を示すもので、「辛みを感じなくなるまで砂糖水で薄めたとき希釈倍率」のことを言うそうだ。例えば、シシトウなら0スコヴィル、市販されている「タバスコ・ソース」ならば約4000スコヴィルほど。スコヴィルという威圧的な響きの単位と、4000という位の大きさに、想像よりも辛そうに思えてしまう。普通の唐辛子、鷹の爪は、50000スコヴィルで、おそらくこの辺りが人間がおいしく食べることのできる辛さの基準ラインであると思う。肝心のハバネロはいくつかというと、300000スコヴィル。鷹の爪の6倍ほどである。

 2007年に、ハバネロを超える辛さを持つブート・ジョロキアという唐辛子がギネスの世界記録に登録される。その値はなんと1000000スコヴィルハバネロの約三倍の辛さである。しかし、これを抜く唐辛子が現れた。それがトリニダードスコーピオン・ブッチ・テイラーである。スコヴィル値は1463700。トリニダードスコーピオン・ブッチ・テイラーという名前を耳にしても、とても食べ物の名前とは思えない。ヒールのプロレスラーか巨悪な武器の名前のようだ。トリニダードスコーピオン・ブッチ・テイラーは約三年間の間、世界一の座を守っていたが、それを越えたのが、2013年に登録されたキャロライナ・リーパーだ。そのスコヴィル値は、最も辛いもので、2200000。名前を和訳すると「キャロライナの死神」人間に食べさせようという気持ちが欠片もない、ネーミングである。実際に食べようとしても、防護服やゴーグルがないと調理できないほどで、調理しているだけで周辺にいる人間まで目が痛くなってくるという。海外では、これを食べて胃に穴が空いた、という人もいたり、唐辛子の辛さは、もう人間が食せないレベルにまで来ているのだ。

 こう見てゆくと、ハバネロの存在がかわいそうに思えてきた。僕が氷で口を冷やしながら、ヒーヒー言って食べていたハバネロは、2017年の現在、見向きもされていないのだ。クラスの中で自分が一番面白かったはずなのに、中学生に入るともっと面白いやつがいて、芸人を志して養成所に入ったら同期にダウンタウンや、オリエンタルラジオがいた、みたいな感じ。藤井聡太四段に負けた棋士達も、きっとこんな気持ちだったのだろう。「暴君ハバネロ」も、いつの間にか市場から姿を消し、あの黒と赤の印象的なパッケージをしばらく見ることはなかった。

 先日、コンビニへ入り、お菓子コーナーをうろついていると、見覚えのある”あの”キャラクターが目に入った。「暴君ハバネロ」が、復刻版の「帰ってきた暴君ハバネロ」として発売されていたのだ。懐かしい気持ちと、ハバネロに対する憐憫の思いもあり、僕はそれを手に取り、レジへ持っていった。家に帰り、袋を開けると、懐かしい唐辛子の刺激的な匂いがした。ドキドキしながらそれを口にすると、記憶よりも辛さが控えめに感じられた。おかしい、と思いながら食べ続けていても、10歳くらいの時に食べたような、氷で口を冷やさなければいけないほどの辛さが感じられない。むしろ、辛さよりも野菜や香辛料の旨味が強調されていて、とても食べやすい。

 調べてみると、食べやすいように香辛料の調合などを変えているものの、ハバネロの含有量は発売当初と同じらしい。茫然と食べ続けている内に、急に時の流れを感じた。初めて「暴君ハバネロ」を口にした小学三年生の時から、約10年の月日が経ち、僕は高校、大学を卒業し、二十二歳になった。その間に唐辛子はめまぐるしい進化を遂げ、ハバネロの7倍の辛さを持つキャロライナ・リーパーという唐辛子が現れた。僕の舌は加齢とともに衰えてゆき、10歳の時には敏感に感じていたはずの辛さを、なんとも思わなくなっていたのだった。そのことが、僕はとても悲しかった。かつて見えていた景色も、もう見えなくなってしまったし、かつて持っていた純粋な気持ちも、もう失われてしまったのだろう。10年にも及ぶ時が経っていた、ということを「帰ってきた暴君ハバネロ」を食べたことによって、ようやく気づかされたのだ。まるで僕はハバネロのように、成長を遂げることなく、しかし”変わって”しまったのである。

 空になった「暴君ハバネロ」の袋にふと視線を向けると、パッケージに書かれたあのキャラクターの表情が、僕にはどこか淋しげに見えた。

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クリーム・ソーダ

 「クリームソーダって、氷とアイスの間についてるシャリシャリが一番おいしいね」

 「わかる、あれだけ食べられたらいいのにね」

 「ソフトクリームじゃなくて、丸くてかたいアイスじゃないとできないんだよね」

 「でも、コメダ珈琲のソフトクリームがのったクリームソーダも好きだなあ」

 「靴型のグラスに入ってて、かわいいよね」

 「私がシンデレラだったら、あの靴のほうがいいな」

 「誰も履けなさそうだよね」

 「でも、やっぱり丸いアイスにさくらんぼが乗ってるのが最高だな」

 「あのさくらんぼ、食べたあとにタネをどこに置こうか、迷うよね」

 「アイスがどろどろに溶けて、ソーダが黄緑色になってから飲むと、おいしいよね」

 「おいしいね」

 「でも、最初から混ざった状態で売ってる、ペットボトルのクリームソーダはあんまりおいしくないよね」

 「そうだね、不思議だね」

 「少しずつ、混ざり合っていくから良いんだね」

 「そういうことだね」

 「不思議だね」

 「そうだね」

 「でも、私はやっぱり混ざる前の、氷についたシャリシャリだけ食べれたら満足だな」

 「どうして」

 「ずっと飲んでいると、甘ったるくなってくるから」

 「僕と一緒にいれば、クリームソーダのシャリシャリのところだけ、全部君にあげるよ」

 「え~いらない」

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スパゲッティ・ストーリー

 幼い頃から、余計なことばかり考えている。前にも書いたが、クリスマスにプレゼントをもらったときに、サンタクロースを信じ切っていた僕は、フィンランドという遠い異国の地から、どういった行程をもって「ポケットモンスター」のソフトが運ばれてきたのか、ずっと考えていた。それというのも、幼少期に読んだ絵本に、こんな描写があったのだ。

 それは、サンタクロースがフィンランドの山奥かどこかの、魔法の工場のようなところで、全世界の子どもたちのほしい物を大量に生産し、それらがベルトコンベアーに乗って次々と流されてゆき、まるで工場からトラックで出荷するように、待機している大勢のトナカイが引くソリに積まれ、全世界の各地へ飛び立つというシーンだった。この絵本の描写に衝撃を受けた、幼き頃の僕は、サンタクロースというのは魔法使いなのだと、本気で信じ込んでしまったのだ。

 それと同時に、妙に現実的に物を見る嫌な子どもだった僕は、フィンランドの山奥の魔法の工場という、ファンタジックなイメージと、「ポケットモンスターのソフト」がうまく結びつかなかった。例えば、かわいいクマのぬいぐるみ、とか木製のおもちゃ、飛行機の模型とかなら、魔法の工場のレーンに流れていても不思議ではないが、「ポケットモンスターのソフト」は明らかにその世界観から浮いている。乃木坂46大仁田厚が混ざっている、とでもいうくらい不自然である。「ポケットモンスターのソフト」はゲームフリーム、及び任天堂が開発、販売しているものだし、クマのぬいぐるみ、飛行機の模型と違って、ちゃんとした規格の中で作られ、プログラミングされ、デバッグを経て、製造されたものなのに、それらをすべて飛び越えて、サンタクロースは自らの魔法で「ポケットモンスターのソフト」を生み出すことができるのか?幼い頭なのでここまで詳細ではなかったが、ぼんやりと疑問符が浮かんでいた。

 要は、僕は昔から合理的に物事を考えることができないのである。常に要らぬものばかり考え、要らぬ方向を向き、要らぬものが溜まっていく。クリスマスのプレゼントも、何も考えずにただ受け取ればいいのに、勝手な空想をはじめることで、妙なもやもやを抱えてしまう。それらを考えることは、僕の中で楽しいことでもあったりするのだが、無駄なことばかり考え、極端な思考になりすぎたために、僕は自意識過剰で、一人で定食屋に入ることもできないような人間になってしまった。

 二十二歳になった今も、その癖は直っていない。例えば、数年前からほっともっとのお弁当を食べる度に「お弁当のおかずの下に敷かれているスパゲッティ」が気になって仕方ない。誰もが一度は目に、口にしたことがあるだろう。主にほっともっと(ほっかほっか亭)のお弁当や、たまにスーパーのお惣菜やお弁当のおかずにも敷かれている、あのスパゲッティである。スパゲッティといっても、ナポリタンやカルボナーラのような、味のついている料理としてのスパゲッティではなく、ただあのパスタをお湯で茹でただけの、なんともない麺である。

 ほっともっとがまだほっかほっか亭だった時代、幼かった僕は、からあげの下から顔を覗かせる、あのスパゲッティの存在が衝撃的だった。小さい頃からスパゲッティが大好きだった僕は、親にねだってよくナポリタンやミートソースのスパゲッティを作ってもらっていた。小さい僕からしたら、スパゲッティはご馳走とでもいえるような、おいしくて、かっこよくて、おしゃれな食べものだった。そんな、大好きなスパゲッティがからあげの下に敷かれているのだ。どういう意図でこのスパゲッティが敷かれているのか、幼い僕の頭では理解できなかった。

 理解できないながらも、からあげを食し、残ったスパゲッティを口にすると、思ったよりもおいしかった。からあげからにじみ出た油と、残った塩こしょうの味がなんとも言えないチープな味わいになっていて、それはそれとしておいしかったのである。何度も食べている内に、段々とあのスパゲッティを食べたくて、カレーでもなく、親子丼でもなく、からあげ弁当を頼んでいる自分がいた。それほどまでに、僕の中であのスパゲッティの存在が大きくなっていたのだ。

 数年前、テレビでほっともっとのお弁当の特集をしていて、あの謎のスパゲッティがなぜ敷かれているのか、その理由が明かされていた。理由はいくつかあって、スパゲッティで底上げしておかずの量を見せるため、おかずを固定させるため、余分な油を吸ってくれるため、熱いおかずで容器が溶かすのを防ぐため、などが挙げられるらしい。確かに、どれも理にかなっていて、素晴らしいアイデアである。だが、その理由を知っても、僕はいまだにあのスパゲッティの存在が気になって仕方ない。

 本国、イタリアでは代表的な食べ物として知られ、全世界で広く知られているスパゲッティ。その歴史は大変古く、紀元前四世紀のエトルリア人の遺跡から、パスタを製造する道具が発見されているらしい。現在と同じようなパスタが普及されたのは、十六世紀にナポリ飢饉に備えるための保存食として使われだしてからで、既に何百年、何千年というレベルでスパゲッティ、パスタが人々に親しまれてきたことがわかる。そんな偉大な食べ物、スパゲッティが東洋の小さな島国、日本ではお弁当のおかずの下敷きとして使われているのである。その衝撃的な事実を思うと、あのスパゲッティの存在が違う見え方をしてくる。

 ほっともっとのキッチンには、あの「謎スパゲッティ」を茹でるための専用の鍋が用意されていて、毎日毎日、開店前に「謎スパゲッティ」を大量に茹で、からあげ弁当やハンバーグ弁当の注文を受けて「謎スパゲッティ茹で置き場」から「謎スパゲッティ」を「謎スパゲッティ専用トング」で取り出し、敷き詰めているのだろう。もしかしたら、一日に大量の「謎スパゲッティ」を消費するため「田中くん、月曜日の夜、謎スパゲッティ仕込み要員でクローズ入れない?」「謎スパっすか、あれ大量に茹でなきゃなんで部活終わりだとしんどいんっすよね......」なんていうやり取りがなされているかもしれない。ほっともっとの主力商品である、からあげ、海苔弁当に乗っている白身魚のフライを揚げるフライヤーや、カレー用の大きな鍋、ステーキを焼くためのフライパンとは別に、ちゃんと「謎スパゲッティ」を茹でるための鍋が存在していると思うと、楽しい気分になってくる。もしかしたら、工場から「謎スパゲッティ」は茹であがった状態で袋詰めされ、そこから取り出して使っているだけなのかもしれない。事実はどうであれ、あの「謎スパゲッティ」がこの世の中に必要なものとして「謎スパゲッティ」が「謎スパゲッティ」としてちゃんと存在しているという事実が、僕の中でとても面白いし、その空想を膨らませていくのが、とても楽しいことなのだ。

 「謎スパゲッティ」のことで頭がいっぱいになった僕は、「謎スパゲッティ」のことをインターネットで調べてみると、こんな記事がでてきた。それは、昔「ほっかほっか亭」でアルバイトをしていた人が「謎スパゲッティ」のあの味を再現しようとするもので、その中で衝撃的な事実が書かれていた。なんと、あのスパゲッティを茹でるのは常に「おじいちゃん店長の仕事」で、茹で時間を計ったりはせず、二十分近く茹でられていたこともあったという。しかも、作り方にマニュアルがなく、ある店では茹でた後に炒められていたり、ある店では茹でた状態のまま提供されていたり、各店舗によって様々な「謎スパゲッティ」が存在しているのだという。日本全国、そして海外店鋪も含め、2655店鋪を持つほっともっとでは、2655種類の「謎スパゲッティ」が存在しているのだ。そのことを思うと、頭がクラクラしてくる。

 「謎スパゲッティ」を茹でるのはいつも「おじいちゃん」の店長だった、という情報が、どこか侘しさと寂寞な思いを感じさせる。そのおじいちゃんは、若いときから「ほっかほっか亭」に勤め、フランチャイザーとの商標権争いの末に「ほっかほっか亭」から「ほっともっと」へ屋号を変える激動の時代も、ずっと「謎スパゲッティ」を茹で続けてきたのだろう。「謎スパゲッティ」を茹でることで稼いだお金で、一人娘は成長し、大学へ進学し、やがて結婚して家を出ていった。自分以上の「謎スパゲッティ」を茹でられる人物はいない。そんな自信から、おじいちゃんと呼ばれるまで歳を重ねた今も「謎スパゲッティ専用鍋」の前に立ち続けているのかもしれない。はたまた「二十分以上茹でられていたこともあった」ということから、老化が進み、時間の感覚もなくなり、体も若いときほど自由に動かなくなってしまい、職場の若いものに煙たがられ「店長がからあげ揚げるといつも黒焦げになるし、ご飯の量もいっつも間違えてるんで、もうずっと謎スパ茹でててもらっていいっすか」と、一番簡単な仕事である「謎スパゲッティ茹で」を無理矢理押し付けられているのかもしれない。「謎スパゲッティ」には日本の高齢化社会、そして定年を迎えてもなお働かなければいけない、という労働問題が深く根付いているのだ。

 あの「謎スパゲッティ」には、僕の想像力を遥かに飛び越えた深い”物語”があった。「謎スパゲッティ」を口にするとき、僕は一人の優しき老人の姿を思うのである。

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麦茶フラペチーノ

 自分で自分というものを規定しすぎて、それに苦しめられることがよくある。 例えば、昨日の夜、僕はクラッカーにクリームチーズをのせて食べていた。クラッカーのサクサクとした食感と、程よい塩味、そしてクリームチーズの豊かな酸味との調和を、僕は楽しんでいたわけだが、食べながら「アタシ、今クラッカーにクリームチーズをのせて食べている」と俯瞰で見ている自分の存在に気づき、思わず手に持っていたクラッカーを落としてしまった。お前はクラッカーにクリームチーズをのせて食べるような人間ではない、という意識が自分の中に確固として存在していたのである。
 この世の中に、クラッカーにクリームチーズをのせて食すことを禁ず、などという法律はない。クラッカーとクリームチーズを楽しむということは、この地球上の人類、70億人に平等に与えられた権利である。だから、僕がいくらクラッカーとクリームチーズを楽しもうと、誰にも文句を言われる筋合いはないのだが、僕はその行為を自然に行うことができない。
 クラッカーにクリームチーズをのせて食べようと思ったとき、僕は「クラッカーにクリームチーズをのせて食べるぞ」と思いながら、クラッカーとクリームチーズ、そしてバターナイフを取り出し「今からクラッカーにクリームチーズを塗るぞ」と思いながら、クリームチーズをバターナイフで優しく切り取り、クラッカーに塗り「僕は今、クラッカーにクリームチーズを塗ったものを食している」と思いながら、クラッカーの塩味とクリームチーズの酸味を楽しむ。行為の一つ一つに、一々「クラッカーにクリームチーズを塗って楽しんでいる自分」というイメージが、つきまとうのである。例えばこれが、白いご飯と魚の煮付けなら「僕は今、白いご飯と魚の煮付けを食べている」なんてことは思わない。呼吸をするのと同じように、歯を磨くのと同じように、生活の一部として、一つの流れとして、それらを行うことができるのだが、クラッカーとクリームチーズに至っては、そうはいかないのである。
 それはエスプレッソのコーヒーを飲むときでも、そば湯を頼むときも同じで「僕は今、エスプレッソのコーヒーを頂いております」「そば湯でつゆを割ることで、日本の伝統的な食文化を嗜んでおります」と思いながら、それらを口にする。要は、自分の生活の範疇のようなものから浮いている行為に対して、僕は俯瞰的に見てしまうのである。そして「豆の違いもよくわからない癖に無理して飲むな」「昨日まではエスプレッソなぞ飲んでイタリア人ぶってたのに、今日は古風な日本人気取りか」と、自分に対して思い込んでしまっているのだ。
 そんな自分の自意識との葛藤を抱えながら、僕は一冊の本と出会った。穂村弘の『本当はちがうんだ日記』というエッセイである。

 私はエスプレッソが好きだ。小さなカップの底に泡立つ液体がちょっとだけ入っている。香ばしい匂いを嗅ぎながら、カップにそっと口をつける。目を閉じて、ゆっくりと一口啜ってみる。苦い。舌が苦い。(中略)それでも私はエスプレッソが好きだ。その理由は、素敵な飲み物だからである。本場イタリアでは、立ちのみのスタイルの地元のおじさんたちが、三口で飲み干して出てゆくという。またパリのカフェではパリジェンヌという娘たちが優雅な仕草でカップを傾けているらしい。(中略)
 それにしても、私のエスプレッソがこんなに苦いのは何故なのだろう。果実の薫りとキャラメルの味わいの飲み物が、地獄の汁に感じられるのは何故か。それは、おそらく、私自身がまだエスプレッソに釣り合うほどの素敵レベルに達していないからだ。私の素敵レベルは低い。容姿が平凡な上に、自意識が強すぎて身のこなしがぎくしゃくとしている。声も変らしい。すぐ近くで喋っているのに、なんだか遠くから聞こえてくるみたい、とよく云われる。無意味な忍法のようだ。

 ここに書かれているのは、そのまま僕のことだった。昔、好きだった先輩と喫茶店に行ったとき、格好つけてエスプレッソのコーヒーを頼んだら、一口ほどしかない小さなカップに申し訳程度に入ったコーヒーが出てきて、驚いたことがあった。コンビニで売っているような、売り文句としてのエスプレッソ・コーヒーに飲みなれていたため、ただ単に「濃い目のコーヒー」だと思っていた僕は、そこで初めて本物のエスプレッソ・コーヒーを目にしたのである。「なぜ、こんなに少ないんだ......」と目を丸くしながら、エスプレッソ・コーヒーを見つめていると、その先輩に「エスプレッソ、飲んだことなかったんでしょ」と言われた。
 顔から火が出るくらい、恥ずかしかった。まさに、その通りだったからだ。急激に上がる体温と、赤くなる顔を必死に隠しながら「いや、飲んだことありますよ......」などと苦し紛れに嘘を叩くと、先輩はにやにやしながら「本物のエスプレッソは量が少ないんだよ」と言った。
 先輩がそっぽを向いているタイミングを見計らって、エスプレッソ・コーヒーを口にすると、あまりの苦さに驚愕した。穂村弘の言うように「地獄の汁」とでもいうような味がした。ふと顔を上げると、先輩がこちらを見ながら、にやにやと笑っていた。
 当時、高校生だった僕はエスプレッソ・コーヒーを嗜んでいいほどの「素敵レベル」がなかった。穂村弘は先述したエッセイの中で「弱気になった私は卓上のミルクと砂糖をちらっとみて、しかし、目を背ける。『エスプレッソ豆知識』によれば、本当のエスプレッソは果実の薫り、そしてキャラメルの味わいなのだという。そんな優雅な飲み物に、ミルクや砂糖が必要だろうか」と続けているが、実はストレートで飲もうとするのは日本人くらいで、本場の人はシュガースプーンに一〜二杯の砂糖を入れ、それを一口で飲み干し、底に溜まった砂糖をスプーンですくって食べるらしい。それを知った僕は、これ見よがしにエスプレッソ・コーヒーを頼み、シュガースプーンにすくった砂糖をさらさらと流し込み、それを一口で飲み干し、底に溜まった砂糖をスプーンですくい、口に運ぶのである。対面に座っていた女の子が言う。
 「ええ、砂糖食べるの体に悪いよ」
 僕はふと彼女の顔を見上げながら言うのだった。
 「本場ではこうやって飲むんだよ」
 これがパリッとしたオリーブ色のスーツが似合う、長身のイケメンだったらいいのだが「スーツに着られている」と言われる、ぼーっとした顔つきと体型の、素敵レベル2の僕が言ったところで、それは無理をしているだけだ。僕はきっとこの先、何年かかっても、エスプレッソ・コーヒーを自分の生活の一部として溶け込ませることはできないのだろうし、僕は高校生のときと変わらず、素敵レベルは低いままなのである。


 では、そんな素敵レベル2の僕が飲んでいい飲み物とはなにか、それは伊藤園の「健康ミネラル麦茶」である。エスプレッソなどという、遠い異国の飲み物はどうやったって、日本の田舎で暮らす一般人の生活の中では浮いてしまうし、ミネラルウォーターを飲んでいても「お前ごときは公園の蛇口で水飲んどけや」となってしまう。それがペリエだったりなどしたら問題外である(余談だが、僕は昔「ミネラルウォーターを一本常に持ち歩いているのがかっこいい」と思っていて、毎日ミネラルウォーターを鞄に忍ばせていた)。そんな僕が、コンビニへ入って買っていい飲み物は「健康ミネラル麦茶」のみなのである。
 麦茶という存在がそもそも中流家庭の、一般的な日本人の生活にとても馴染んでいる。その上に、あのパッケージに印刷された笑福亭鶴瓶の顔がなんとも良い。僕のような人間を安心させるために、あの鶴瓶の顔はデザインされているのだろう。しかし、そんな素敵レベルの低い(=生活に馴染んでいる)ものが、急にそのレベルを上げることが稀にある。
 例えば、柿ピー。日本人なら誰もが一度は口にしたことのある、少し辛味のある醤油味の煎餅と、小気味良い塩味の効いたピーナッツが、ちょうど良い配分で混ざったあのお菓子である。素敵レベル2の僕でも、何も考えずに安心して口にすることのできるお菓子だが、とある日から、それはガラリと変わってしまった。日本における、素敵レベル唯一のカンストと言われている大作家、村上春樹が素敵雑誌「anan」で連載していた『村上ラヂオ』というエッセイで、柿ピーについて、こう語ったのである。

 世の中に永久運動は存在しない、というのは物理学の一般常識だけれど、半永久運動というか、「永久運動みたいなもの」は、けっこうある。たとえば柿ピーを食べること。
 柿ピーのことは知ってますよね?ぴりっと辛い柿の種と、ふっくら甘い香りのあるピーナッツが混じっていて、それをうまく配分し、組み合わせながら食べていく。誰が考えたのか知らないけど、よく思いついたよね。ちょっと普通では考えつかないとりあわせだ。考えついた人にノーベル平和賞をあげたいとまでは言えないけど( たとえ言っても相手にしてくれないだろうけど)、卓越したアイデアだと思う。
 柿の種が漫才でいう「つっこみ」なら、ピーナッツは「ぼけ」にあたるわけだけど、ピーナッツにはピーナッツの洞察があり、人柄があり、ただの頷き役では終わっていないというところがよい。柿の種のつっこみをさらっと受けて、鋭く切り返すこともある。柿の種はそのへんを承知の上で、自分の役割を意識的にいくぶん過剰に演じている。まことに絶妙のコンビというべきか、あうんの呼吸がとれている。
 だから、と言いわけするのではないけれど、ビールを飲みながら柿ピーを食べていると、きりがないですね。気がつくと一袋空になっていたりする。それにあわせて(喉が乾くから)ビールもついつい飲んでしまう。困ったものだ。こうなると、ダイエットも何もあったものではない。(中略)
 でも、柿ピーを食べるときには、僕は自分の内なる欲望をできる限り抑え、柿の種とピーナッツをなるべく公平に扱うように努めている。自分の中に半ば強制的に「柿ピー配分システム」を確立し、そのとくべつな制度(regime)の中に、偏屈でささやかな個人的喜びを見いだしているのである。世の中には甘いものと辛いものがあって、両者は互いに協力しあって生きているのだという世界観を、あらためて確認する。

 巧みなレトリックと、ウィットに富んだ、余裕のある文体で「柿ピー」が語られていく。村上春樹の文体を通すと、柿ピーがあたかも、高級なバーでしか口にすることのできない、外国の洒落たお菓子のように見えてくる。僕はこれを読んでから、自分の中の柿ピーのイメージが一気に変わってしまった。なんの変哲もないただの柿ピーに「あの村上春樹も好きな」という枕詞がついてしまったのだ。そのことによって、柿ピーは、ブラッディ・メアリーや、ダンキン・ドーナッツ、ステーキサンドイッチ、ウィーンのビーフカツレツと同列のものとして、存在してしまったのである。
 素敵レベルの高い人間が、好む、興味を示すだけで、それまで僕の手元にあったはずの柿ピーや健康ミネラル麦茶などが、離れてゆくということが往々にしてある。お洒落で私生活も派手そうな俳優が「実は家で一人で飲むのが好き」と語ったら、かっこよく見えてしまうからだ。志田未来が友達と鳥貴族に行っているとフライデーされてしまっただけで、どうしてもそこに対して、好感度を持たざるを得ないのだ。
 いつか、村上春樹は自身のエッセイの中で「健康ミネラル麦茶」のことを語るのだろう。「昔、ジョン・アーヴィングと一緒にセントラル・パークをランニングしていたとき、よく水筒に『健康ミネラル麦茶』を入れて持っていった」とか「あのパッケージにデザインされた鶴瓶の顔は、なんだか人を励ますような善意に満ち溢れている」とか、挙げ句の果てには「家で『健康ミネラル麦茶』を飲むときはいつも、コリンズグラスに氷を入れ、ウォッカと一緒に割って、最後にレモンを少し絞る」などという特殊な飲み方をしているかもしれない。
 村上春樹が「健康ミネラル麦茶」を語ったことによって、日本に「健康ミネラル麦茶」再評価の流れが来る。素敵コーヒーショップ、スターバックス伊藤園とコラボし「健康ミネラル麦茶・フラペチーノ」を発売する。女子高校生、大学生がこぞって飲み、インスタグラムにアップする。アメリカでは「Healthy Mugi Tea」の名でヒットし、シリコンバレーで働く一流企業の社員が、こぞってデスクにあのペットボトルを置く。最先端企業のデスクに並ぶ鶴瓶の顔。そして、インスタグラマーが白い壁をバックにあのペットボトルを持った写真を撮り、無数の鶴瓶の顔がタイムラインに流れてくる。どこを見ても、鶴瓶鶴瓶鶴瓶、笑瓶、鶴瓶
 「俺の健康ミネラル麦茶が......俺の鶴瓶が......俺の......俺の鶴瓶を返せ!返せ!」僕は渋谷のど真ん中で叫ぶ。その光景を目にし「健康ミネラル麦茶フラペチーノ」を飲みながら「なにあの人......ヤバ」とつぶやく女子大生。ギャル達。ふと、見上げると巨大なスクリーンに、パリコレのモデルを起用した「健康ミネラル麦茶」のCMが流れていた。もう、健康ミネラル麦茶は僕の知っている”健康ミネラル麦茶”ではなくなっていたのだ。
 「健康ミネラル麦茶」のペットボトルが、僕の手からするするとすべり落ちてゆく。そのパッケージでは、鶴瓶が不敵な笑みをこちらに覗かせていた。

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パピコ・パピコ・パピコ

 世の中には二種類の人間がいる。女の子からパピコを分け与えてもらったことのある者と、そうでない者だ。私はこれまで、二十二年間の歳月を過ごし、言葉を覚え、ものを学び、恋をし、生きてきたわけだが、一度も女性からパピコを分け与えてもらったことがない。自分からパピコを分け与えて、共に食べるのとは話が違う。重要なのは、”女の子”のほうからパピコを分けてもらったかどうか、だ。

 先日、人から「女の子にパピコを分けてもらった」という話を聞き、思い返してみたら、自分の人生でまだ一度も、パピコを分け合って食べたことがないという衝撃的な事実に気づき、その場で膝から崩れ落ちた。自分は果たして、なんのために生活をし、勉強をし、大学を出て、バンドをやったり、文章を書いたりなどしていたのか。それは女の子からパピコを分け与えてもらうためじゃなかったのか。

 とある研究所の調べによると「女の子にパピコを分け与えてもらったことがある」かどうかによって、生涯収入に大きな差が出るらしい。その差は、なんと数千万にも及ぶ。無論、分け与えてもらったことがない人の方が低い。よくよく調べてみると、この世の経済を大きく動かしているような、地位の高い人間は、ほとんどの場合、女の子にパピコを分け与えてもらった経験があるらしい。ビル・ゲイツも、今は亡きアップル社のスティーブ・ジョブズも、ドナルド・トランプもだ。資本主義の根底に横たわっているのは、パピコの存在だったのである。

 ああ、このまま僕は一度も女の子からパピコを分け与えてもらえないまま死んでゆくのかと、僕は暗惨たる自分の未来のことを思った。「女の子にパピコを分け与えてもらえる屋」があればいいのに。昨今、話題の女の子が添い寝するだけの添い寝屋、女の子がカップヌードルを作る三分間だけお喋りすることができるヌードルカフェなどと同じように、女の子にパピコを分け与えてもらい、すべて食べ切るまでお喋りができる屋、名付けて「パピっ娘!」である。いかがわしいお店みたいな名前だが、そうではない。女の子にパピコを分け与えてもらったことがある人口が増えることにより、GDP(国内総生産)が増加し、日本はかつての経済大国の姿を取り戻す。長く続いた不景気の時代は終わりを迎え、豊かな時代が訪れる。女の子からパピコを分け与えてもらえることで、救える命があるのだ。

 「お待たせしました!はい、パピコどうぞ!」

 女の子から元気よく渡される、切り取られた一本のパピコ。そのパピコは、それまで僕が食べてきたそれとは、違って見えた。

 「私、いっつも思うんです、結局フタにちょっとだけついてる部分が一番おいしいって」

 恥ずかしげに笑いながら、彼女はパピコのフタ部を口にくわえる。僕はそれを横目にしながら、パピコの封をそっと開け、口にする。チョココーヒーの豊かな風味と、甘さが口に広がる。これが、女の子に分け与えてもらったパピコの味か、と思う。それまで僕が食べてきたパピコは、パピコではなかった。そう思わせられるくらい、おいしいパピコだった。

 「パピコ、お好きなんですか?」

 「ア、好きです......いつもは一人で二本食べちゃうんですけどね」

 「私も家ではいつも二本食べちゃいますよ、なかなか人と分け合うことってないですよね」

 女の子と交わす何気ない会話。その一つ一つに感動した。この時間が永遠に続けばいいのに、と思った。気づけば僕は、彼女に恋をしていたのだ。たぶん我々はこのとき会うべくして会ったのだし、もしあのとき会っていなかったとしても、我々はべつのどこかで会っていただろう。とくに根拠があるわけではないが、僕はそんな気がした。

 彼女はとっくに、自分のパピコを食べ終えていた。お腹をさすりながら「この仕事してると一日に何本もパピコ食べなきゃいけないからすぐお腹下しちゃって......」と言った。僕は彼女との時間を少しでも長く過ごしたくて、少しずつパピコを食べた。食べ切ってしまったら、この時間が終わってしまうからだ。長時間、僕の手に握られたパピコは、もうどろどろに溶けていた。自分の思いを言葉にして、伝えなければいけない。そう思いながらも、口を開けずにいると、黒服に身を包んだ男が部屋に入ってきた。

 「お客様、他のお客様のご迷惑になりますので、そろそろご退店いただいてもよろしいでしょうか?」

 男が、僕の手からパピコを奪い取る。

 「人が......人がまだパピコを食べてる途中でしょうが!」

 羽交い締めにされ、店外に放り出される僕。地面に叩き付けられる、パピコ。泥のついた一万円札で手に入れた、僕のパピコーー。

 

「昼飯をごちそうしてもらったくらいで一緒に死ぬわけにはいかないよ。パピコならともかくさ」ーー村上春樹ノルウェイの森』より

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エピソード

 自分とは違う価値観、文化、生活の中にいるような人たちと話すと、その”違い”に驚かされることが多々ある。特に、僕のような狭い価値観、世界で生きているような人間からすると、その驚きはより強い。

 大学生の時、とある飲み会で、まともに話したことのなかった同じ学科のギャルと、対面にテーブルを挟んだことがあった。初対面な上に、ギャルであることに怯えていると、隣にいた友達が、そのギャルに「そういえば、こないだのアレ、大丈夫だったの?」と問いかけた。話を聞くと、そのギャルは少し前に「地元の仲間と飲んでて、酔ってその場にいた男の子全員にキスしたら、後でボス猿的な存在のギャルにしばかれた」らしい。ギャルらしい豪快なエピソードである。たった数行のそのエピソード一つで、ギャルのノリと、その縦社会の厳しさ、ボス猿的なそのギャルの表情まで見えてきそうな良い話だ。その子は、ギャルはギャルでも、世間のパブリックイメージとはちょっと違う、おとなしめのギャルだったので、そのギャップに驚いたし、なにより面白かった。

 その話を聞いて、高校時代に働いていた回転寿司屋の先輩のことを思い出した。その先輩は、以前にもブログで書いた、今ではアダルトビデオの企画、監督などをやっている先輩で、チャラ男のような見た目と、軽妙な口上が特徴的な、誰にでも分け隔てなく優しい、面白い人だった。その人は、一緒に働いている時から車が大好きで、よくバイト終わりに「ちょっとこれから峠、攻めてくるわ」と言っていた。ある日、その先輩が片腕に包帯を巻いて出勤してきたので、驚いて「どうしたんですか?」と聞くと「いや、車で山走ってたら谷に落ちちゃってさ、マジでビビったわ、ハハハ」と言いながら、ボロボロになった車の写真を見せてきた。あまりにも豪快な話である。そして、そんなむちゃくちゃな出来事を「ハハハ」と笑い飛ばせる先輩が、とてもかっこよく見えた。

 彼らのようなエピソードが一つはほしい、と思う。別段、彼らのような派手なエピソードでなくても良い。例えば、ピース又吉さんはとある夏の日に、原宿の神社で青い実が一つ、木から落ちるのを目撃し、ふと視線を落とすと、行き交う人々の中で、自分と同じように落ちた青い実を見つめている、一人の女性がいて「あの人なら僕のことを解ってくれるんじゃないか」と話しかけたことで、その人とお付き合いすることになったらしい。

「明日遊べる?」変なことを言ってしまった。女性は恐怖で顔を歪め「どなたですか?」と言った。可哀想だと思った。「明日遊べる?」また変なことを言ってしまった。女性は怪訝そうな表情を浮かべ「どなたですか?何故明日なんですか?」と言った。「今日は暑いので明朝涼しいうちに遊べたらと思いまして」また変なことを言ってしまった。「怖いです。それに知らない人とは遊べません」と言われた。その後、僕は立て続けに変なことを言った。「暑いので...申し訳無いので...冷たい飲み物を奢らせてください...でも先程古着を買ったので...お金が無いので...奢れないので...諦めます...すみませんでした...」と言って帰ろうとしたら、女性は少し笑い「何言ってるんですか?大丈夫ですか?喉が渇いているんですか?お金を貸して欲しいという話ですか?」と言った。解らなかったので「解らないです」と言ったらアイスコーヒーを奢ってもらえることになった。

 出会いのきっかけも、そこからの二人の会話も、まるでそのまま小説のワンシーンのような、うつくしい出来事である。このエピソードは、二作目の『劇場』のワンシーンとして、別の形で描かれることとなる。又吉さんは、このようなエピソードを引き寄せる人だ。もちろん、エッセイとして文章で綴られることで、その全てがノンフィクションであるとは言えないが、井の頭公園でぼーっと座っているだけで、外国人の宣教師から「あなたを、救いたい......」と言われたり、近所の神社で思いにふけっていたら「もうちょっとしたら、出ていってもらっても良いですか?」と神主に追い出されたり、面白い出来事、不思議な出来事を呼び起こしている。

 僕には、こういったことがまったくない。誰もが一度は経験があるような、ヤンキーに絡まれる、電車で酔っぱらいに絡まれるなどということも、一度もない。特に顔立ちが整っているわけでもなければ、スタイルが良いわけでもないし、普通の大学を真面目に通い、普通に卒業した。お酒は飲むが、煙草は吸わない。恋人もいない。そこら辺を見渡せば、絶対に一人はいるくらいのありきたりな人間である。

 僕も、後世に語り継がれるような、かっこいいエピソードが一つはほしい。例えば、僕が後に文豪、大音楽家になり、死後に「いや、あの人はいたって普通の人でしたよ」と言われたくない。尾崎豊のように、”不良”の代表みたいなパブリックイメージを持ちながら「実は真面目で、人のバイクなんか盗まないような良い人でした」と言われるのは、かっこいい。安岡章太郎のように「自分は落ちこぼれだった」と自称しながら、実は成績優秀だった、みたいなのもかっこいい。僕は、そもそもが「普通の人」なのに「あの人はいたって普通の人でした」と言われたところで、何も起こらない。かといって、急に日サロにいって全身を真っ黒に焼き、金髪にするわけにもいかないし、パンタロンを履いて長髪にするわけにもいかない。先に挙げた彼らのように、それが自然ではないからだ。

 もし、僕が大作家、大音楽家になったら、死後、過去に好きな人に送っていたメール、行きつけのコンビニのレシート、そしてこのブログまでもがすべて、世の中に公開されるのだろうか。僕は昔、好きな女の子とのメールにどれくらいのスパンで返したらいいのかわからなくて、自分が送ってから、返信が返ってきた時間をいちいち計り、それとまったく同じ時間で返信していた。気持ちの悪いやつである。ゴミ箱からは「担当者 ハヤシ」の文字が印字されたコンビニのレシートが大量に発見される。ブログは一語一句分析され「○○はギャルをとても好んでいたらしい」「確かに、彼の文体には、2000年代初頭のギャル的な、ブロークンな日本語のリズムを感じることができる」とか「彼の作る音楽には、ギャルが好んで聞くユーロビートからの影響を感じることができる」「きっとギャルから好かれるために必死だったのだろう」とか議論されるのだろう。やがて研究が進み、結局僕は「普通の人っぽい感じだけど、ギャルが好きで、好きな女の子とのメールにわざわざ時間を計ったり、同じ店員のレジで何度も買い物をしたり、偏執的なヤバい奴だった」ということが世の中に知れ渡る。

 そうならないように、今からサーフィンでも始めようかな、などということを思っている。

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